芽吹きの冬

師匠手作りのなんとかチチみたな料理を振る舞ってもらった次の日。俺は師匠に呼び出された。

何だろうか。この前捕まえた冒険者どものことかな。

あれならあげない。自由に半島の外を行き来できる師匠と違い、俺は素体の調達にも苦労するのだ。

あんな半端魔術師一人とその他4人でも大事なのだ。


即断ろうと思いながら師匠のいる執務室へと向かう。広い廊下は相変わらず掃除が行き届いており、柔らかな光が等間隔で宿っている。


だけど今日はどこか寂し気だ。なんでだろうか。その答えが出る前に大きな両開きの扉の前に辿り着いた。


小さくノックをする。すると、扉が開き、メイドが顔を出す。彼女は俺を確認すると、「ゼノン様がいらっしゃいました」と師匠に伝える。

「通せ」といういつも通りの冷然とした師匠の声が聞こえ、扉が開く。


「何ですか、師匠。言っておきますけど、捕まえた奴らはあげませんよ」

機先を制して断りを入れたが、師匠は軽く鼻で笑った。

「いるか、あんなゴミども。それよりも今日は貴様にプレゼントがある」

師匠はそう言って、彼女は一冊の本を俺に放り投げた。革張りの重厚な本。よく見れば、師匠がこの前書いていた本だ。


何だろう、自筆小説とかか?

だとしたらきついな。つまらなかったらどうしよう。


うーん、いいですねぇ。パッションと教養が垣間見える素晴らしいお話でした。この感じでブラッシュアップ重ねていきましょう!

うん、これだな。こう返そう。気分はデコ出しツーブロック編集者だ。


「ありがとうございます!楽しく読ませてもらいますね!」

俺はニッコリ笑顔で親指を立てる。

だけど師匠は大きくため息を吐き、額に手を当てた。

「それは、魔術書だ」

まじゅつしょ、魔術書?魔術理論が書かれた本?

「ああ!それなら早くいってくださいよ。心配したなあ」

えへへへ、と笑う。だけど俺の能天気な考えは次の師匠の言葉で吹き飛んだ。


「それには、アリスティア家の固有魔術が記されている」

「………は?」

固有魔術。それは、魔術師独自の魔術や受け継いできた固有の術式を指す言葉だ。門外不出の技術であり、時にはそれを巡り争いになることも少なくない。

アリスティア家にも当然存在する。だけどそれは今まで教えられなかった。固有魔術を知るのは当主のみだからだ。

そしてそれを今日、俺に教えるということは、そういうことなのだろう。


「……そう、ですか」

何を言うべきか。いつか来るとは思っていた。だけど今日とは思わなかった。突然のことに、言葉を失う。


「行くんですか?」

言うべきことは他にある。そう感じていても、気づけば分かり切ったことを訪ねていた。彼女は異界に向かうため、後継を求めた。俺がアリスティア家を継ぐのなら、彼女の旅立ちは当然だ。


「ああ。教えることは全て教えた。ワタシ、アリア・アリスティアの名において認めよう。今日からはお前がアリスティア家当主だ」

彼女は立ち上がり、俺の前までやって来る。俺よりも頭半分ほど小さい。背もすっかり俺が追い抜いた。


そうして初めて実感する。もう10年も経ったと。子どもだった俺は大人になり、何でもない大学生は魔術師になった。


何も突然ではない。最近、師匠から直接魔術を教わることは無かった。何か、忙しく動いていた。彼女は言葉にしなかっただけで、ずっと教えてくれていた。

俺がそれを無視していただけのこと。


「これを」

彼女はその指に嵌めた黄金の指輪を俺に渡す。それは、アリスティア家当主であることを示す証だ。

俺はそれを受け取り、右手の薬指に嵌めた。感慨深さはない。突然すぎて、感情も追い付いていない。

だけど師匠は、もうアリスティアではないただのアリアは、どこか安堵したような、そんな気がした。


「これでワタシのするべきことは終わった。もう行く」

そういって、師匠はそのまま執務室を出ていく。その背は儚く、どこか揺れていた。


心の奥から湧き上がる不安に突き動かされ、俺も置いて行かれないように慌てて彼女の後を付いていく。


「今すぐ異界に渡る気ですか?急すぎるでしょう!?」

「雑務の引継ぎはリリエルライトに聞け。あいつは置いていく」

彼女は冷淡にそう告げ、通路を進んでいく。足取りに迷いはなく、初めからそうするつもりだったのだと分かる。


階段を降った彼女は、地下室の一室の扉を開く。床には巨大な陣が引かれており、その周囲には色とりどりの宝石が配置されていた。室内にいるのは、彼女の護衛である竜人とメイドがひとりだけ。


思い出せば、城内に人の姿が無かった。師匠の配下は皆、この世界から発ったのだろう。残ったのは、師匠を含め三人だけ。


「入るなよ」

アリアはそう言って、室内に入る。そして、陣を起動させた。

膨大な魔術が渦を巻き、風など吹き込まないにも関わらず、嵐のような暴風が吹き荒れる。彼女は本当にこのまま去るつもりだ。


「――ッ!自分勝手すぎるでしょ!お別れぐらいしましょうよ!」

俺は思わずそう叫ぶ。それ以外、言う言葉は無かった。彼女にとって俺は、当主の責務を果たすための駒なのかもしれないが、俺には恩がある。拾ってもらって、魔術を教えてくれた恩が。


「まだ、何も返してない!」

的外れなことで責める。何を言っているのか。師匠は俺に家を継がせ、自由になりたいんだ。なら、俺がアリスティア家を継ぐことが何よりの恩返しだ。


だけど、感情は違う。それを言葉にできなくて、最後でも気恥ずかしくて、彼女に届く言葉が暴論でも破綻していても足を止めて欲しかった。


「ゼノン。お前には才能がある。ワタシを超えるほどの。縁があればまた巡り合うさ」

彼女は、静かに微笑んだ。今まで見たことが無いぐらい綺麗で、春に咲く花弁のように可憐な笑顔で。


初めて名を呼んでもらえた。そんなことに気づく間もなく、別れが近づく。


空間が臨動する。法則が乱れ、超常の門が開く。

世界が引き裂かれる劇音と共に、彼女の姿は消えた。

最後に一陣の風が吹いた後、そこには何もなかった。宝石の残骸と陣の跡だけが彼女がさっきまで存在していたことの証明だ。

この日、宝石の魔女アリア・アリスティアは世界から消えた。


ただ、室内を眺め続ける。彼女がもういないことは分かっている。気のせいだったなんて微塵も思ってはいない。だけど、彼女の残滓を想うようにただ立ち続けた。


最後まで、俺たちは言いたいことを言い合っただけだった。そのくせ、本音を伝えたことはあっただろうか。

師匠は笑った。どういう笑みだったのか。俺を納得させるためか、あるいは本心か。魔術師の言葉など信じるに値しない。それでも、本物だと思いたがる我が心を嘲笑う。


確かなことはただ一つ。これが最後じゃない。いつか会いに行こうと思う。彼女のようにこの世界を生きて、いつか飽きて満足して、それでも心が変わっていなければ、今度は自分の言葉を届けよう。だから今は――


「――自分勝手なクソ魔女がーー!!絶対アンタより凄い魔術師になって、弟子には優しい師匠になってやるからな!!」

彼女が消えた部屋で吠える。頬を伝う何かを振り払うように。

凍るように寒い冬の日。俺はアリスティアになった。


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