孵化

外界ではもうすぐ春が訪れるころ、俺はゼノヴィアを引き連れ、再び地下を訪れた。先日捕らえた『破弓の団』の連中をクライに与えると、彼?は美味しそうに呪いで満ちた触腕で奴らを捕らえ、溶かした。


最悪の光景だったね、あれは。濃い呪いで皮膚を溶かされ、肉と血管を冒されながら丸一日かけて吸収された。俺はすぐに地上に戻ったが、きっとこの部屋には絶叫が轟いていたのだろう。

ゼノヴィアはその様が面白かったのか、一晩中ここにいたみたいだ。わお、悪趣味。我が子ながら理解に苦しむ。


そして今朝、メイドの一人から連絡を受けた。何でも、クライの様子に変化が起こったそうだ。

俺は天井に組まれた足場を通り、中央部にある小部屋の真上に行く。下を見ると、部屋中に広がっていた黒いヘドロのような粘体が小さな球体に変化していた。まるで、黒い卵のようだ。


「今朝からこの姿です」

初めに生まれたメイド、アニータが教えてくれる。

「具体的な時刻って分かる?」

「見張っていた使用人に聞けば分かりますが」

彼女は微かに首を傾げ、必要ですか?と視線だけで問いかけてくる。

彼女は長い金髪の一部を結い上げた華奢な少女だ。他のメイドたちとは違い、オブラートという概念を培養槽の中に置いてきた子だ。


「いる!呪術に時間は大事なんだよっ!」

特にクライは世にも珍しい『呪骸種』だ。正確なレポートを付けたいと思うのは魔術師の性だ。

だったら自分で計測しておけ、という目は辞めてください、忘れてたんです。


「はあ、後でレポートに纏めお持ちいたします」

「ごめんね。いつもありがと」

「はい」



そんな風にアニータと戯れていると、ゼノヴィアが感嘆の息を漏らした。

「もうすぐ孵りそうですね」

魔力の流れに敏感なゼノヴィアは、卵の状況が分かるみたいだ。俺にはそこまでは分からない。やっぱり、人外の感覚は羨ましいな。例えどれだけ才能が有っても、人間種ではたどり着けない領域の力を持っている。


よく見ていると、卵の表面が波打つ。そして、球体から形を崩し、ぐねぐねと蠢いた後、確かな形に収縮していく。

「あれは、赤子?」

最終的に産まれたのは、赤子だった。全身真っ黒で、所々に赤いひび割れのような文様が浮かんでいる。異様に瞳が大きく、反比例するように口は小さい。

赤子は丸くなったまま、地面を転がっている。


「……そうなるのか」

予想外の形だ。最終的に人型になるのは、人間の呪いを与えて育てたからだろうか。

「動けないようですね。軟弱な……」

ゼノヴィアが呆れたように呟く。だけどそれは仕方ないだろう。種族差ってやつだ。


「リリエルさん。クライの部屋にホムンクルスを入れてくれ」

人の呪いから生まれたのなら、人型を与えれば何か変化があるだろう。

俺は管制室にいるリリエルさんに魔具を使って通信を取る。すると、白い作業用の人形が天井の通路の上から、小部屋にホムンクルスを落とす。


ホムンクルスと言っても、まだ魂も精神も形成前のただの人型。不完全な人間もどきだ。だが問題は無いはずだ。赤子と言うのは被保護者であり、呪いと言うのは精神から生じた歪みだ。

ならば、その形質を色濃く映し出したクライに必要なのは、人間ではなく人型。

人を模しながらも穢し染め上げ、変質させる。


べちゃり、と培養液を纏った20代ほどの男性体が、部屋に落ちる。すると、クライが動いた。クライのへその緒の部分から黒い触腕が伸びる。ゆっくりと空気を感じるように伸びたそれがホムンクルスの口から体内に侵入する。


「ぐろいですね」

君の殺し方もグロいけどね。だけど、気持ちは分かる。人間は「寄生」に対して本能的な恐怖を覚えるものだ。己が己のまま、別の何かに侵されるという苦痛は、何物にも耐えがたい。


『呪骸種』であるクライらしい呪い方だ。

体内に入った触腕が切れる。すると、倒れ伏していたホムンクルスがむくりと起き上がる。ホムンクルスはクライを抱き上げ、こちらを見る。


「おはようございます、ご主人様。……引き上げてくれませんか?」

クライは困ったように苦笑した。そうだね、その身体はただのホムンクルスだから魔術使えないよね。

俺はホムンクルスの身体に魔術を掛け、空中に飛ばし、天窓から引き上げる。


「随分、流暢に喋れるようになったな」

「ほんたい、にがて、のど、あまり、ない」

本体の赤子がつぎはぎの単語で喋る。本体は喋るのが苦手らしい。

「何ができるの?」

ゼノヴィアがクライに尋ねる。

「分体による寄生と呪いによる腐食攻撃が行えます。あまり、直接的な戦闘能力は期待しないでほしいですね」

「うん。さて、全員が揃ったこの場で、一つ伝えておこう」

偶然にもリリエルさん、ゼノヴィア、クライの三人が揃った。


「魔物の素材がない」

そう言うと、その場を沈黙が支配した。

「……ご主人様。魔物の素材と言うと、『魔獣母胎』に使う高ランクの魔物の素材のことでしょうか?」

「ああ、うん。そういうこと」

少し言葉足らずだった。普通の魔物の素材はある。だが、Aランクを超えるような魔物の素材は、ゼノヴィアを産み出した際の『龍の爪』ぐらいしかなかった。


『魔獣母胎』は、素体に魔物の素材から抽出した生体因子を組み込むことで、思い通りの魔物を作り出す技術だ。そのため、『魔獣母胎』で生み出す魔物の能力は、素体と魔物の素材の二つの要素で決まる。

できれば、Aランク以上の魔物の素材で作りたいのだが、保管庫からほぼすべてが無くなっていた。


「多分、師匠が全部持って行ったんだよ。……愛の鞭だと思いたいね」

自分の研究を全て処分したのと同じだろう。俺の成長を促すための、愛の鞭なのだ……!断じて、嫌がらせではない!

脳裏に浮かんだイマジナリー師匠は、皮肉るように笑った。


「ゼノヴィアとクライ、2人で協力してエリーゼ半島内の魔物を調査を頼む。よさそうな魔物がいれば、捕まえてきてくれ。クライの能力なら生け捕りは出来るだろ?」

「はい。体内に侵入できれば、確実に」

「じゃあ、頼んだよ」

そう言うと、ゼノヴィアとクライ、2人の間で火花が散った気がした。こいつら、微妙に性格が合わなそうだよな……。



ゼノンが去った後、クライの部屋だった地下室には、ゼノヴィアとクライ、そしてリリエルさんが残された。アニータはゼノンの側付きとして去った。

「さて、具体的に詰めましょうか。……リリエルさん、今すぐ使える素体はありますか?」

クライがリリエルに尋ねる。

「ええ。ホムンクルスと、魔物の素体がいくつかあります。使っていいという許可は、当主様より頂いております」

「では、有難く使わせていただきます。ご主人様には感謝をお伝えください」

「かしこまりました」


「では、ゼノヴィアは空中の魔物をお願いします」

クライがゼノヴィアへ指示を出す。

それに噛み付いたのはゼノヴィアだ。


「はあ!?何でアンタの命令を受けないといけないのよ」

豊満な胸の下で手を組み、見下すように瞳を細める。不満ありですと、全身で表現していた。ほぼ初対面。まともに言葉を交わすのは今回が初めての二人だが、ゼノヴィアはクライを嫌っている。


その理由は単純。ゼノヴィアはゼノンの使い魔であるクライに嫉妬の感情を覚え、そして龍の血を継ぐ自身が、呪骸種に命令を出されることに耐えられないのだ。

女と龍、ふたつの側面から、ゼノヴィアはクライとは相いれない。


だがゼノヴィアがクライに反発することは、クライ本人にも予想出来ていた。彼は、小さな呪槽の中から、ずっと外を見ていた。特に、主の側にいるゼノヴィアについては、内包する力もあり、特に注意深く観察していた。その性格は既に把握し、動かし方も幾通りか考えている。


「脳筋のあなたでは計画だった動きなんてできないでしょう。私が指揮をした方が効率的です」

クライが選んだのは単純な挑発。

「誰が脳筋よ!!リリエルも何とか言って!」

そしてそれは効果抜群だった。

無茶ぶりの矛先を向けられたリリエルはそっと視線を逸らし聞こえていないふりをする。


「…………」

「ちょっと!?」

「ゼノヴィア。ゼノン様は私とあなたが協力して調査を進めるように言われました。あなたの言動はそれに反しているのではありませんか?」

そしてタイミングを見計らい、主の名を出し、効率と忠誠心を説く。


「……ん」

ゼノヴィアはバツが悪そうに視線を泳がせる。彼女も褒められた言動ではないと自覚している。

「いいでしょう。主様のために貴方の指示に従うわ」

「それはよかった」

にこりと貴公子のように微笑むクライに、ゼノヴィアは小さく舌打ちをした。傲慢で脳筋の龍と狡猾で知能が高い呪いは相性が悪い。



「今のエリーゼ半島は人手不足よ。……知能が高く、穏やかな魔物がいれば友好的に声を掛けて。問題が無ければ、主様に裁定を下してもらうわ」

「分かりました。……それでは私はこれで」

配下たちは、主人の命令を果たすべく、動き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る