暗襲
大墓地への入り口は学院の中にもある。いわゆる裏口と言う奴だ。俺は墓石を押し上げ、地下から這い出る。
大墓地を出た後、俺たちは立ち止まり、どちらからともなく向き合う。
「……貴方がアンデットを取ったのかはわからないわぁ。何せ『イレギュラー』だもの。でも、分からない以上、これからは組めないわぁ。共同研究の話は無しにしてねぇ」
「そうだな、そうしよう」
予想通りの言葉に、用意していた言葉を返す。
「でも、楽しかったわぁ。ありがとう」
「こちらこそ、楽しかったよ。これからは学友としてよろしくね」
そう言って、俺たちは別れた。彼女の言うことは完全な冤罪だが、それを責めることもできない。だって俺も自分の無罪を証明できない。
「魔術師の嫌なとこだよなあ」
感情では何を思っていても、心の奥底には、合理的に算盤をはじく俺がいる。きっと彼女もそうだ。俺たちは似ている。
契約が無ければ、保証が無ければ、確信を得られなければ相手の全てを疑ってしまう。
ふと思う。地球にいた俺はこんな性格だっただろうか、と。
もう17年も前の話だ。薄れゆく記憶を月明りで照らしながら、俺は学院の巨大な門をくぐり、街へ出た。
初日から夜更かしし過ぎた。帰ったら、メイドたちが怒ってるかもしれない。脳裏にアニータの諦めたような冷笑が浮かぶ。あの子、淡々と詰めてくるから怖いんだよね……。作ったばかりの頃は、天然交じりのクール美少女だったのに、いつの間にかしっかり者の保護者みたいになってた。子供の成長は早いなぁ。
人気の減った通りを歩む。遠くに見える時計塔が、日付が変わったことを示している。魔石灯で照らされる路地にいるのは、飲み明かした酔っ払いや仕事帰りの疲れ切った人ぐらいだ。だからこそ彼女たちの姿が目立った。
「無礼者!離れなさい!」
学院の制服に身を包んだ女性と護衛らしき軽鎧の騎士が酔っ払いたちに絡まれている。
5人の酔っ払いに絡まれ、強く出るに出られず困っているみたいだ。
「へへへ。ちょっと飲みに誘っただけだぜぇ?一期一会ってやつ!」
「それとも酒場を飛ばしてその先に行きたいのかぁ!?」
「はははっ!下品だって。やめてやれよ、お嬢さんなんだからよぉ!」
あからさまな上流階級の人間に絡む貧民という光景はこの世界では珍しい。どこの国でも、貴族に無礼を働けば死刑になるのは当然だ。
だがこの都市は貴族の権力が削がれるからこそ、あんな馬鹿が出てくる。
『眠れ』
5人の酔っ払いが崩れ落ちる。寝息を立てる彼らを、2人の女性が困惑した顔で眺めるのは少し面白い。
「この都市は酔っ払いを撃退するぐらいなら捕まらないよ」
突如現れた俺に護衛騎士が警戒の眼差しを向けるが、俺が学生だと知り構えを解く。堅物そうな顔立ちを見るに、素直な騎士様と言ったところだろう。
少し警戒心が浅いように見えるが、大丈夫なのか。
「彼らに何を?」
倒れた彼らを気遣うように、騎士の後ろにいた波打つ藍色の髪の女性が問いかける。
「軽い呪詛をぶつけて眠らせただけ。そんなことを気にするなんて、野盗まがいの輩にも優しいんだね、君」
揶揄いを含んだ俺の口調に、護衛の女性がむっとした表情で口を開こうとするが、主に止められる。
「手助け感謝します」
彼女はそれだけ言い残し、去っていった。その背に護衛が続いた。その姿はまるで、面倒ごとに関わりたくないと言いたげだった。
□□□
「姫様、よろしかったのですか?」
「はい、彼らは学術都市の裏の人間たちです。首を突っ込んだのなら、彼に任せましょう」
この学術都市にも犯罪組織は存在する。彼らはミネルヴァたちを口説くために、その一員だと自慢げに語っていた。真実かどうかは不明だが、そんな怪しい者どもとデルウェア帝国の皇女であるミネルヴァが関わるのは問題だ。
ミネルヴァたちは使い魔を放ち、憲兵の到着を待っていた。そこに手を出し、魔術で昏倒させたのは白髪の少年だ。なら、彼の自己責任だ。冷たいようだが、ミネルヴァはこれ以上干渉する気は無かった。
石畳を行く。調べ物で学院に残っていたせいで、真夜中になってしまった。彼女は足早に帰路を急ぐ。
だんだんと人通りが少なくなり、そして消えた。
魔石灯の明かりが通りを照らし、重い曇天の合間から覗く星の輝きが家路へと導いていく。まるで、この世界にミネルヴァとマインしかいないようだ。
いや、事実、この周辺には彼女たちしかいない。
「構えなさい、マイン」
「ッ……!」
通りの脇に立ち並ぶ家屋の屋根に複数の人影が浮かび上がる。そしてミネルヴァたちの前方にも人影が現れた。
その男は巌のような巨体を誇っていた。隆起した肉体を黒い薄布で覆い隠しており、その手には巨大なメイスを握っているが、男が持つとまるで小さな枝葉のように見える。
男は低く、重厚な声で警告を発した。
「デルウェア帝国第一皇女ミネルヴァ・デルウェラス。おとなしく付いて来い。主がお呼びだ」
「………なるほど。先ほどの酔っ払いたちは、貴方たちの仕業ですか」
いくら王族の権威が通じづらい学術都市と言えど、魔術学院の制服を着た者に絡む者はほとんどいない。なぜなら彼らはこの都市の宝であり、学院の生徒に手を出せば、重い処罰が下る。
そしてそれは同時に、魔術師以外の住人と街を守るための者でもある。魔術師が戦えば、都市にも大きな被害が出る。そのため、この都市は魔術師が戦わないですむ法を作っているのだ。
そんな学院の生徒に、都市にマークされている犯罪組織の一員が絡むのは明らかにおかしい。恐らく彼らは魔術で精神を刺激され、欲望を喚起されたのだろう。そして自制心を失い、ミネルヴァたちに絡んだ。恐らくは、隠れ蓑として。
もし、ミネルヴァに何かあれば、疑われるのは大衆の面前でミネルヴァに絡んでいた彼らだ。
そのことから分かるのは、この襲撃は用意周到な計画だということ。大規模な人避けの結界と言い、強力な魔術師が関わっている。眼前の大男からは魔術師特有の気配は無く、純粋な戦士に見えるため、伏兵の存在も警戒する必要がある。
男は答えない。必要最低限の警告を発した後は、黙してミネルヴァの動きを観察している。その蛇のような無機質な瞳に気圧されながらも、ミネルヴァは言葉を重ねる。少しでも多くの情報を抜き出すために。
「……いったい誰のお招きでしょうか?こんな夜分遅くに礼を失しているとは思いませんか?」
「やれ」
男はミネルヴァとの会話を楽しむ気は無い。明らかな時間稼ぎを見破り、部下たちに指示を出す。
屋根の人影が飛び降りる。彼らは艶消しをした黒い短剣を構え、蛇のような動きで二人に近づく。
「シャアッッ」
護衛騎士であるマインが短剣を剣で弾き、返す刃で切り伏せる。だが死体の臓腑を貫き、短槍が伸びてくる。
「こいつら、暗殺者か!」
仲間の死にも動じず刃を振るう狂人たちに、マインは冷たい汗が滲む直剣の柄を握りなおす。
彼らは時に己の身を刃の元に晒して刀身を止め、仲間諸共不気味な短剣の餌食にしようとする。命をも駆け引きの勘定に入れる暗殺者の戦い方に、ミネルヴァたちも苦戦を余儀なくされる。
「ッツ!」
上段から振り下ろした剣で短剣諸共両断する。
「――いつっ!」
激しい足運びで前後から襲い来る暗殺者を同士討ちさせ、鋭い剣閃が喉を裂き血を溢す。力、速さ、技、その全てがミネルヴァが遥かに上回っている。彼らがどれだけこようとミネルヴァの剣は全てを防ぎ、切り伏せるだろう。そのはずだ――
敵の屍が積み重なる。刃が血に染まり、されど彼女の身に傷はない。順調に敵を屠っている。それにも関わらず、どうして先ほどからマインの悲鳴が消えない――
「姫様ッ。こいつら、私をッ!」
敵の猛攻が一息止む。その時ようやく、ミネルヴァは血まみれのマインの姿を見た。防ぎきれなかった刃が鎧の隙間から彼女の身を削っていた。
(マインが集中攻撃されている……!私を狙ってきたのではないの!?)
ミネルヴァは戦闘力の高い自身を避け、マインにばかり集中する敵の狙いが分からなかった。強者が弱者を纏めて薙ぎ倒すことも珍しくないこの世界の集団戦では、真っ先に倒すべきなのは強者だ。戦いのセオリーでは、雑兵で強者の体力を削るはず。例外があるとすれば……!?
それに思い至ったとき、ミネルヴァは弾かれたように視線を戻した。道の中央に立つ巨躯の男へと。
「そろそろ出るか」
例外があるとすれば、強者を倒しうる更なる強者がいる場合だ。暗殺者たちは一斉に距離を取る。
男が肩にメイスを担ぐ。それを見てミネルヴァは、暗殺者たちが引いた理由が分かった。あれは、体勢を立て直すためでも諦めたわけでもない。ただ、戦士へと道を開けただけのこと。
大地を丸太のような巨脚で踏みしめる。弾丸のような速度で突っ込んできた男は手に持つ巨大なメイスを横に薙ぎ払った。
速い。ミネルヴァをしても、見失いかねないほどの速度で大型武器を振るう。
血を失い、意識が消えかかっているマインはそれに気付けない。そして彼女では、その一撃を耐え切れない。
「――ッ!」
覚悟を決め、武技を発動させる。
武技『不動』。不動系統の武技の初球の技だが、優れた剣士であるミネルヴァが使えば猛牛の突進すら耐える防御力をもたらす。
だが、一閃。
凄まじい金属音が鳴り響き、ミネルヴァの肢体は建物を突き破り、砲弾のように飛んでいく。悲鳴は無い。声すらも叩き潰された。きっとミネルヴァは、己が敗れたことにすら気付かなかっただろう。やがて、幾度かの激突音の後、彼女の身体は数通り先の道に横たわった。
「姫さッ――」
「眠れ」
マインの頭に巨大な手の平が覆いかぶさり、沈む。
「ガッ……!」
石畳を砕き、マインの身が沈む。
「あの女を回収しろ。……派手にやり過ぎた」
男は通りの惨状を憂うように小さく呟いた。人避けの結界を張っているとはいえ、嵐の過ぎたようなこの痕跡は消せないだろう。
男達は気絶したマインには見向きもせず、闇夜へと消えていった。
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