聖の精霊

「精霊だね」

厳冬山脈から戻ってきたゼノヴィアに、ゼノンはそう告げた。アリスティア家当主の執務室の机には、大量の書物が置かれている。日に焼けた茶色の装飾の古びた本から、竹簡のような竹を連ねたようなものまで多種多様、様々な年代の書物がある。

今も新しいものが運ばれてきて、机からあふれそうになった書類を、使用人服に身を包んだメイドが取り、棚に仕舞っていく。


数日前まではこの城にはいなかった長い金髪の少女だ。

彼女はホムンクルスのメイドの一人であり、冷たい眼差しに無表情を張り付けて粛々と作業をしている。


いなくなった使用人の穴を埋めるために作っていたが、ようやく生まれて、今はリリエルさんを頂点とし、城内の清掃や調理などの一般業務を行ってもらっている。

俺は先に城に戻り、あの光の渦について調べていた。幸いにも、あの現象の正体についてはそれらしい資料が存在していた。


「精霊?あれが、ですか?」

ゼノヴィアの表情には疑念が浮かんでいる。精霊との適応率の高い彼女には、あの光が精霊だとは信じられないようだ。


「あれには精霊特有の意思や揺らぎや感じられませんでした。…どちらかと言うと、ただの現象のような……」

「ゼノヴィアの言うことは正しいよ。あれに意思はない。ただのシステムだ。ひじりの精霊。そう呼ばれているものだ」


聖の精霊。歴史の転換点に何度か現れた現象。ある時代では、戦場の英雄に加護を与え、ある時代では聖者に付き従ったという。

なぜ俺たちの邪魔をしたのかは定かではないが、あの時、あの男を助けることで、何かが変わったのは確かだ。


「リリエルさん。『種』にあの男を探させてくれ」

「かしこまりました」

あの銀鎧の男に何かがあるのは確かだ。目を話すべきではないと、俺の直感が囁いていた。


「恐らく、捕まえた『破弓の団』の奴らを喰えば、クライも孵化するはず。本格的に動くのは、その後だね」

「……あの、主様」

ゼノヴィアが窺うように話しかけてくる。視線を向け、続きを促す。


「主様は今回、辺境伯を騙し、敵を誘き寄せました。主様は私の能力を確かめるためだと言っておられましたが、それだけなら魔物相手でもよかったはず。本当の目的は何だったのでしょうか?」

そういえば、話していなかったな。別に隠すようなことでもないか。


「ゼノヴィア、魔術師に必要な3つのものって何だと思う?」

ゼノヴィアは、急に話が変わり、驚いたようだが、異を唱えることなく回答する。


「3つ、ですか。魔力と素質と工房、でしょうか?」

「惜しい。正解は、時間と安全と資材だ」

魔術の道は果てしなく広く、長い。そのすべてを調べ、探究するには膨大な時間が必要になる。我が師、アリア・アリスティアのように、不老にならなければ、到底たどり着けないだろう。


そして、安全。強力な魔術を、魅力的な霊地を持つ魔術師は、常にその命と財産を狙われる。それを防ぐための力であったり、環境だ。

最後は研究を続けるために必要な触媒や素材などの資材。そしてそれを手に入れるための権力や財力だ。


「この三つは絶対に必要だ。今回の戦いは、ゼノヴィアの力を見るのと合わせて、辺境伯の力を削ぎ、時間を稼ぐ狙いもあった」

今のアリスティア家は、弱い。先代に遠く及ばない俺が、何とか領土を維持している状態だ。ゼノヴィアが生まれて余裕ができたとはいえ、万全ではない。


「今回の一件で、デルウェア帝国はエリーゼ半島への手出しを控えるはずだ。その間に、アリスティア家の戦力を増やす」

「なるほど。理解できました。ありがとうございます」

ゼノヴィアが恭しく頭を下げる。


「ところで、ゼノヴィア。『武技』は学べた?」

武技とは世界に刻まれた法則の一つだ。

人類は生まれた時から武器を振るい、戦ってきた。早く動く、鋼の肉体を、鱗を裂く一矢を、あるいは、宙を飛ぶ超常の一撃を。

そういった戦士たちの願いが世界に刻まれた結果、法則へと変わった。そう言われている。


確かなことは一つ、この世界には武技と呼ばれる技があり、魔術とは異なる超常の力を宿しているということだ。

魔術師である俺は教えることは出来ないし、知識によって会得するものではない。訓練の中で、あるいは実戦で学ぶしかない。

武技は会得した時、何かが嵌まるような感覚を覚え、それ以降は自由に使えるようになるそうだ。


「はい。いくつか覚えました」

流石はゼノヴィア。一度の実戦で複数の武技を覚えるなんて。人間の剣士が聞けば嫉妬を覚えるだろう。


「ちょっと見せてよ」

「はい」

ゼノヴィアはカットラスを引き抜き、地面に平行に構える。銀の刃が、微かな魔力光を帯びる。


「『刺突』」

音を置き去りにして、放たれた神速の一撃が、執務室の空気を揺らした。銀糸の長髪が揺れ、オーロラのように煌めく。その姿は、森で舞う妖精のように可憐だった。


「おぉ~。流石だね」

確か、銀鎧の男が使っていた『刺突』という武技だ。武技の後押しを受け、加速した一撃を差し込む基本の技だったはず。

ついさっき覚えたとは思えない仕上がりだ。その振りは、男が使っていた時よりも早く、鋭く空気を裂いていた。まあ、剣のことなんて知らないから、何となくだけど。


「あ」

ゼノヴィアの気の抜けた声が聞こえた後、ぱきり、とカットラスの刃が中ほどから砕け落ちた。

「申し訳ございません。主様に頂いた刃を」

「気にする必要はないよ。大した武器じゃないし。…後で君にあった武器を作っておくよ」

「ありがとうございます。大事にします」

ゼノヴィアは無表情の中に喜色を滲ませ、頭を下げた。


「俺はクライの様子を見てくるよ。ゼノヴィアはもう――」

「お供いたします」

もう休むといい、と言い切る前に先手を打たれた。彼女は俺の横にピッタリとくっつき、動く様子は無い。いい匂いがして気が散るから、少し離れてくれませんか?


リリエルさんが何かを言う様子もない。なら、どうしようもないな。俺は諦めて、ゼノヴィアを連れ、クライのところへ向かう。


時間、安全、資材。誰もが手に入れたいと願うもの。

時間は、俺次第だ。不老になる方法にはいくつか目途を立てている。後はそれを、一つずつ確かめ、最適なものを自分に施せばいい。


資材も問題は無い。エリーゼ半島は魔術資源が豊富にあるし、外に出たホムンクルスたちがいくつか大商会を育て上げ、外界の資金も素材も入ってきている。


問題は安全だ。先代当主である師匠は、外の人間を気にすることは無かった。それは、彼女が強く、そして人類の可能性を知らないからだ。

俺は知っている。人類はきっかけさえあれば、凄まじい速度で文明を発達させる。

人は僅か数百年で、弓と剣を捨て去り、一撃で都市を滅ぼし、土地を汚す輝きを産み出した。


そうなったとき、アリスティア家は最強でいられるだろうか。俺一人で、師から継いだこの土地を守り切れるのか。


この地を守り魔術の研究を続けるための手段がエリスイスに話した世界征服であり、そしてその第一歩がフォレスト辺境伯の騎士殺しだった。


――俺は必ずこの地を守る

そう心に決め、冷たい石造りの通路をゼノヴィアと並んで歩いて行った。

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