『怠惰』の鳥
穏やかな昼下がり。自室の窓からは、ふわふわと振る白雪が妖精たちをさらうのが見えた。半島が生まれたその時から、晴れることのない鈍雲は陽光を阻み、薄い明かりだけが室内に注ぐ。
俺は手のひらで色を変える石板を見て、悩まし気な息を吐いた。
これは、俺が作った地脈調査用ミミズ型ゴーレムの遠隔制御版だ。前世の端末を参考に作ったものであり、その表面には「error」の文字が浮かんでいる。
俺はよく、自分が作った作品には、地球の言葉を使っている。
英語にしたのは、見慣れた文字だからだ。それと、誰かに見られても、大丈夫なようにだ。この世界で英語が分かるのは俺だけ。最高の暗号だ。
「どうしたんだ、これ」
俺は画面を叩き、ゴーレムを操作しようとするが、ぴくりとも動かない。
「ここからじゃどうしようもないかな」
幸いにも、ゴーレムはエリーゼ半島内にある。《エリーゼの指輪》を使えば、すぐに行ける。だけど、面倒だ。そもそも俺はインドア派であり、外に出るのは嫌いなのだ。
「うーん、どうしようかなぁ」
ゼノヴィアにでも行かせようか。でも、あの子、繊細な作業とか苦手そうだし……。
クライが安パイだけど、ゴーレムが停止した理由が分からない以上、戦闘力に不安がある。
やっぱり、俺が行くしかない。……めんどくさ。
うーん、うーんと唸っていると、なぜか気配を断ってそばまで来ていたアニータが悩まし気に見詰めてきていた。なに?と視線だけで問い返すと、彼女は小ぶりな唇を開いた。
「ご主人様」
神妙な声音。その目尻は俺を気遣うように、下がっていた。ただごとではない。
産まれてまだ間もない生命を懸け、彼女は何かを俺に伝えようとしている。
「………独り言が増えたのは、孤独な証だと学習しました。ご主人様は、孤独なのでしょうか」
「………孤独、じゃないね。どこで知ったの、それ?」
「学習装置。ファイル名「人類種ヒューマンの生態4」です」
「それ、捨てな。多分、人と関わったことのない可哀そうな人が作ったんだよ」
具体的には師匠とか。
□□□
俺は思い悩むアニータの視線に押されるように、部屋を出た。廊下ですれ違ったメイドは、深く頭を下げ、俺に道を譲った。彼女の動作は洗練されており、動かぬ笑みを合わさり人形じみた印象を抱かせる。
俺は視線だけで返事をして、さっさとすれ違う。彼女もアニータと同じ時期に生まれたメイドだが、感情の揺らぎというものは感じられない。
学習装置による画一的な学習しか受けていないせいだ。いずれは個性というものも生まれるだろが、それはまだ先だ。アニータ以外は。
彼女は特殊なホムンクルスだ。特別だという意味ではなく、欠けているという意味で。彼女は学習装置による学習が不完全だった個体だ。
それゆえ、悩み、迷い、苦しむ。それゆえ、彼女は俺に意見をする。俺の作った命の中で、最も俺に縛られていない自由なものだ。
天然の言動と冷たい視線は心臓に悪いが、それも面白い。
颯爽とローブをひるがえし、俺は外へと続く通路を進む。
そこには、居た堪れなくなり、自室に生後数か月の少女を残して逃げ出した男の姿があった。
城を出た俺は、白雪の降り積もる地面を踏みしめ、森へと向かった。ゼノヴィアが知れば、怒るかもしれないが、俺もたまには気楽に動きたい。
普段なら、ゼノヴィアは俺が勝手に外に出れば、その超感覚で捉え、後をついてきたのだが、今はその気配も無い。
彼女は今も、俺が頼んだエリーゼ半島の調査をクライと共に進めている。順調だろうか。俺は遠方の山脈で膨れ上がる魔力の気配を感じ取り、不安を感じる。
まあ、クライがいるなら大丈夫だろ。
能天気に、あるいは無責任にそう呟き、一人で半島を歩く。
エリーゼ半島に季節感はない。夏になれば吹雪が弱まるぐらいだ。今日は吹雪が弱いため視界も良好だ。
「座標は、こっちかな?」
東の森へ向かう。白い化粧を被った木々が、穏やかに揺れる。その根元をリスのような魔物が木の実を持って駆けている。
森の微精霊がふよふよと宙を舞い、その光粒を妖精が羽を鳴らしながら追っている。俺の姿に気づいた妖精が、こっちに寄ってきて頭の周りを飛び回る。
『ねえねえ!…遊ぼ!!』
「これやるから、どこか行きな」
指先で魔石を飛ばす。妖精はそれを嬉しそうに手で掴み、噛み付いた。ごりごりと硬い音を立て、妖精は魔石を食べる。
『おいしいね!もっとちょうだい!』
妖精は何が気に入ったのか、俺の頭の上に座って、おかわりの魔石を要求してくる。面倒な奴だ。無視しておけばよかった。
「ねえ、この辺でおかしなこと無かった?」
『んーー?…泉の精霊が泉にラマの実を捨てるなって怒ってた!』
聞いた俺がバカだった。基本、妖精ってやつは危機感が薄く、享楽的だ。少しの異変なんて気にもしないだろう。
妖精は少しも気にかけていないが、何か異変はあったはずだ。魔力の淀みや新種の魔物の発生、異界への門の顕現、精霊や妖精の変質。あるいはそれ以外の何か。この地では何が起こっても不思議ではない。
そしてそれが、ゴーレムが停止した理由だろう。
遠隔監視システムで記録を見た限り、電池が切れたように接続が切れた。間違いなく外部から何らかの干渉があった。
手に負えなそうなら逃げよう。俺はゼノヴィアと違い、戦いも殺しも好きじゃない。俺が戦うのは相手を圧勝できる時だけだ。
ごちゃごちゃ騒ぐ妖精を適当に構いながら、反応が消えた地点に進んでいく。そこに近づくにつれ、木々や草花といった植物は段々と数を減らしていき、雪が積もる小さな広場が見えた。
「何だここ?」
『あ!ここはダメ~!』
妖精は、広場に近づいた途端、俺の頭から飛び立ち、逃げていった。
「あ、ちょ……」
何があるか言ってからどっか行けよ。結局、魔石を一つ、食べられただけだった。
低木をかき分け、広場へ入る。その途端、魔力が抜けるような感覚を感じる。それどころか、体から力も抜けている。
「やば」
俺は慌てて魔装術を発動させ、全身に魔力を巡らせる。そして、魔力を制御し、体外に漏れ出ないようにした。僅かに引っ張られるような違和感は感じるが、それで力の流出は止まった。
「あれか……」
広場の中心に、真っ赤な毛玉がいた。それは丸まったまま身を捩らせ、円らな黒い目で俺を見た。
のそり、と身体を起こし、立ち上がる。それは鳥だった。前世で絶滅したドードーのような見た目で、飛行能力は無さそうだ。
キィキィと小さく鳴いたそれは、不可視の何かを発した。
「おっと……」
反射的に指輪の魔具を発動させ、四角い魔力の盾を生み出す。だが青白い盾は、その端からぼろぼろと崩れ始める。その間も、何かが俺に向け、放たれている。
俺は一気に魔具に魔力を送り込み、盾を修復する。こうしていれば、負けないだろうが……。
「魔力が膨れ上がってる」
敵の魔力が段々と増えている。俺から吸い取った魔力を取り込んでいるのか。
「なら、これは無しだね」
『飛行』の魔術を発動させ、『イング』のルーンを素早く人差し指で描く。停滞したものを活性化させる意を持つそれを、『飛行』の強化に使う。
瞬間移動のような速度で空を飛ぶ。この周辺の木々は全て枯らされているため、俺の飛行を阻むものは無い。
「所詮、鳥頭か」
奴は俺の姿を見失い、しばらく周囲を見渡していたが、俺が維持したままの盾を見つけると、再び魔力を吸収し始めた。
もう俺のことを忘れたのか。だがそれなら好都合だ。ゆっくりと準備できる。
俺は脳内に術式を描く。そして、脳内に描いた術式を
情報は、大勢の人間が知る情報、この世界を構築する法則ほど、強度が高くなる。これから使う魔術もその一つ。太古の昔から人類の文明を支えてきた絶対価値の化身。
大地は黒土。変幻するは黄金。宿すは財貨の増幅。
「見せてあげよう、鳥畜生。アリスティア家の魔術を!」
物質の構成を組み替え、幻想の存在すら生み出す錬金術こそ、アリスティア家の真骨頂。
鳥は魔力の高鳴りに気づき、こちらを見る。だが、もう遅い。
「〈揺金の小麦〉」
大地が波打ち、黄金へと変わる。変化した黄金は、流れる刃と化して鳥を貫いた。
『キー、キーキー!』
胴体をぶち抜き、鳥の身体を宙へと持ち上げた。
普通なら、これで終わりだ。だが、鳥は死ぬこともなく、キーキー泣き喚いている。それどころか、黄金からも魔力を吸いだし、再生し始めている。
だが、意味はない。黄金は、富の増幅を意味する金属だ。この黄金は、敵が死ぬまで消えることは無い。増殖し、内部から枝分かれした黄金が、鳥の全身から突き出て飲み込み、圧縮する。
黄金塊は増殖を続け、巨木へと変わる。それは、周囲の木々の倍の高さになったところで、巨大化を止めた。
「ようやく死んだか」
黄金がどろりと溶け、中から小さな砂が落ちてくる。錬金の元となった大地の欠片だ。それと、魔物の肉片が降り注ぐ。
俺は地面に降り、影を広げる。液体のように広がった影は、魔物の素材を飲み込み、元の姿に戻った。
「まさか、怠惰の眷属がいるとはね」
先ほどの魔物の正体は、悪魔の眷属だ。恐らく、悪魔の肉片か血でも口にして、魔素を取り込んで変異でもしたのだろう。
しかもあの能力は、『怠惰』だ。魔界で最も悪名高い7体の悪魔の内の一体。数年前、デネス王国で開いた魔界門から顕れ、名君と呼ばれた辺境貴族を堕落させた悪魔であり、最終的には悪魔に堕ちた辺境貴族と共に、聖人国カルドゥーナの神聖騎士団に討伐されたと聞く。
その時の肉を喰った鳥か何かがエリーゼ半島に来て、ここであの鳥に食われたって感じか。それか悪魔の肉を喰った鳥が、エリーゼ半島で変異したのか。力の弱さ的に前者の気がするな。だが、これは使える。
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