密会

エリスと久しぶりの会話を交わした翌日、というか当日の朝、俺は午前中から学院に向かっていた。特級クラスだから授業があるわけではない。ただ調べ物をしたかった。

昨日訪れ、半日で学友を失くした忌まわしき地、『大墓地』についてだ。あの場所は俺にとっても『常識外れ』と呼べる場所だった。捻じれた空間、無尽蔵のアンデット、そして神の祝福を宿した不死者。昨日の探索は成功とは言い難い。その最大の理由は情報不足だ。


どうにかなると思い、勢いに任せて行ってしまった。

まずは知るべきだった。

魔術師にとって知識は力だ。知れば世界が広がる。師匠に教わったことを軽んじていた。


全ての場には『属性』がある。その地の文化、風習、生物、魔力、呪いの由縁、地脈の濃さ。

それらは見えぬ流れとなって魔術に干渉してくる。特にあの地は数多の呪いが積み重なっていて邪魔だ。

もしもあの場所で呪術でも使おうとすれば、すぐさま掻き消されるだろう。そう考えればあの場でアンデットを動かせていたガーベラは優秀だ。


だが彼女との信頼関係は破綻し、それでも俺は『大墓地』に再び戻らなくてはならない。だがあの地を一人で探索するのは大変だ。俺の頼れる護衛役である『金騎士』は勇者に壊されたままであり、『ティンダロスの猟犬』は戦闘能力に欠ける。

ならばせめて、悪魔にとっての聖水のような、あの地における特攻属性を探りたい。

そう思い、学院の図書館に向かっているのだが、なんだか様子がおかしい。


(あの辺か)

後方数十メートル先、路地裏にこちらを覗く影がある、らしい。

当然俺にそんなことを感知する技能はない。察知したのは俺の影の中にいるティンダロスの猟犬たちだ。

人間並みの知能を持つ彼らがそう言うのなら間違いないだろう。


通りは朝の喧騒にあふれ、職場へと向かう者、学院に向かう見覚えのある制服を着た者など、多様な人種、目的のもので賑わっている。そんな中で数十メートル先からこちらを見張る技能を持つ者がいる。


(なんでだ?アリスティアだとバレたか?)

間違いなくプロの尾行だ。何でもない平民の生徒に付けるようなものではない。

可能性があるとすれば、俺の素性に気づかれた。それぐらいしか心当たりがない。

(手を出すのはまずいよなぁ)

人通りの多い通りの中なら、市民たちの魔力に紛れさせ、誰にも気づかれずに呪殺する自信はある。だけどそれをすれば、確かな物的証拠は出ないが、状況証拠で見れば、俺が怪しすぎる。


(実害はないようだし、放っておくしかないか)

結局、俺にできることは無い。誰が背後にいるのかは知らないが、見張らせておくとしよう。


□□□


学院の一室に彼らは集められていた。家具一点取っても平民の年収を超える価値がある調度品に囲まれ、彼らは円卓の席に座っている。

意外と小市民のゼノンが足を踏み入れれば、居心地悪そうに家具を鑑定しだすだろう。だが部屋に座る彼らは、部屋の雰囲気に押された様子は無い。

なぜなら彼らもその調度品に見合う上流階級の者たちばかりだからだ。


デネス王国第一王女エリスイス・エスティアナ、デネス王国第二王女であり、エリスイスの腹違いの妹であるティーリア・エスティアナ。

龍王国ディーン第一王子レオン・ガル・ディーン、聖人国の聖女であるミア。

バブブ公国第一王子ガードゥ・バブブ。

いずれも国の頂点に立つであろう者たちばかりだ。

だが、本来ならここにいるはずの者が一人いない。


「さて、お忙しい中集まっていただき感謝しますぞ」

口火を切ったのは、初老の男だ。白髪交じりの髪と深い皺の極まれた額に、特に色濃い苦悩を刻みながら挨拶をする。

「何の用なんだ?暇じゃねえんだが」

「これほどの面々を集めるということは火急の用と見受けるが?」

レオンが吐き捨てるように言い放ち、ガードゥが冷静に現状を分析し、問う。


「……皆様もお気づきかもしれませんが、ミネルヴァ様に関することです。昨夜、住宅通りで人避けの魔術が張られ、戦闘が起こりました。襲われたのはミネルヴァ様とその護衛。意識を取り戻した護衛に話を聞いたところ、ミネルヴァ様は誘拐されたようです」


それを聞いた一同の反応は様々だ。変わらず柔和な笑みを浮かべるエリスイス、つまらなそうにコーヒーカップを傾けるティーリア。そして悲鳴を押し殺すミアや険しい顔で押し黙るガードゥやレオン。

だが全員に共通するのは、なぜ聞かせた?ということだ。


この学術都市は各国の権力とは無縁とは言うが、完全に切り離せるものではない。利権、面子、プライド。それらが原因で、他国の貴族同士が暗躍を繰り広げ、時には暗殺合戦にまでなるのがこの場所だ。

それを考えると、他国の人間に帝国の『弱み』を見せるのはあり得ないやり方だ。下手をすれば、帝国派閥の人間に、糾弾されかねない所業だった。


「貴方の独断ですね?ボブス・マイマー議員」

「――ッ。そうです……」

エリスイスの見透かすような眼差しに捉えられ、ボブスは言い訳もできず白状した。

「学院の、学院長の方針としては都市側だけで捜索することになりました」

「チッ。ならなんの呼び出しだよ」

訳が分からないとレオンが天を仰いだ。だが続く一言で、彼の余裕の態度は消え失せることになる。

「……下手人は恐らくモルドレッド教団でございます」

その一言で、室内の空気は凍った。

皆、顔を強張らせ、互いの表情を盗み見る。変わらないのはエリスイスぐらいだった。


「なるほど、かの教団の存在を知らされている者だけ呼んだのですね」

「……はい。あれの存在は隠さねばなりません。されど、その脅威は都市に入り込みすぐそこまで迫っております」

レオンはこの招集が何を意味しているのか理解できた。これは『警告』だ。ミネルヴァが狙われた以上、レオンたちが狙われないとは限らない。いや、狙われる可能性の方が高い。

つまりボブスはこう言っているのだ。教団の魔の手から身を守れ、と。


(冗談じゃねえ。近くに寄ってきた虫を潰さずに見てろだと?そんなのは性に合わねえ。何より、顔なじみを攫われたのは、少しムカつくな……)

内心で闘志を燃やすレオンを、エリスイスは智謀の宿った美しい碧眼で静かに観察していた。


「それで容疑者はいるのか?教団が入り込めるほど甘い警備はしていないだろう」

ガードゥは問う。

この都市は学院長である運命の魔女アルフィアが張った結界を始め、古代魔術文明の遺物や魔具など、様々な手段で守られている。

王女を襲撃できるほどの手練れと人数が、正面から入ってきたとは思えない。誰か手引きした学術都市内部の者がいる。


そういう意図で問われた質問だとボブスは判断したが、ガードゥの目的は違う。なにせ教団を招いたのも匿っているのもガードゥだ。

彼はこの場で、教団への捜査状況を調べ、自身から目を逸らすための工作をしようとしていた。まだミネルヴァの洗脳は完了していない。それに教団側の準備もまだだ。今しばらく時間を稼ぐ必要があった。


「容疑者、としては一人。1年特級クラスのゼノン・ライアーです」

そう言った時、エリスイスの組まれた指先がぴくり、と僅かに震えた。だがそれに気付いたものはいなかった。

「誰だそりゃ?」

怪訝な顔でレオンが呟く。


「ふむ。確か私と同じクラスの平民だな」

そうだろう?とガードゥがティーリアに視線を送ると、彼女は面倒そうに白磁の指をひらひらと振った。恐らくどうでもいいのだろう。

仮にも『教団』という国家の敵に対する王女の姿勢とは思えない。

(所詮は出涸らし王女か……)

そのことに、ガードゥは理不尽な侮蔑を心中で呟いた。


「彼はミネルヴァ王女に最後に接触した生徒です。調べたところ、身分どころか経歴まで一切不明でした」

「そして特級クラスに入れる魔術の腕があれば、派手な戦闘も隠せる人避けの結界も張れる、か」

ボブスの説明をガードゥが引き継ぐ。多少、犯人寄りのニュアンスを込めて。

「経歴が不明、ということは無いでしょう?そのあたりの調査はしているはずですよね」

エリスイスの清楚な声音が、ゼノン・ライアーが怪しい、と傾いていた場の空気を戻す。彼女の言葉をガードゥは忌々しいと王子の仮面の下で吐き捨てた。

――やはり、聡明な彼女は邪魔だ


「彼は学院長の推薦です。学院長に聞いても彼は教団との繋がりは無い、という一点張りでした」

それは確かに怪しい、と博愛主義のミアでも思った。偶然経歴不明の人間が王女誘拐の現場にいるというのは余りにも都合がいい。

「おい、おい。プライバシーの秘匿なんて言える状況じゃねえだろ。魔女の隠し子か何かか?」

「不明、です。調査しておりますので、近づかないようにしていただければ」

その言葉で、この密会は終わった。



応接室を出た王族たちは、各々の生活に戻っていった。先ほどまで密会をしていたなど、学友たちにも微塵も感じさせず、普段通りの生活を送る。

「ティーリア、久しぶりですね。学院での生活はどうですか?」

エリスイスは通路を歩く妹のティーリアを見つけ、声を掛けた。まるで偶然、会ったと言いたげに。

「……お姉さま。……分からないわ。まだ入学したばかりだもの」

振り向いたティーリアは面倒そうな表情を隠そうともせずおざなりに答えた。

「もう行っていい?」

「ええ。賊のことは私に任せ、屋敷から出ないように」

最後に言いたいことを伝える。その言葉には、妹を慮る姉の心配と言うよりは、盤上で動く異質な駒を縛り付けたいというような支配的な響きがあった。

「……分かっているわ、お姉さま」

それをわかっていても、ティーリアは何も言わない。ただ顔を顰め、エリスイスの眼前から去っていった。



「屋敷まで」

エリスイスは学院を出て馬車に乗り込む。中ではエリスイス付きの使用人パパナが待っていた。彼女は秘密の多いエリスイスが唯一信頼している部下でもある。

「呼び出しの内容、モルドレッド教団のことでした」

揺れる車体に身を任せ、エリスイスは雑談を振るように切り出した。

「……えっ!?もしかして私たちのことが……!」

「声が大きいですよ」

「あっ、すみません」

パパナは、慌てて口元を押さえる。馬車には防音の刻印魔術が施されているため、どれだけ大声を出しても外に聞こえることは無い。ただ、騒がれて不快だったから窘めただけだった。


「……昨夜、ミネルヴァ皇女が攫われたようです」

それを聞き、パパナは顔を強張らせた。それは、彼女の主にも危機が迫っていることを表していたからだ。

都市側は気づいていないが、エリスイスたちは知っている。教団による都市住人の誘拐はミネルヴァが最初ではない。初めは影響力の低い中小商会の当主、その次は下級貴族の子息令嬢、そして昨夜はミネルヴァ。

まるで都市から有力な人員を刈り取るように人が消えている。そしてそれは、段々と大胆に、そして『大物』を狙うようになっている。

きっと数日以内にエリスイスも襲われるだろう。


「……一刻も早く教団の手先を見つけないと!」

主の危機が目先に迫っていると知ったパパナは、顔を蒼白に染め、焦りを露わにする。教団を匿う都市内の存在。それは、彼女たちが探し続けていた教団掃討のためのキーパーソンであり、エリスイスたちも今まで見つけることが出来ていなかった。


「それは分かりました」

だがエリスイスは、あっさりとそう告げた。

「…………え?」

「恐らくガードゥ・バブブでしょうね。今日、確信できました。ミネルヴァ皇女を攫ったのも彼でしょう」

何てことも無いように、敵の正体を言い当てた。


「さ、流石です!エリスイス様!」

パパナは目を輝かせ、エリスイスの智謀を称える。

「妙にゼノン・ライアーに意識を向けようとしているように見えました。彼が平民嫌いということもあるかもしれませんが……まあ、9割方彼でしょう。後は手勢ですね。自身の部下として連れるような愚か者ではありませんから、お抱えの商会の護衛か商品に紛れ込ましたのでしょう」


もしもこの場にガードゥがいれば、あまりの読みの正確さに背筋を震わせただろう。

今朝の密会は、エリスイスにとって都合がよかった。エリスイスは元々、教団の手先が上流階級にいることは分かっていた。


そうでなければ大量の人員を都市に招き入れ、隠れ家と物資を提供することは出来ない。それは、正確な教団員の数を推察できていたエリスイスだからこそ行き着いた『当然』だ。

そうなると容疑者は自然と絞られる。


「……ティーリアかガードゥの二択でしたが、判明してよかったです」

「い、妹君も容疑者だったのですか?」

「ええ。むしろ本命です。あの子は私が疎ましいようですから」

妹に疎まれているという事実を、何でもないように呟く。パパナが見るその顔は、普段と何も変わらず、静かな清楚さだけが宿っている。

それはまるで彫像のように人間離れしていて、幼少期からエリスイスに仕えているパパナでも、ゾッとする冷たさが見えた。


「その、今回の密会が無ければ、どうやって教団の手先を炙り出すつもりだったのですか?」

主に抱いた恐怖を拭うように、思い浮かんだ疑問を口にする。だが質問を口に出しながら、パパナは後悔していた。彼女の『素』を少しでも知っているパパナは碌な答えが返ってこないと知っていたはずなのに。


「二人を攫ってお話をするつもりでした。間違えた方には、ごめんなさい、ですね」

いたずら気な笑みを浮かべ、首を傾げる。流れた金糸の髪を耳に撫でつける仕草は、同性のパパナも見惚れるほど妖艶だが、瞳の奥の昏い輝きを見た彼女にそんな余裕は無かった。


「ですがこれで我が主にいい報告が出来そうです」

エリスイスは、ごみ掃除が終わった後に、主人に褒めてもらうことを想像し、本心からの蕩けた笑みを浮かべた。

仄かに上気した頬と、身じろぎした豊満な肢体から放たれる色香は、異性が見れば人生を捨ててでも飛びつきたくなるような『誘惑』を孕んでいた。

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