魔香
薄暗い地下の一室で彼女は目を覚ました。
密閉された石造りの牢屋。手足には拘束具が付けられ、壁に鎖で繋がれている。
「私は、負けて……」
体の芯から走る鈍痛で自身の敗北を知る。ミネルヴァはあの大男の一撃を防ぎきれず、昏倒したのだ。
そして連れ去られ、拘束されたのだろう。マインはどうなったのか。
ミネルヴァは自身の従者の安否を気にするが、同じ牢には誰もいない。唯一の出口は厚い鉄の扉で固く閉ざされており、牢の外の様子は伺い知れなかった。
ミネルヴァは意識を研ぎ澄まし、周囲の様子を探る。人の気配は何もない。
脱出するなら今だと考えたミネルヴァは、早速行動に移す。
ミネルヴァは魔力を流し、魔装術を発動させようとする。だが——
「魔力が、使えない?」
魔力が乱れ上手くいかない。
薄暗いせいで気づけなかったが、この鎖はアモンク鉱石特有の白濁した色をしていた。
魔力を乱す性質を持つ希少金属だ。魔装術が使えなければミネルヴァもただの人に過ぎない。
「起きたか」
どうにかして鎖が切れないかと格闘していたミネルヴァの元に、重厚な鉄の扉を開き姿を見せたのはバブブ公国第一王子のガードゥだった。
半ば予想していた黒幕の姿を睨みつける。
「……やはり貴方でしたか。下劣な」
ミネルヴァは吐き捨てるように侮蔑を告げた。
襲撃者の背後には、明らかに強力な魔術師の姿が見えていた。そして、学術都市内でミネルヴァの身柄を狙う存在となれば、第一候補はガードゥだ。
「君が私を受け入れればこんな手を取る必要は無かったのだがな」
ミネルヴァの冷ややかな視線に晒されてもガードゥは小揺るぎもせず立っている。まるで自分に非はないと言いたげだ。
「――ッ!目的は何ですか……!」
「知れたこと。君を手に入れることだ」
「……こんなことをした貴方を私が受け入れると?」
牢に繋がれていても彼女は王女だった。その目に毅然とした意志を宿し、ガードゥーを冷たく拒絶した。
「私を厭う理由が分からんな。資源の乏しい貴国は我が国との血の繋がりができ、優れた魔術師である私を婿に迎えられるのだぞ」
そしてガードゥはミネルヴァの全身を見る。そしてその目は彼女の下腹部で止まる。
「剣にも魔術にも才を持つ君は、優れた母体になる。私たちの間にできる子は、優れた魔術師になれるだろう」
その言葉にミネルヴァは、全身に鳥肌が立つのを感じた。
――悍ましい
女を子を産む術としか思っていない無機質な瞳もそれを当然と話す神経も、全てがミネルヴァには理解が出来なかった。
これならまだ性欲を向けられ、裸に剥かれたほうがましだと、心の底からそう思った。
「とはいえ、君は少し感情的なようだからな。ここで素直になり、共に旅立つとしよう」
「……旅立つ?貴方の目的は私との婚約のはず……」
ほんの小さな言い間違いかもしれない。それでも彼女には、それが何か恐ろしいモノの片鱗のように思えた。
「…………ふふッ、はははははははははははっ!そうか、そうだな、私としたことが口を滑らせてしまった!」
「何がおかしい!!」
くつくつと笑うガードゥを問いただす。
「もうじき我が祖国は滅びるのでな。国に帰れぬ私と共に行き、支えるのは妻となる君の役目だろう?」
酷く身勝手で、不穏なことを口にする。それでも核心までミネルヴァに教える気は無いのか、それ以上口を開こうとはしなかった。
「……何をされようと、貴方と結ばれることはありません」
「では後は任せたぞ、トレース」
ミネルヴァのせめてもの強がりを聞き流し、ガードゥは牢を出た。代わりに入ってきたのは黒髪黒目の特徴が無いのが特徴のような柔和な笑みを浮かべた男だ。
「どうも、どうも。では早速始めましょうか」
不気味な男だとミネルヴァの背筋に悪寒が走る。見たところ、魔具の類も武器も持っていない。それどころか、体裁きは素人同然で、魔術師特有の統制された魔力の流れも無い。ただの一般人だとミネルヴァの理性は判断している。だが、本能は、真逆の印象を与えていた。
「拷問でもするのですか?」
ミネルヴァは眦を吊り上げ、トレースと呼ばれた男を睨みつける。
だがトレースは、ミネルヴァの瞳に垣間見えた怯えの感情を見つけ、笑みを深くした。
「そうです、と言った方があなたは怯えますかね?」
「――ッ!下種が……!」
「おっと、そんな怖い顔をしないでください。拷問なんてしませんよ」
トレースはわざとらしく怯えながら、小さな壺を地面に置いた。
「この部屋で目覚めて違和感を感じませんでしたか?なんだか、嫌に窮屈だと」
壺を開き、中に燃やした木片を入れた。すると壺の中から桃色の煙が湧き出してきた。
「それはこの部屋は気体を逃さないような造りになっているのですよ」
「――なっ」
トレースは煙を避けるように扉を開き部屋を出た。
「貴様ッ!卑怯な!」
煙が蛇のように揺れながら、室内に溜っていく。だが鎖に繋がれたミネルヴァに逃げ道は無い。せめてもの抵抗とばかりに息を止め、鎖をでたらめに引っ張る。だが、身体強化のできない彼女の力では無駄な抵抗に過ぎない。
「――くっ!外れろ!外れてッ!」
「では、お姫様。魔香の香りをどうぞお楽しみください」
煙が室内に充満する。息を止めるも、それも永遠には続かない。
「――マイ、ン、お父様……」
彼女の意識は闇に落ちていった。
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