光の渦

「はあ、はあ。急げ!」

デックが息を荒げながら山から飛び出てくる。それに続き、他の仲間たちも出てくる。だが、皆、満身創痍だ。

エリーンの回復が追い付かないほどの強行軍をした結果だ。


「野営地が襲われているわ!」

聴力が優れた妖精人エルフの血を引くララシーマが野営地の異変を伝える。

いや、例え耳が遠い老人であっても、ふもとの異常には気づくだろう。


轟音が何度も鳴り響き、悍ましい破壊音が木々を揺らす。魔術の適性が無いデックでも感じられる濃い魔術の気配が漂う。

まるで巨大な怪物が暴れ狂っているようなそんな気配を、熟達の冒険者たちは感じ取っていた。


冒険者の中でも一掬いの銀級でもあるデック達でも勝てるかどうかわからない相手。野営地に残った者たちがどうなったのか分からないが、魔術の気配を最後に止んだ破壊音が、嫌な想像を掻き立てる。


急がなくてはならない。その一心で、体力の劣るエリーンをドムが担ぎ、ララシーマをザレスが担ぐ。


「ちょ、ちょっと!」

「我慢してください!嫌でしょうけど……」

「…別に、嫌じゃないわよ」

ララシーマの長い耳が仄かに火照る。だがザレスにはララシーマの様子に反応する余裕も無い。


ザレス達は村の廃墟を駆け抜ける。崩れた建物を横目に、雪の降り積もった街路に足跡を刻む。村を出て、丘を越えると、野営地が目に入った。

陽光に照らされる新雪の大地。そこには、深紅の地獄が広がっていた。


「あ、ああ……」

ザレス達が想像した巨大な怪物。その存在を証明するように、大きなクレーターが雪の大地に刻まれている。そして、大地から突き出した土の杭で、何十人もの仲間たちが串刺しにされていた。

そこから滴る血液の少なさが、彼らが長時間、晒され続けていることを、ザレス達に伝える。大地に染みた真っ赤な血液が目を刺すように光を反射していた。


「いったい誰が……」

デックが呟いた瞬間、彼らの背後で轟音が響く。

「――ッ!警戒態勢!」


ドムが盾を構え、4人を庇う位置に立つ。ザレスも武器を構えるが、その手は震えている。いや、ザレスだけではない。デックの弓を引く手も震え、魔力に敏感なララシーマやエリーンは、蒼白を超え、真っ白な顔になっている。


「まずい、まずいわよ…!逃げないと!人間じゃない!!」

震える声でララシーマが叫ぶ。空から降りてきたそれは、身を刺すような覇気を纏っている。勝ち目が無いことなど、誰もがその一瞬で悟る。だが、逃げられるなら、全員逃げ出している。逃げられないから立ち向かうのだ。


「覚悟を決めろ…!やるしかねえ」

土煙を手で振り払い、中から出てきたのは、絶世の美女だ。しなやかに伸びた褐色の手足に豊かな曲線を描く肢体。美しい金眼と風に揺れる銀糸の長髪は、宝石を超える輝きを宿していた。


デックが、もし街で会えば、全財産を投げ渡してでも、一夜の夢を願い出たかもしれない。そう思ってしまうほどの暴力的な美貌だった。

だが彼女は、長い角としなやかな鱗に覆われた尾を持っており、人外であることは一目瞭然だ。

黄金の瞳が細められ、ザレス達を一人ずつ、品定めをする。


その存在に、ザレス達一同は敵であることを忘れ、一瞬呆然とする。その蠱惑的な美に目を取られたというのもあるが、この惨状を作り出した者には見えなかったからだ。

だが、その身に纏う魔力は悍ましい。呪いや悪性の気配を帯びているわけではない。ただ、その圧倒的な濃度と量が人のものとは思えないほどの重圧を叩きつけてくる。


「……あんまり強そうに見えないわね」

この場における絶対者である彼女は失望したように嘆息する。銀級まで上り詰めた冒険者たちに対する言葉には思えないが、アレからすれば、銀も金も弱者だろうと、デックは心の内で自嘲の笑みを漏らす。


(どうやら俺たちは期待に沿えなかったみたいだな)

どういうわけか、敵はザレス達が強者であることを望んでいるようだった。それなら、まだやりようはあると、デックは交渉を試みる。


「…お眼鏡にかなわないなら、見逃してくれないか?」

端的な命乞い。だが、デックたちに差し出せるものが無い以上、そうするしかない。

だがゼノヴィアは、デックの言葉など届いていないように、端正な眉を顰め、何かを考えこむ。


「お前たちで殺し合いなさいな。私の手を煩わせないで」

デックの命乞いに答えることなく、ゼノヴィアは傲慢に言い放つ。その眼差しは、虫を見るように冷酷だ。

そして、ザレス達が彼女の言葉に従い、殺し合うのを待っている。その様子は、提案を拒否されるとは微塵も思っていない。


そも、デックたちは勘違いをしている。ゼノヴィアは人間の言葉など、小動物の鳴き声ぐらいにしか思っていない。彼女に交渉など通じようもないのだ。


余りに人間とはかけ離れた思考を垣間見て、デックの背筋に冷たい汗が流れる。そして思い出す。それが人間社会で何と呼ばれているのか。

「魔人か……」

魔物が人に近い容姿と知能を獲得した、魔物の変異種。奴らは、人を超える能力を持つことから、人間種を見下す傾向が強く、また、それに見合った強さを持つ。

人に近いにもかかわらず、魔物と呼ばれる理由を、デックはこの時知った。


「はああッツ!!」

開戦は、突然だった。デックの放った武技『強弓』が魔人の胴体に吸い込まれるが、カットラスの一振りで弾かれる。腕だけの軽い振りで軌道を変えられた矢は、雪原に落ち、その威力を物語るように激しい衝突音を響かせ地面を砕いた。


(デックの矢をあんな簡単に……!)

ザレスは驚愕を表情に浮かべながら、その身体は淀みなく動いている。ドムと並び、魔人へ突進する。ゼノヴィアは、近づく二人を気にした様子もなく、自然体で立っている。


「うおぉぉおッ!『刺突』!」「『波動盾』!」

ザレスの突きが武技の後押しを受け加速し、ドムの振動を纏ったシールドバッシュが同時に放たれる。


下手な魔物なら一撃で木っ端みじんにできるほどの連携攻撃は、無造作に構えられたカットラスと手のひらに止められた。

「ぐ――ッ!!」

必死で押し込もうとするが、まるで動かない。巨岩に剣を押し当てたように動く気配がない。


大の大人が二人、華奢な美女に片手であしらわれる姿は滑稽だ。だが戦っている物からすれば、絶望の兆しに他ならない。

なぜなら、敵はザレス達五人を合わせたよりも膨大な魔力を持ちながら、魔術も使い、そして身体能力も桁外れに高いことが証明されたのだから。


(力に差があり過ぎる……!)

ザレスは剣越しに伝わる相手の力に戦慄する。

細腕に見合わぬ異常な筋力。腕一本でザレスの渾身の一撃を受け止める。

何も、特異な能力や魔術を使っているというわけではない。

ただ、人域を超越した身体能力で、冒険者たちの連携も技も全てを殺す。


シンプルゆえに、絶対の埋めようのない差。

例え、金ランクの冒険者でも、いや、それ以上の者でも彼女には勝てないだろう。それを感じながらも、ザレス達五人の中に心が折れたものはいなかった。


(恐ろしい敵だ。だが無敵の怪物ではない)

どれだけ力が強くても、敵は二足二腕。そしてその両手は、ザレスの剣を受け止め、ドムの盾を押し留めることに使っている。

それは明確な『隙』だった。


デックが大弓に魔力を流す。その弓の名は、《シザーウィンド》。空の竜種ワイバーンの牙を組み合わせた一級品である。魔力を流すことで、その牙は生前の能力を取り戻す。


どこからともなく吹き荒れた暴風が、デックの魔力に誘導され、矢を覆い尽くす。デックの力でも抑えきれぬほど、風の高鳴りが高まる。

その小さな嵐の如き矢じりを見て、ようやくゼノヴィアの表情が変わる。少し驚いたようなその顔を見て、デックは魔力が急速に失われた疲労感の中で笑みを浮かべる。


――流石の怪物も、この矢を受け止める勇気は無いらしい。

「『破弓』!」

デック最大の一撃。空竜の風を帯びた最速最重の一矢であり、当たれば風の渦が矢傷を抉り、肉片へと変える。それは、竜巻のように高速回転しながら、飛び立った。


白雪を切り裂いて放たれた矢が、ドムとザレスの隙間を縫ってゼノヴィアの喉へと向かう。筋肉が薄く、鍛えることのできないその場所は、人外であっても人型ならば弱点だとデックは判断した。


「〈森の縛り蔓〉!」

それと同時に発動されたララシーマの精霊魔法が、ゼノヴィアの身を縛り付けようとする。岩肌を割って生えた蔓が蛇のように伸びうねる。


完璧な連携。逃れようのない状況に、彼らは示し合わせるまでも無く追い込み、最大火力を叩き込むことに成功した。

彼らは冒険者だ。弱い人間種でありながら、魔物に立ち向かい、討伐する対魔物戦のエキスパートだ。1人で無理なら5人で殺す。彼らはこの一瞬、確かにゼノヴィアの意表をついた。


ゼノヴィアは、ザレス達の動きに、僅かな関心の気持ちを抱く。風の劣等種の武具に折れない心。研ぎ澄まされた連携と技。なるほど、主様が警戒心を抱く気持ちも理解できたと、満足感を抱く。5人でこれだ。もっと人数が集まり、軍と呼べる規模になれば厄介だろう。だが、ゼノヴィアが抱いた感情は、関心どまりだった。


――可哀そう

誰か教えてあげなかったのだろうか。虫が群れても龍は殺せないと。


迫る嵐の矢。後方の蔓。圧力をかける前衛二人に、祈祷術を用意する後衛。

それに対し、ゼノヴィアが取った行動はシンプルだ。


ザレスの攻撃を受け止めていたカットラスを腕の筋力だけで切り払う。

「ぐぅ――ッ!」

踏みとどまることもできずに押し出されたザレスは、苦悶の息を吐きながら数メートル先まで吹き飛び、大きく雪を吹き飛ばす。

ゼノヴィアの攻撃は終わらない。そのまま可憐に舞う踊り子のように回転してドムを吹き飛ばし、勢いのまま、迫る弓も蔓も一撃で切り捨てる。


ゆるりと裾がたなびき、ゼノヴィアの身に付けた黄金具が軽やかな音を立てる。その身には、土煙の一つもついていない。ただ、彼女の剣域を示すように、緩やかな風が吹いた。


武器を振るう。それだけで『破弓の団』の必殺は、いとも容易く一蹴された。後に残ったのは、攻撃を防がれ、隙だらけになった戦士たちだ。

そして、ゼノヴィアにはすでに、ザレス達への興味は失せていた。早く主の命を果たし、その側に戻ろうと攻勢へと移った。


ゼノヴィアは地面を踏み砕き、剣を振り上げる。狙われたのは、ドムだ。盾を構えていたドムは、ゼノヴィアの回転攻撃にも耐え、体勢を崩すだけですんでいた。それが、仇となる。


「死になさい」

大気を切り裂く一撃。それを、辛うじて視認できたドムは、半ば反射で軌道上に盾を差し出し、防ごうとした。だがそれは、悪手に過ぎた。

片腕で振り下ろされた絶死の一撃が容易に盾を砕き、光の膜に阻まれた。エリーンの祈祷術だ。害意ある攻撃を防ぐ祈祷術〈守り〉。

オークの重撃すら受け止められる防御だが、龍の刃の前には無力だ。カットラスは光の膜を切り裂き、その奥にあるドムの胴体を袈裟切りにした。


「――ガハッ!」

膨大な血しぶきをまき散らしながら、ドムは雪原の上に倒れ込む。零れ落ちた血液が、雪を濡らし、命の雫が失われていく。


「――ドムっ!」「ドムさんっ!」「しっかりしなさい!!」

「ドムさん!?エリーンさん!回復を!?」

皆の叫び声と、ザレスの悲鳴交じりの懇願が響く。だがそれは叶わない。次に狙われたのは、後衛だ。


ゼノヴィアは、カットラスを構え、投擲する。空気を切り裂き飛翔する刃は、人間の認識を超えた速度で進み、エリーンの胴に突き刺さった。


「――」

声は無かった。腹から刃を生やしたエリーンは、がたがたと身体を痙攣させる。豊満な肢体が揺れる様は、背徳的な艶美さを醸し出している。やがて彼女は、糸が切れたように倒れ込んだ。


「てめぇ――ッ!!」

デックは眦を吊り上げ、弓を引き絞る。弓に吸わせた分と武技による魔力消費で、その指先は震えていたが、微塵の狂いも無く、ゼノヴィアの頭蓋へと照準を合わす。だがそれが放たれることは無かった。


『―――――アアアアッアアアッ!!!』

怒りも嘆きも困惑も、全てを塗りつぶす絶望が顕現する。ゼノヴィアの喉から放たれた爆音が、雪を吹き飛ばし周囲一帯の全てを破壊した。

龍の『咆哮』。龍の叫びは戦意を塗りつぶし、挑む者を選別する。彼らは不適格だった。


龍の魔力に充てられた『破弓の団』は、意識を失い、倒れている。唯一意識があるのは、ザレスだけだった。だがそれでも、身体は麻痺したように痙攣し、僅かも動かない。無様な芋虫のように地を這い、それでも戦意に満ちた眼差しをゼノヴィアに向けている。


それを見て、ゼノヴィアの警戒心が刺激される。どうしてこの人間は意識を保っていられるのだろうか。他の人間と同じ程度の力しか持っていないはずだ。

ゼノヴィアは警戒しながらも、倒れ伏すザレスに近づく。身体が動かないザレスは、それを見るしかない。


ザレスの頭の近くに立ち、考える。体は動かないようだが、意識はある。なら、念には念を入れ、手足を潰しておこうと。彼女は手足を磨り潰すべく、しなやかな足を持ち上げ、右腕へと向ける。


『ゼノヴィア!離れろ!?』

そんな彼女の行為を、ゼノンの叫びが止めた。

「――!!」

ゼノヴィアの脳裏に叩きつけられたゼノンの念話。その声音は、ゼノヴィアが聞いたことが無いほど、焦燥に支配されていた。


ゼノヴィアはゼノンの言葉に疑問を持つことなく、慌ててザレスから飛びのいた。

その瞬間、光が立ち昇った。


濃密な魔力が渦巻き、輝く光粒がザレスを包み込む。

ゼノヴィアは、それを見た瞬間、反射的に動いていた。あれは危険だと、本能が悟っていた。


大きく息を吸い込み、その身に宿す『炎』の概念と、膨大な魔力を混ぜ合わせる。体の内に顕現したのは、煌めく劫火。主に使うなと厳命されていた龍の炎。

数多の文明を焼き、人域を喰らってきた炎を、解き放つ。


ごう――ッ、と凄まじい爆音と共に空気を焼き尽くしながら放たれた『息吹ブレス』が光に包まれたザレスを覆い尽くし、焼失させた。


突き進んだ『息吹』は、地面を融解させながら突き進み、前方の森を燃やし尽くした。炙られた木々は瞬く間に炭化する。爆炎が周囲の温度を上昇させ、雪を解かし、巻き上げられた灰炎が、山脈のふもとに降り注いだ。


「……主様」

『逃げられたね。……一瞬、空間が歪んだ』

「――ッ!申し訳ございません!御身の命を果たせませんでした……!」

ゼノヴィアは膝をつき、頭を下げる。主様の命令は5人の捕獲だ。例え、謎の現象に邪魔されたとはいえ、失態は失態だった。


もしかすれば、お叱りを受けるかもしれない。それどころか、不要と断じられ、主様に捨てられるかもしれない。それが、何よりも恐ろしい。

ゼノヴィアは、内心に恐怖を抱きながら、沙汰を待つ。


『気にしなくていいよ。あれはどうしようもないさ。……とりあえず、帰っておいで。残りの奴らの回収は使い魔たちにさせるから』

「……はい」

ゼノヴィアは安堵を滲ませ頭を上げる。その胸中に、光の渦への憎悪を滾らせながら。

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