悪魔

手元の魔具を見ると、ゴーレムの位置を示す点が動き出した。あの怠惰の眷属にエネルギーを吸われて動けなくなっていただけのようだ。異常が無いなら、このままレイラインの調査をしてもらおう。


もう外での用事は無くなった。怠惰の眷属が消えたことで、エネルギーを吸われ枯れていた広間に魔力が流れ込み始めた。すぐにこの場所にも緑が戻り、精霊たちが踊り始めるだろう。


エリーゼ半島の異変はひと段落。この後は、手に入れた肉片を使っていろいろしてみようか。

俺は転移を使い、城へと戻った。



俺は足早に培養室へと向かう。多数の培養槽が並ぶその部屋は、ゼノヴィアの目覚めと共に砕けたが、今は修復されている。


俺は制御室に入り、コンソールパネルを操作する。まんま機械みたいだが、これは俺が作ったものではなく、いつかのアリスティア当主が作ったものだ。

この世界は、中世ヨーロッパみたいな世界観のくせに、大昔の高度な魔術文明のせいで、機械みたいなシステムが所々で残っている。

聞いた話によれば、帝国にも機械を生み出す遺物が残されているそうだ。


「減ってるな」

成人体のホムンクルスがいくつか減っている。どうしてかと思ったが、よく考えればクライの分体用に使っていいと言ったのだった。

だが、胎児の状態で意図的に止めていたホムンクルスは残っている。俺が用があるのはそっちだ。挿入口をアンロックし、先ほど作った「溶液」を注ぎ込む。


これは、怠惰の眷属の死体から抽出した生体因子だ。これを、ホムンクルスに組み込む。そして悪魔の因子を持つホムンクルスを生み出すのだ。

とは言っても、悪魔の因子は強力だ。薬と魔術で調整しても、9割9分死滅するだろう。だが、一体でも生き残ればそれでいい。


他にすることも無かったので、制御室で座って結果が出るのを待つことにした。読む本はこれ、「デネス王国と貴族たち」だ。王国の貴族制度と王との関係性を記した政治書だ。歯に衣着せぬ内容は、学術都市アルフィアのものだからだろうか。


「王国は、貴族の権力が強く、王族派と貴族派の権力が釣り合っている。これが貴族派に傾けば、王国は危険な状況に陥るだろう……。こんなこと書くから禁書扱いされるんだよ……」

この世界は、前世の民主主義国家ではない。国にとって不都合な内容はもみ消されるものだ。そのため、どこの縛りも受けない学術都市の書く本は、他国にとって都合の悪い物も多く、大抵禁書になる。


きりがいいところまで読んで、パネルを見ると、ぼこぼこホムンクルスが死んでいる。ただでさえ身体が弱い胎児に悪魔因子は無理があったか……。でも、体が完成する前じゃないと、最高の器が作れないし…。

本を一冊読み終わったころ、残ったホムンクルスは数体だけだ。


「安定したな」

無事に悪魔因子は定着したようだ。俺は残ったホムンクルスの中で、最も魔術適正と魔力量が多い個体を選び、投薬を開始する。

肉体の成長を促進し、魔力を増やす。魔素と薬の割合を調整し、体内の悪魔因子の活性化と定着を繰り返させ、肉体に耐性を持たせる。そしてさらに追加の「溶液」を入れる。

それを繰り返すことを一晩、眼前のホムンクルスは、10代半ばほどまで成長していた。


「うん、完璧」

自画自賛したくなるほど、いいのが出来た。これほどの器は、アリスティアの魔術師にしか生み出せない。これならことも無いだろう。


「リリエルさん。ホムンクルスを一体、儀式場に運び出してください」

『少々お待ちを。手が空いたものを回します』

「ゆっくりでいいよ。急ぐものじゃないし」

通信用の魔具をしまう。最近、研究の増加と住人の増加により、リリエルさんの手が回らなくなってきた。彼女以外にも、ホムンクルスのメイドたちがいるが、それでもまだ手が足りない。


今も学習装置をフル稼働させ、ホムンクルスたちを作っている。使用人以外にも、料理人、庭師などの専門知識を学習させたホムンクルスも次期に生まれる。そうなれば、この城の管理やサービスも満足いくものになるだろう。


□□□


儀式場。それは文字通り、儀式をする場所だ。とはいえその実態は、内部を外部と隔離する巨大なシェルターだ。今その中にいるのは、俺と器のホムンクルスと、ゼノヴィアだけだ。ゼノヴィアは、万が一の護衛として置いている。


俺は水銀を使い、地面に巨大な陣を書く。

魔術とは、情報世界イデアに術式を投射することで発動させるものだ。そのため、魔術師には魔力の他に、情報世界イデアを知覚し、干渉する能力が必要となる。


だが、魔術師でなくても、魔術を発動させる方法はある。その一つが、物質世界に刻んだ陣に、「術式を情報世界イデアに投射する術式」を組み込むことで、魔力を流すだけで魔術を発動させる方法だ。


広く一般に普及している魔石灯や魔道具には、魔力だけで魔術が発動するように加工されている。この「術式を情報世界イデアに投射する術式」は、魔術史における最大の発明だと言う者も少なくない。


俺が地面に敷く陣もその類だ。発動させる魔術を補助し、「門」を維持する座標の役目を担っている。

とはいえ、複雑なものでも無い。単純作業に飽きた俺はゼノヴィアと雑談することにした。


「ゼノヴィア、調査の進捗はどう?」

「順調です。クライも分体を増やし、半島中に派遣しています。私も手懐けたトカゲ共に空の魔物を探らせています。中には、危険な魔物も多くいました。なので、昨日のようなお一人での外出は控えていただきたく……」


地獄の底から響いたような声だった。思わずぎょっと、ゼノヴィアを見る。彼女は感情が抜け落ちた顔で、髪を耳にかけている。普通にしているのがガチっぽくて怖い。

藪蛇だった。ゼノヴィアは黄金の瞳を細め、俺をちらりと睨みつける。

美人の彼女が怒るとめっちゃ怖い。彼女を置いて行き、魔物と戦ったのが不服のようだ。


「……あー、それとクライとは仲良くなれた?」

今回2人に調査を任せたのは、2人が仲良くなってくれたらいいなと思ったからだ。苦難を乗り越えることで、仲間たちの絆は深まるのだ。

「……同僚としては合格です。能力の汎用性が高く、知性も高い。有能な奴です」

思ってた返事とは違ったが、上手くいっているのならいいか。

横目で彼女を見ると、怒りは静まったみたいだ。それでも念のため、機嫌を取っておこう。


「晩御飯一緒に食べる?君の好物を作ってもらおうよ」

「食べます!」

「そ、そう」

艶やかな唇が弧を描き、喜びを浮かべている。そんなに喜んでくれるなら、偶に誘おうかな。



「よし、完成!」

水銀を入れた容器を地面に置き、距離を取る。全体像を俯瞰し、問題が無いことを確認した。円形や資格、波打つような文字を合わせた複雑怪奇な陣。今にも浮か上がり、どこかに飛んでいきそうな奇妙な躍動感を宿していた。


「何を呼び出すのですか?」

「悪魔だよ」

悪魔とは、異界に住む魔物の一種だ。異界とは、この世界に隣接する小さな世界のようなものだ。決して、近づかず、だがその接点が消えることは無い。惑星と衛星のような関係とも言える。


悪魔は良くも悪くも、―大概は悪い―人間社会と深く関わってきた魔物だ。精神生命体である彼らは、物質世界であるこの世界に肉体を持つことを望んでいる。そのため、人の願いを叶え、対価として肉体を要求する悪魔契約が大昔から行われてきた。


悪魔は、その姿も能力も千差万別だ。そしてその格によって、必要な『器』も異なる。下位の悪魔、ガーゴイルやヘルハウンドなどは、適当な石像や狼の死骸があれば呼び出せるが、上位の悪魔ともなればそうはいかない。

王族や貴族のような貴い血筋や高い魔力を持つ霊媒体質、あるいは、悪魔の因子を持つ人間を器にする必要がある。


「堕落の泥、泡沫の安寧、降り注ぎ慈雨で裂けき谷を染めよ。地を還し救いを乞う」

悪魔術。悪魔を使役する禁術。その第一歩は召喚だ。彼らの召喚法は、魔術が生まれる遥か昔より変わらない。すなわち、祈り。世界を己が願いで塗りつぶす、奇跡の具現化。

詠唱を唱え、自己暗示を掛ける。情報世界イデアを知覚する魔術師にとって、言葉は意味を持つ。言霊を唱えることで、己の認識を書き換え、世界を歪める。


「悪魔召喚」

世界に穴が開く。少なくとも俺にはそう見えた。陣の中心に暗い闇が蟠り、床に定着する。それは門だった。異界から流れ込んだ空気が儀式場を染め上げ、変貌させる。何も変わっていない、何も出ていない。それにも関わらず、先ほどとは何かが違う。

やがてそれは顕れた。



『何を願う?』

響き渡る低い声。だがどこか耳障りの良い澄んだ声音。それがとても恐ろしい。人の姿など取っていないのに、人に嫌悪感を引き起こさせない。何もないその穴を見て、俺は人がいると思ってしまった。


ゼノヴィアがカットラスを引き抜き、俺の前に立つ。その肉体には薄っすらと炎を纏っている。ゼノヴィアが臨戦態勢になるほどの相手がこの先にいる。闇の覆われ、姿は見えないが、そこにいる。俺のすぐ眼前で、答えを待っている。


「俺が死ぬまで俺に仕えろ。そうすれば、この肉体は永遠にお前のものだ」

俺はつばを飲み込み、背後に置いたホムンクルスを指し示す。悪魔の因子を馴染ませたアリスティア家のホムンクルス。これを超える器などどこにもありはしない。大悪魔でも、滅多に手に入らない特上品だ。

『契約はなった。その器を貰う』

闇が凄まじい勢いでゼノンとゼノヴィアを通り過ぎる。闇の濁流が視界を阻み、やがては消えた。


ホムンクルスを見る。いや、元ホムンクルスだ。彼女の腕がガラスに触れ、通り抜ける。そのまま全身を透過し、優雅に地面に着地をした。

それは、少女の姿をしていた。背中の中ほどまで伸びたセミロングの白髪。見開かれた青い瞳には、年不相応な傲岸さと気だるげな色を宿している。

彼女は薄い肢体を折り曲げ、その名を名乗った。


「怠惰の悪魔、ベルドーナ。ベルと呼んでもいいよ。我が召喚主」

「ゼノン・アリスティア。魔術師だ。俺が死ぬまでよろしく頼む」

名を交わし、俺たちは生涯解けぬ契約を締結させた。

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