親子

厨房は城の3階に存在する。使用人用の食堂に併設されたそれは、城中の食事を担うに相応しい大きさと設備を誇る。


そこを支配する存在こそが、料理長ロクフシ。二メートルを超える巨体に7本の腕。人間の両腕のある位置から三本の腕があり、額からさらに一本の手が出ている。

額の手の平には大きな目玉が一つ。


寡黙で職人気質。恐ろしい姿に反して、この城でも緑爺さんと並ぶ善人で常識人だ。

彼は今、床を転げまわり、涙を流していた。


「うぅぅうううっ!ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだ、ダメだぁ!なんでだよぅ……」

「お、落ち着いてください、ロクフシさん!主様のお食事をお作りしなくては!」

厨房で蹲る彼を、料理人のホムンクルスたちが慰めていた。皮と骨だけしかないような細い棒のような身体に、目も口も何もない顔。

そんな特異な彼らもまた、メイドさんたちと同じホムンクルス。人造人間だ。


「久しぶりに見たな」


扉を開き、師匠が入っても気づかないほど混沌とした厨房。普段は寡黙なロクフシさんが子供みたいに泣きじゃくる姿は、見ていて言い知れぬ悲しみを感じるのだが、師匠は微笑ましそうに眺めていた。

師匠にとっては彼もまた、子どもということだ。


一歩進み、師匠が声を掛ける。ホムンクルスの料理人たちは、驚いたように顔を上げ、出迎えることのできなかった己を恥じるように頭を下げた。


「うぅ、主様!私は、わたしはぁっ!」

「いい。寝ていろ、ヒトフシ」

うぅ、と彼は最後に唸り、眠りについた。アリスティア家当主である師匠には、配下に対する支配権限を持っている。それを使い、強制的に眠らせたのだ。


「ありがとうございます、主様」

ホムンクルスの一人が、頭を下げ、礼を告げる。師匠は手を振り、構わないと伝える。

よく見ると、彼の右手は無かった。ねじ切れたような真新しい傷口は、血が流れることは無いが生々しい。

恐らく、ヒトフシを押さえる時に負った傷だ。彼女の力はすさまじい。この城一の怪力の持ち主を相手に片腕だけで済んだのなら軽傷と言える。


「右手を渡せ」

師匠は彼に向けて手を伸ばす。

「は……、はっ、はい、どうぞ」

困惑していた彼は、言われている言葉の意味が分かったように取れた右手を渡した。

細い骨ばった腕。師匠はそれを無造作に眺め、握りつぶした。


いや、握りつぶしたという表現は正しくない。その腕は、師匠の白手を躱すように溶けていたのだから。

溶ける、ほどける。構成要素ごとにばらける。骨は骨に、肉は肉に、血管は血管に分かれていく。独りでに浮かび、パーツごとにそれは別れた。

すでに腕に原型は無い。


「では、戻すぞ」

液状となった腕だったものが切れた肩の先に接続される。構築しなおされる。伸びていくように腕が元に戻る。


それは決して治療ではない。彼女は神に仕える神官ではないため、無条件の奇跡など扱えない。だがそれは、神秘であり、ただの組みなおしだ。


自らが構築した肉体を、分解し、元通りに組みなおす。結末は同じ。傷は癒え、治るけれど過程が違う。

魔術世界では、禁術として指定された錬金術の秘儀。肉体の組み換えである。


「あ、ありがとうございます」

「構わん。それよりも厨房を開けろ。今から使う」

「はい。畏まりました」

ホムンクルスの彼らは、倒れたロクフシさんを連れて行き、厨房には俺と師匠だけが残された。


「相変わらずでしたね、ヒトフシちゃん」

ラブリーチャーミングな一つ目の少女、ヒトフシちゃん。一つ目と言うか一つ目だけが本体の子だ。

料理長ロクフシさんの肉体には同居人がいる。彼女の名はヒトフシ。料理長の額の手の内にある脳に宿る人格だ。


彼女は本来、戦闘用の人格であり、表に出ることは無い。表に出るとすれば、戦闘時かロクフシさんが追い詰められた時のみ。

今回は後者、ロクフシさんが限界になったため出てきたのだ。


ロクフシさんは料理に真摯であり、探究者なのだ。そのため彼は頻繁に最高の料理を作れない自己嫌悪に陥り、スイッチする。

いや、彼の料理は今まで食べたどの料理よりもおいしいのだが、それでも彼にはまだ足りないらしい。


その結果、スイッチし、ヒトフシちゃんが出る。彼女は暴れ回るだけなので、結果あの惨状になるのだ。


「それで、どうするんです?」

石造りの巨釜に棚に懸けられた数多の包丁。独りでに渦を巻く洗い場に調味料を勝手に舐めて顔を顰める妖精たち。

魔術師の調理場に相応しいおかしな場所だが、なぜここに来たのだろうか。

まさか本当に料理でもするのだろうか。魔女っ子クッキングか?

いや、そんな訳はないか……。


「どうするとはおかしな質問だ。料理をするに決まっているだろう」

はぇ?ほんとにぃ?

「………料理とかできるんですか?」

「できるに決まっているだろう。魔法薬を調合するのと同じだ」

こわぁ……。料理しないやつの発言じゃん。普段料理をしないやつに限ってレシピ通りに作りたがるのだ。

いるんだよなぁ、塩一つまみを真剣に悩んで先生に聞くやつ。

塩一つまみも二つまみも分かる舌なんて無いんだから、黙って一袋ぶち込めばいいと思います。


「貴様も手伝え」

師匠はそう言って、服の袖をまくって、包丁を持った。

「まあ、いいですけど……。何を作るんですか?」

師匠一人にだけ任せるのはこわ……ではなく申し訳ないので手伝うつもりだったが完成形が分からないと手伝いようがない。

「普通のゼラチチだ」

「……ゼラチチ?」

ゼラチン、ボルシチ、バクチチ……いろんな料理を想像したがゼラチチなんて料理は知らん。ついでにバクチチは料理じゃないね。でも料理でいいと思います。男の子は皆好きだからね。


「なんだ、知らんのか。……一言で言えば、山羊の乳で作るスープだな」

「シチュー的なやつか。あれでしょう、芋とか入れるんでしょう?」

「そうだ」

うん、何となく想像できた。

俺は調理場の下にある食材保管庫に入り、目当てのものを探す。二面鳥のもも肉と、黒山羊の乳。後は適当な野菜と香草とかだろうか。

調味料の類は妖精たちが持っていたはずだ。


エリーゼ半島には当然、肉屋も農家もいないので、これらの食材も自給自足だ。アリスティア城内には、牧場も農園もあるので、食材はそこで生まれている。

保管庫はとても寒い。食材を保存するために、耐熱の石材で囲み、冷やしているのだ。


保管庫の中央には銅の籠のような物が天井からぶら下げられている。

穴がたくさん開いたそれからは、ひゅうひゅうと風の音が聞こえ、冷風が吹いていた。


これも師匠が発明した魔具の一つで、《共鳴の籠鐘》だ。

外に置かれてある対となる籠から、冷気を吸い込み、吐き出す。シンプルな仕組みだが、大気中の魔力だけで発動し続ける効率は唯一無二だ。今の俺には到底作り出せないような魔具だ。

俺は目当ての食材を物体浮遊の魔術で浮かばせ、調理場へと戻っていった。


「持ってきましたよ」

「よし。では作るぞ」

師匠は意外にも、手慣れた手つきで鶏肉の筋を切り、塩で下味をつけている。

何というか、師匠は貴族のような気品と威厳がある人なので、料理をする姿は意外で違和感が凄い。


そういえば、師匠はどういう出自なのだろうか。アリスティア家は、当主が退く時に次代の当主を育成して丸投げするという世代交代をしているので、別段、三代目の血筋というわけではないのだろう。下世話な想像だが、貴族の令嬢とかかな?


疎まれているアリスティア家の当主との禁断の恋。ああ!私をさらってぇ!そして目覚める魔術の才能……。ああ、いいよ、いいよぉ!俺のくりえいてぃぶがうなりを上げるぅ!

脳内の小さな俺がクルクル手を回しているが、真実は分からない。ついでに三代目の性別も分からない。

うーん、気になるが絶対言わないよなぁ。さりげなく聞いてみようか。


「ねえ、師匠。師匠って――」

「貴様には教えんぞ」

「ううぇっ!?」

「どうせ私の生まれでも気になったのだろう。魔術師であるなら、感情は殺し、思考を悟られないようにしろ」

ばれてーら。そんなに分かりやすいのだろうか。


「別にいいじゃないですかー」

「黙れ、クソガキが。貴様の下世話な好奇心を満たす手伝いなどせん」

それっきり、師匠は調理に集中し始めた。俺もそれ以上は聞けず、黙って手伝う。

手際よく、師匠は鍋に食材を入れ、煮込み始める。こげないようにかき混ぜるその姿は、魔女みたいな服装の師匠にはよく似合っている。


変な状況だ。そもそも何で俺は師匠と料理をしているのか。

だけど、まあいいか。誰かと料理をするのは久しぶりで、とても楽しい。

俺は、無表情ながらもどこか上機嫌な師匠を見てそう思った。


「美味しいですね」

「そうか」

赤みがかったスープは、まろやかな味わいの中に香辛料のスパイスが効いていてとても美味しい。大きめにカットされた野菜と鶏肉も食べ応えがある。

そんなことを声高に伝えたが、返ってきた師匠の返事はそっけない。だけど、それなりの付き合いの俺は分かるのだ。ちょっと喜んでいる。


「故郷の味だ。久しぶりに食べたくなった」

「へえ。どこなんです?故郷」

「黙れ。阿呆が」

「俺の予想だと北の方の国だと思うんですよ。香辛料を入れるのは胡椒や塩が取れない地域だからで、イモ類がメインなのも寒い場所でも育つからでしょう?」

「………はあ。貴様の聡い所は長所でもあり短所だな」

師匠は疲れたように息を吐いた。珍しく褒められた。うれしい。


「さっさと食べろ」

「はーい」

ぱくり、とゼノンが笑顔でスプーンを口に運ぶ。それをアリアは静かに見守る。

それを見た後ろに控えるメイドたちは、唇を緩ませた。珍しいものを見たと、後で楽しそうに同僚に話すだろう。


そして彼女たちは思う。本人たちにはその意識も無ければ、言われれば眉を顰めるだろうが、2人の姿はまるで親子のようだったと。


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