龍竜戦争

ある日のこと、雪の降り積もる山脈の頂上に彼女の姿はあった。山頂は雲よりも高い位置にあり、本来であれば雲と吹雪に阻まれ地上の様子など伺い知れない。

だがそんなものを気にする様子もなく、彼女は周囲を睥睨する。


「使えるのはいるかしら」

強力な魔物が住まう厳冬山脈でも、彼女に襲い掛かる魔物はいない。彼らは本能で理解している。あれには勝てぬと。

銀髪褐色肌の妖精龍人、ゼノヴィアは待っている。魔物の本能を飲み込んでも、己を見下す者に噛み付かんとする命知らずを。


待つこと数刻、それは来た。まず聞こえたのは地響きだ。大きな足音が空気を揺らし、雪を崩す。吹雪を割って現れたのは、四足の竜だ。翼は無く、太く頑強な四肢を持っている。その全身から獣のような黒い体毛を生やした地竜は荒々しく咆哮を上げた。


「まず一匹」

獣の竜に続き、現れたのは氷の竜だった。雲を割り、氷結の鱗が微かな陽の光を反射し、美しく輝く。しなやかな身体に白い鱗。氷を纏い優雅に飛ぶ姿は一個の芸術のように美しい。笛の音のような綺麗な咆哮を上げ、滞空しながら吹雪を纏う。


その氷の竜の後を追うように、真っ赤な溶岩が現れた。氷の竜は煩わしそうに息吹を吹きかけ、溶岩を凍らせる。

雲海を割り、現れたのは真っ赤な竜だ。その全身から熱を放ち、体の各所に付いた噴出口から煮えたぎる溶岩を溢している。

力強く宙を舞うそれは氷の竜を睨みつけながら、荒々しく着地した。


「獣地竜に氷凍竜、それに溶岩竜ね。悪くないわ」

いずれも、冒険者ギルドによりSランクに分類される強力な魔物だ。単独で国を脅かす力を持つ災害たち。年を重ね、力を蓄えれば、龍に至るほどの素質を持つ終焉の雛だ。


その三体は、山頂に立ち、膨大な魔力と殺気をまき散らしていたゼノヴィアに殺意の眼差しを向けている。

厳冬山脈の山頂に住まう魔物はいない。なぜならそこは、王者の証。山脈に住まう三体の竜たちは、決して山頂に至るものを許さず、また彼ら自身も互いにけん制し合っていたため、不足の地と化していた。


そこに土足で踏み込み、我が物顔で魔力を垂れ流したのだ。三体の誇り高い竜は、それを見過ごさない。例え、己よりも格上の血を嗅ぎ取っていたとしても、龍の誇りが諦観と無視を許さなかった。


ゼノヴィアは黒革の鞘から《火炎龍》を引き抜く。ゼノンが作り出した、龍の魔力に耐えられるカットラスであり、外界で出回れば、国宝にもなるほどの品だ。

緋色の刃を炎の魔力を舐める。それが、開戦の合図となった。


『ガアアアアアアアアアアアァアァッ!!』

雪を爆発させながら突進してきた獣地竜が鋭い爪を振り下ろす。ゼノヴィアはそれに対し、武技を発動させる。


「『超流水』」

攻撃を受け上がす上級武技を発動させ、爪を受け流す。力の向きを変えられた前脚が地面に叩きつけられ、岩盤と積雪を吹き飛ばした。

ごうっ――と巻き上げられた雪の粉が山頂を覆い尽くす。


雪に隠れた敵の姿、そして未だ感じたことのない攻撃が受け流されるという異常事態に混乱を感じた獣地竜は、四肢で地面を踏みしめ、後退しようとした。

だが、獣地竜が溜めた力を開放するよりも早く、爆心地に溶岩弾と極寒の『息吹』が叩きつけられた。


グオォォオオッ、と熱に焼かれ、身を凍らされた獣地竜が悲鳴を上げる。重症。だが、命に関わるような傷は負っていない。同格の竜の『息吹』をまともに受けてその程度の傷で済むのは、驚くべき耐久力と言える。


だが直撃を受けたゼノヴィアは無傷。全身から膨大な炎を発し、それを身に纏うことで灼熱の鎧を作り出していた。溶岩も氷結も近づくだけで焼き尽くされ、彼女の身には届かない。

ゼノヴィアは、僅かに痺れた手と、未だ倒れない獣地竜を見て、警戒心を抱く。この竜は三体の中で一番身体能力が高い。純然たる肉体能力だけで、ゼノヴィアに迫るだろう。


「今度は私の番ね」

ゼノヴィアは翼を出し、空を叩いた。音の壁を越えた彼女は獣地竜の懐に入り込み、『火炎龍の鉤爪』を放つ。武技としてゼノヴィアが編み出し、世界に刻まれた彼女だけの技だ。

稀代の錬金術師が作り出したカットラスは容易く竜の鱗を切り裂き、内包した龍炎を注ぎ込む。爆発のような炎の濁流に押され、獣地竜は悲鳴を上げながら、倒れる。

たった一撃。それだけで、竜の頑強な肉体は地に伏した。


「後二匹。手早く片付けましょう」

ゼノヴィアが次に狙ったのは氷の竜だ。ブレスを放ったまま、距離を取っている竜に手を向ける。手のひらから噴き出した炎は真っ直ぐに進み、氷凍竜の全身を包む。氷凍竜は全身にやけどを負いながらも、冷気を操り、自分の身を守る。だができたのはそこまでだ。突如、地上から奇襲してきた溶岩竜の突撃を喰らい、氷凍竜は体勢を崩す。そして溶岩竜は、氷凍竜の首元を掴み、地面に叩きつけた。


大地をつんざく爆音と共に山頂の山肌が砕け、氷凍竜は力なく鳴き、倒れ伏した。その身体の上で、溶岩竜は勝利の咆哮を上げた。

「何をしているの?」

だがその咆哮は、頭上より響く不機嫌な声に搔き消された。溶岩竜が頭上を見上げると、そこには龍の気配を漂わせる人間の姿があった。

龍の気配がするとはいえ、所詮は人間。邪魔な氷女を倒した後に殺そうと考えていた。だがその楽観は、人間が掲げた腕の先に、膨大な魔力が漂っていることに気づいたことで消え去った。


「私が倒して調教するつもりだったのに、あなたが倒したら意味が無いでしょう」

その腕の先に揺蕩うのは精霊だ。大気を漂う風の精霊を集め、使役する。一体一体は弱い精霊でも、集まることでその規模は嵐にも匹敵する。


『暴れ狂いなさい!』

腕が振り下ろされる。――大気が歪んだ。溶岩竜にはそう見えた。次の瞬間、溶岩竜は全身を押しつぶす圧力を感じ、意識を失った。

その日、エリーゼ半島最高峰の山の標高が少し、縮んだ。


□□□


「ど、どうしようかしら……」

主様の山を壊しちゃった。本来はここまで派手にするつもりは無かった。

ゼノヴィアは力なく横たわる溶岩竜を苛立たし気に蹴る。急に仲間割れを始めるやつは無能だって主様も言っていた。だからすべてはこいつのせいだ。


ゼノヴィアは敬愛する主の言葉を思い出し、責任を全て弱弱しく鳴く竜に押し付けた。ゼノヴィアは本来、気が長くも無ければ、寛容でもない。

ただ、主にだけはだだ甘な暴君だ。


「まあ、いいわ。こっちに来なさい」

ゼノヴィアは溶岩竜の角を持ち、引きずる。数十トンはあろうかという巨体が、細腕に引きずられる様は、現実離れしていた。


「私、思うのよ。どれだけ私よりも弱くても人手は必要だって。だから私も素直で使える奴隷が欲しいの」

山頂に戻った後、氷凍竜を引きずり、一か所に纏める。そうした方が都合がいいからだ。


「クライやベルドーナはその数で主様の財産を守り、サポートを任されている。私も何かお役に立ちたいわ」

孤高の妖精龍人としてゼノンに生み出されたゼノヴィアには、同胞と呼べるものも仲間と呼べるものもいない。ベルドーナやクライは共に主に仕えるものだが、あれは仲間と呼ぶには腹黒いし、従順ではない。いい所仕事仲間だ。


ゼノヴィアは協力できる仲間がいないことを密かに気にしていたのだ。だがそれを、主にいうことは出来なかった。ゼノヴィアを孤高の種族として作り出したのは、他ならぬ主であり、そのことに異を唱えることは出来ないからだ。それは、ゼノヴィアの忠誠心に反する行動だ。

だからゼノヴィアは仲間――世間一般では奴隷と呼ばれるもの――を探しに厳冬山脈に来たのだ。


彼女は懐に収めたアイテムポーチから一つの杖を取り出す。大きな宝玉を二匹の蛇が支えるようなデザインのそれは、彼女の主、ゼノン・アリスティアが作り出した回復用の魔具だ。

黒い獣地竜はゼノヴィアが半殺しにし、バカな赤トカゲのせいで氷凍竜も大けがを負っている。ちなみに赤トカゲこと溶岩竜もゼノヴィアの精霊魔法を喰らい、全身の骨が折れていた。


ゼノヴィアはその魔具を掲げ、起動した。宝玉に宿った魔力が杖の魔術回路に流れ、青く輝いた。その瞬間、


□□□


それは、初めからずっとそこにいた。いや、厳密にはいない。半精神生命体の彼女はこの世ならざる次元に身を隠し、機を窺っていた。ひっそりと草陰に潜む毒蛇のように狡猾に身を伏していた。

その時は来た。龍人が魔具を発動させた瞬間、彼女は持ちうる力を全て出し、夢の世界へと誘った。


空中から滲みだすように、彼女は現れた。紫の鱗を持つ細身の竜。その全長は尻尾の先までを含めても三メートルほどで竜の中でも特に小柄だ。だがその身に宿す力は他の三体と比べても遜色はない。


彼女に名はない。その種族にも名はない。未だ誰にも見られたことはないその希少種を名付けるとすれば、夢幻竜。

夢を操る異能を持ち、悪夢に悶える獲物を食す竜種である。


獲物が確実に眠りに落ちたのを確認し、足音を立てずに近づく。いつもであれば、手足の先から食べるのだが、この相手は別だ。なぶる余裕は無いため、その首に牙を立てようと近づき、褐色の繊手に掴まれた。


『――ッ!!』

万力のような力で締め付けられ、気道が閉まる。手足と尻尾を振り回し暴れるが、元々彼女の種族は力に長ける種族ではない。なけなしの抵抗は握りつぶされ、今度は彼女が眠りについた。


「チッ……。やられたわね」

彼女は掴んだままの竜を放り投げる。彼女は本当に眠りについていた。もしも起きるのが遅れていたら、首元を噛みちぎられていたかもしれない。


「やっぱり、魔物は厄介ね。……妙な異能持ちがいる」

魔物は本来、魔術を使わない。使う必要が無い。ゼノヴィアが炎を操れるように、この竜が夢へと誘えるように、魔物は独自の『法則』をその身に宿している。

それを顕在化させることで現象へと変えるのだ。ある意味、魂に刻まれた魔術とも言える。


ゼノヴィアの持つ『法則』には、治癒は無い。そのため、彼女は魔具を発動させ、傷ついた竜たちを癒した。

穏やかな光が消えた竜たちは、寒さに凍えるように、あるいはこれから起こる恐怖に怯えるように身を震わせた。

ゼノヴィアはそれを見て、満面の笑みを浮かべる。逆らうなら、素直になれるまで切り刻むつもりだったが、斬っては癒してを繰り返すのは面倒だったので、4体が従順なことにゼノヴィアは満足だった。

「それじゃあ、決めなさいな。私に仕え、主様のために誠心誠意、命と尊厳を捧げて奉仕をするか、死ぬか」

無茶苦茶な二者択一。後者を選んだものは、いなかった。

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