皇帝

デルウェア帝国の宰相ドラム・デル・マヌラは、執政官を伴い、城内を進む。すれ違うメイドや使用人たちは、ドラムの姿を見た途端、顔を強張らせ、道を譲る。礼を取る彼らの側を足早に進む。


ドラムは、自分が恐れられていることを自覚している。彼は数多の貴族の汚職を暴き、粛清してきた。そのため、貴族たちからは恐れられ、恨まれている。


城で働くメイドたちは皆、貴族の令嬢たちだ。そして彼女たちはある意味、人質だ。貴族家が逆らえぬよう、その娘を表向きは使用人として城で奉公させている。


ドラムが推し進めた――表向きはそうなっている――政策であり、彼は明確な反貴族派と認識されている。実家からどのような話を聞いているのか。ドラムに会うものは初対面の時からその瞳の奥に恐れを抱えている。それとも、この顔のせいか。彼が陛下と仰ぐ主君にも蛇のような威圧感があると言われた。


50を過ぎてなお、妻と子供にも怯えられることがある。とはいえ、この顔は外交でも活かせることが多いため、悩ましい所だ。

ドラムたちは、ひと際大きい扉の前に立つ。その扉の前に立つ使用人が室内に取り次ぎ、ドラムたちは通された。


「おう、よく来たな」

その部屋は、皇国のトップに立つ男が執務をこなす部屋とは思えないほど、質素だった。シンプルな机と椅子、それと大きな棚があるだけのシンプルな部屋だ。


皇帝曰く、快適な執務室だと、そこに住み込んでしまうためだそうだ。ドラムは皇帝の前に立ち、事の顛末を報告する。


「フォレスト領について、報告がございます」

執政官が、顛末をまとめた書類を、陛下の机に置く。

皇帝は、それを捲り、眉を顰めた。


「生還者は無し、か」

「はい。フォレスト家長男のザレス・ヴァン・フォレストを含む騎士50名、シルバーランクの冒険者『破弓の団』を含む冒険者20名が死亡したものと思われます」

皇帝は頭痛を抑えるように眉間を抑える。魔物の脅威に晒される辺境の地で、戦力となる人間が70名も消えるのは大問題だ。ことによっては、フォレスト領の危機だ。


「……第3騎士団をフォレスト領に回し、後進の育成をさせよ。それと合わせ、冒険者への支援を行え。フォレスト領に移住した者には、税制面の免除をくれてやってもいい」

「はっ。直ちに」

ドラムは執政官一人に、各部署への根回しを行うように指示を出す。若い執政官は頭を下げ、部屋から退室した。


「……フォレスト辺境伯への罰はどうなさいますか?」

フォレスト辺境伯へは、エリーゼ半島に手を出すなと、極秘裏に命令を出していた。だが彼はそれを破った。公的な場での勅命ではないとはいえ、皇帝の命令を破ったのだ。死罪は当然だ。

「ふむ、そうだな……あれは生かしておけ」

「かしこまりました」

皇帝の決定は、決して温情ではない。もしもアリスティア家が帝国に攻められたと事を荒立てた場合、フォレスト辺境伯の独断だと言い張れば、ダメージを最小限に抑えられる。これも、政治だ。


「どうやら、占星局の占いは当たっていたようですな」

「……忌々しいことにな」

当初、エリーゼ半島への調査を決定したのは、皇帝だ。だがその後、占星局はある予言を出した。

曰く、「北東の地に、災厄が産まれた」


この予言を重く受け止めた皇帝は、直ちにエリーゼ半島への調査を打ち切り、手を出さないようにフォレスト辺境伯に通達を出した。

だが彼はその命令を聞かず、結果、フォレスト辺境伯は、災厄の存在をその部下と子の死で確かめることになった。


「せめて『宝石の魔女』消失の証拠さえ手に入ればよかったのだがな」

調査の始まりは、占星局の出した「宝石の魔女がこの世界から消える」という占いだ。確度の高い占いであり、無視することは出来なかった。

だが、二度にわたるアリスティア領への調査でさえ、その真偽は不明だ。


『宝石の魔女』がいないのであれば、もう少し大胆に動けたのに、というのが皇帝の本音であった。それほどまで、あの魔女の力は、セントラル大陸に置いて突出していた。だが逆に言えば、『宝石の魔女』が消えたのなら、エリーゼ半島を手に入れる絶好の機会だ。


開けるまで中身が分からない箱。それが今のエリーゼ半島の状態であり、ゼノンならば、「シュレディンガーの猫」と例えただろう。


「分からぬなら、いる前提で動くしかありません」

悩む皇帝に対し、ドラムは窘めるように呟いた。無いとは思うが、皇帝が血迷った時のために、だ。

質実剛健の王。諸外国にそう称され、されどその本質はしたたかな策略家である現皇帝に、そう忠言できるのはドラムぐらいだった。


「分かっている。今取る必要はない。いずれ、だ。先の時代、必ず帝国はあの地を手に入れる」

そう言う皇帝の顔に、決意の色は無い。ただ、当然の事実を述べるような静かな響きだけがあった。


「……重い話題はここまでだ。ドラムよ。俺の上の娘が今年、学術都市に行くのだ」

「存じております」

一転して、話題は皇帝の家族のことになる。ドラムにとっては留学が決まった一年前から、何度も聞かされてきた話だ。皇帝陛下ミナス・デルウェアスは、稀代の名君として、その名を轟かせているが、親バカでも有名だった。


「あの地では、俺の権力も通じん。あの子に何かあればと思うと、憂鬱でな…」

「護衛の者も行くのでしょう?過度に心配する必要はないとは思いますが」

「……貴様は相変わらずの合理主義だな」


皇帝と宰相が、第一皇女の話をしていると、執務室の扉が開かれた。皇帝の執務室にノックも無しに入って来る。そんな無礼な振る舞いが出来るのは、同じ皇族のみであり、そんな真似をするお転婆にも、彼らは心当たりがあった。


2人が扉を振り返ると、波打つ藍色の長髪を持つ美少女がいた。仕立てのいい深紅のドレスに身を包み、スタイルのいい肢体を際立たせた絶世の美少女だ。

年のころは10代半ばほどだろうか。知性と苛烈さを宿したエメラルドの瞳で、皇帝を見据えている。


「な、なんだ?ミネルヴァよ」

皇帝は、急に入ってきた自身の子、ミネルヴァ・デルウェラスに困惑した眼差しを送る。帝国の第一皇女であり、この春、学術都市アルフィアに留学予定の少女だ。


「護衛が付くとは聞いていませんでした……不要です。あの地には他国の王族、貴族が大勢訪れるのですよ。武で知られる私が、護衛に固められて動くなど、滑稽そのものではありませんか…!」

ミネルヴァは鋭い眼付きのまま、実の父である皇帝に意見する。だがそれだけは、子煩悩なミナスも受け入れられない。


「ならぬ。あの地は魔術師の巣窟だ。お前を超える術師も多く、王族の血を狙う悪徳の徒もいる。……まだ子どものお前を一人で行動させることはできん」

「……分かりました」

ミネルヴァは不満を張り付けた表情で、執務室を後にした。後に残された皇帝とドラムは、揃ってため息をついた。


「私の方からも説得しておきます」

「うむ。頼んだ」

嵐のような長女に振り回された二人は、疲れた顔で呟いた。その顔には、何とか誤魔化せたという安堵の色が浮かんでいた。


ミネルヴァは、帝国でも有数の剣士であり、本来ならば彼女の言う通り、護衛はつけないつもりだった。学術都市も皇帝が語ったように危険な魔術と神秘が渦巻く魔窟ではあるが、都市側も各国の貴族、王族の扱いには気を配っており、危険な目に合うことはほとんどない。


それにも関わらず、護衛を付けると決めたのは、ミネルヴァが入学するときのあの都市の状況だ。同時期に、あの都市にはデネス王国の才媛、龍王国の勇者を始め、各国の最大戦力とも言える王家の者が集まる。学術都市は例年以上に権謀術数の渦に巻き込まれることになるだろう。


そして、アリスティア家との問題だ。デルウェア帝国の騎士がアリスティア領に攻め込んだのだ。今、帝国とアリスティアはかつてない緊張状態にあると言える。

もしかすれば、皇族が狙われることもあるかもしれない。そんな状態から愛娘を守るため、護衛を付け、誰の手も出せない学術都市に行かせることになったのだった。


ゼノンには皇族を狙うつもりなど欠片も無かったが、彼が行ったフォレスト領騎士虐殺は、思いもよらぬ影響を及ぼした。その結果、ゼノンの将来に予期せぬ出会いをもたらすことになるかもしれない。

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