都市の夜

「つけられています」

「だねー」

市場を歩きながらヴィーアこと、ゼノヴィアが忠告してくる。一定距離を保ってついてきている人影が5つ。俺も使い魔越しに確認していた。


「それより、見なよ。珍しいものがたくさんだ!あれは南の香辛料かな?」

市場は大勢の人で賑わっている。活気の溢れるその場所には、エリーゼ半島には無い騒がしさがあった。

通りの露店には南方から輸入された香辛料が大壺に入れられ、きらきらと砂金のように輝いている。学術都市から輸入された魔具を売る胡散臭い獣人が、人間の男に値切られて不機嫌そうに耳を揺らす。

エルフの麗人が反物を買い取り、袋に仕舞う。あそこで魚を売るのは漁師だろうか。日に焼けた健康的な肌が太陽で輝いている。


「1キロちょうだい」

露店の日除けを捲り、恰幅のいい女店主に声を掛ける。指さしたのは、真っ赤な香辛料だ。この距離でも刺激的な香りが漂ってきている。

「あいよ!銀貨一枚だ!」

俺は金貨を指ではじき、彼女に渡す。店主はそれを秤にかけてから、麻袋に香辛料を詰める。


「どうぞ。おすすめは焼きだ!火にかけると香ばしいよ!」

「ありがとう。試してみるよ」

袋を受け取り、露店を後にする。すると、通りで騒ぎが起こっていた。小さな人だかりができており、その中心にいたのはゼノヴィアと身なりの汚い男だ。

ゼノヴィアは曲剣を鞘を付けたまま構えており、足元には血塗れの男が倒れていた。男はおかしな方向に曲がった腕を抑え、唸っている。

うわぁ、早速揉めてるよ。


「何してんの?」

「ゼノン様。このゴミが私に触れようとしたのです。……殺しますか?」

こてん、と頭を傾け聞いてくる。ゼノヴィアのスタイルはローブを纏っていてもまるで隠せていない。

むしろ、隠したことで身体の曲線が浮かび上がっていて刺激的だ。不埒なことを考える男の一人や二人、寄って来るだろう。


俺に殺しの許可を取るその声音には、男を半殺しにした罪悪感は全くなく、俺が殺せと言えば、躊躇いなく殺すだろう。

「殺すわけないでしょ。痴漢未遂で殺人はやばいって」

殺せば俺たちが牢獄行きだ。せっかく冒険者になったのに、一日で犯罪者はきつい。


「……そうですか」

不満そう…。彼女の人間軽視にも困ったもんだ。まるで人間社会の制度を守る気が無い。いや、殺さずに俺に指示を仰ぐところを見ると、少しは気を使っているのか。

「痴漢は指を折るぐらいにしときなよ。それで懲りるでしょ。ごめんなさいね、俺の連れが」

「うぐっ…」

俺はしゃがみ込み、男の肩に手を置く。その衝撃が傷口に響いたのか、ひと際大きいうなり声を出した。


俺は右手の人差し指に嵌めた指輪に魔力を込める。青い聖晶石が嵌まった石に刻まれているのは、治癒魔術だ。人間の再生能力を活性化させる魔術である。

青い輝きが聖晶石から放たれ、男の身を包む。すると、体中に負っていた打ち身や骨折が癒えていく。


「アンタも触ろうとしたんだし、これで手打ちにしよう」

震える男に構わず俺は立ち上がり、ゼノヴィアを連れ、去っていく。後に残されたのは、ひそひそと語り合う群衆と、見世物になった男だけだった。

男は立ち上がり、市場から去っていった。その様子は、さっきまで死にかけだったとは思えないほど、元気なものだった。


□□□


俺は未だにしつこく尾行してくる男達を無視しながら、今夜の宿に向かう。川沿いを歩き、都市の端の方へと向かう。

川べりでは子供たちが服を脱ぎ、水をかけあって遊んでいる。清らかな大河には魚の姿が複数見える。

この河はココラカ都市の生活を支える水源なのだろう。しばらく歩くと、大きな建物が見えた。石造りの白い建造物は、高級感溢れる佇まいだ。


「なかなかですね」

「そうだろ?」

人間に厳しいゼノヴィアさんにとってもOKみたいだ。何気に高級志向の龍人さんであった。

俺はホテルの中へと向かう。入り口のすぐそばで、仕立てのいい服に身を包んだ男性が立っており、俺たちの方へと向かってくる。


「ようこそ、ホテル、リーオ・ペスカードに。紹介状はお持ちですか?」

彼はにこやかに笑い、姿勢よく立っている。ゼノヴィアに見惚れるような失礼も無い。プロだ……。

「これを」

俺が手渡した書状を開くと、僅かに驚愕を見せる。だがすぐに平静を取り戻し、「お部屋へ案内いたします」と恭しく続けた。


あの書状を書いたのは、ウェルミス商会の幹部だ。デネス王国に本拠地を構える大商会で、革新的な魔具の販売で確固たる地位を占めている。

そんな王国の経済に深く関わっているウェルミス商会、実はアリスティア家の傘下組織だ。


師匠の時代に生み出されたホムンクルスが立ち上げた商会であり、『種』の一員だ。主に外部の資源の収集と外貨の獲得を担っている。

『種』は、外で活動するホムンクルスの配下たちの俗称だ。その中でも情報収集を担当する者たちはベルドーナの元に組み込まれた。


だが宙ぶらりんになった商業系の配下たちは、扱いに困り、クライに任せている。クライはアリスティア家全体の管理や、下から上がってきた情報の精査などの業務を行っている。

彼のお陰で、俺は必要最低限の書類を見て指示を出すだけで済んでいる。


そんな俺たちが冒険者になったのは異世界転生のテンプレだからとか、楽しそうだからとかではない。断じてない。

俺が冒険者になったのは、魔物の情報が欲しいからだ。今もベルが大陸中に配下を放ち、情報網を作っている最中だが、それでもギルド内の地位はあったほうがいい。


冒険者ギルドは大陸中に広がる大組織であり、魔物の脅威から人々を守る守護者だ。そのため、ギルドの元には大陸中の魔物の情報が集まって来る。残念ながら、ランクの低い冒険者には教えてもらえないようだが、問題ない。俺とゼノヴィアならすぐにランクを上げることが出来るだろう。

できれば、エリーゼ半島にいない魔物の素材が欲しい。

俺は部屋に入り、ソファに腰を下ろす。本革を使ったソファは、俺の身体を柔らかく受け止める。


「ゼノヴィアも寛ぎなよ」

「はい」

ゼノヴィアはローブを脱ぐ。フードの下から抑えられていた銀糸の髪が溢れ出しさらりと流れる。うす布の下に隠されていた白い民族衣装と褐色の肌が晒され、艶美な色気が漂う。


「やっぱり、窮屈です」

ゼノヴィアの頭から二つの黒い角が生え、腰元から黒い鱗に覆われた尻尾が生える。翼はいつもしまっているのに、角と尻尾は別なのか。複雑な生態だ。

彼女は俺の隣に腰を下ろし、テーブルの上に置かれたワインをグラスに注ぐ。そしてそれを、俺の前に置いてくれた。


「どうぞ、主様」

「あ、うん。ありがとう」

めっちゃ近い。俺の足が、ゼノヴィアの瑞々しい太ももに触れる。布越しに感じる体温は俺よりも高く、彼女の高い新陳代謝を表している。

気付けば彼女は、俺の腕に手を絡めていた。別に拘束されているわけではないが、それでも彼女の大きな果実が腕一面に触れる。横を見ると、彼女の大きな黄金の瞳が俺をじっと眺めていた。


「ベッド、一つしかありませんね」

低い声が耳朶をくすぐる。後ろを見ると、天幕付きのキングサイズのベッドが鎮座している。ホテルマンが気を利かしてくれたのだろう。余計なお世話だ!

俺はゼノヴィアの獲物を狙う龍の眼差しに気づかないふりをしながら、ワインを口に含んだ。


「おいしいなあ…。あ、ところで君が従えた竜種はどうなったの?」

妙にしっとりとした空気を変えたくて、話題を変える。そういえば、ゼノヴィアは以前、エリーゼ半島の調査を依頼した際に竜種を従えたと言っていた。彼らはどうなったのだろうか。


「ああ、奴らですか。見込みのある者には『人化の法』を教えました。帰るころには紹介できるかと。…不出来な者たちですが、名前をいただけると奴らも喜ぶでしょう」

「あ、うん。考えとくよ」

『人化の法』は竜種や一握りの魔物が使える武技のような異能だ。習得難度は高く、人化できる竜は知性と力を兼ね備えた上位種だけ。魔物のランクで言えば、Aランクの魔物だろう。

それを不出来って…。流石はゼノヴィアさん。同種の魔物には厳しい所もクールです。



夜、ゼノヴィアを酒で酔い潰しベッドに運んだ後、俺はバルコニーに出て夜風で涼んでいた。とんでもないうわばみだ。

龍の因子を持つだけあって酒は好きなのかどんどんグラスを開けていた。俺も彼女に合わせて酒を呑んだため、かなり身体が火照っている。

魔術を使えば体内のアルコールを分解できるが、それは風情が無い。せっかくゼノヴィアと初めて飲んだ夜なんだ。酔いを残しておくのも悪くない。


微かに記憶に残る前世の歌を口ずさむ。

いい景色だ。郊外だから夜街の喧騒とも無縁で、川の流れる穏やかな水音だけが耳に届く。立地もサービスも全てが最高だ。

一週間予約しているが、延ばしてもいいかもしれない。そんなことを思っていると、バルコニーの手すりの影が膨れ上がった。


「どうした?」

手すりの影は立体となり、人影を形作る。ひょろりと長い線のような手足とのっぺりとした顔を持つ影の人型。ドッペルゲンガーだ。彼は確か、ベルドーナの呼び出した配下の悪魔だ。


「報告が。この都市に、神の聖印を宿すものが近づいています」

神の聖印?確か、神の加護を受けたものの身体に現れる印だったか。有名なのは聖人国カルドゥーナの神聖騎士団の聖騎士だ。たった7人しかいない彼らは、聖人国の最大戦力として、大陸中に名を轟かせている。


「聖騎士?」

「不明ですが、一人はあまりに濃い神の力を宿しています」

「一人は、ということは複数いるのか…。面倒だな」

「二人確認しております。彼らの仲間も手練れのようです」

うーん。誰か分からないな。この都市に神の使徒が来るような目的があるのか?

それともどこかに行く途中か。どちらにせよ、タイミングが悪い。

それに、あまりに濃い神の力、というのも気になる。


「見張りますか?」

「見張らなくていいよ。別に用事もないし、放っておこう」

間髪入れずに否定する。聖印持ちは不思議な力を持つという。下手に探って敵対されるのが一番最悪だ。狙われる心当たりも無いし、放置が無難だ。

「君たちもしばらく潜んでおいてくれ。……見つからないようにね」

「はい」


そう言って、ドッペルゲンガーは闇に溶け、消えていった。この都市には、ドッペルゲンガー以外も悪魔たちが潜んでいる。

彼らはベルドーナが召喚した魔界の配下たちであり、俺たちのバックアップのためにこの都市に潜んでいる。だが、聖印持ちが来るとなれば話は別だ。

大抵、神だの聖人だの言ってくる奴は悪魔が嫌いなのだ。悪魔が見つかり、俺と結びつくことは無いとは思うが、念には念を入れておこう。


「んぅ…。主様ぁ?」

気付けばゼノヴィアが起きて、バルコニーに出てきていた。彼女は眠そうに目をこすりながら、ずれたネグリジェの肩ひもを直している。

すっごい格好だ。黒い丈の短いネグリジェは色々透けていて目のやり場に困る。多分、古代文明の下着をリリエルさんに作ってもらったのだろう。

肩ひもはきつそうに張っており、それが支える物の重さが一目で分かる。しなやかな剥き出しの足が揺れ、近づいてくる。


「な、なに?」

あんなに泥酔していたのに、もう目覚めたのか。……流石龍だ。

彼女は無言で、眠そうな顔のまま、俺の腕を掴み引っ張って来る。

「んんぅ…もう寝ましょう」

「え、あ、ちょっと」

龍の力に抗えず、引っ張られていく。俺はそのままベッドに引きずり込まれ、ゼノヴィアに抱き着かれた…!


「あ、やば」

彼女はその長身を生かし、俺の全身に密着してくる。

めっちゃ柔らかい。温かいし、いい匂いがする。エキゾチックな香りに鼻腔が犯され、柔らかな肌が素肌に触れ、手の置き場に困る。

文句を言おうと彼女の方を見ると、既に穏やかな寝息を立て、眠っていた。


「……おやすみ、ゼノヴィア」

俺も諦め、眠ることにした。

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