ガレス

翌日の早朝、ガレス達5人は荷物を纏め、山へと向かう。前衛で戦うガレスは荷物は持たず、身軽な姿だ。代わりに後衛としてガレス達のサポートを担う二人が大きなバックパックを背負っている。


中身は、干し肉のような保存食や水、虫よけの魔具や火おこしの魔具、予備の武器、回復薬などがぎっしりと詰まっており、ぱんぱんに膨れ上がっている。

本来なら、後衛の魔術師であるトレシアも荷物を持つのがセオリーだが、当然のように彼は荷物をガレスの部下たちに押し付け、一人身軽なままだ。


一体、昨夜は何をしていたのか。乱れた服で待ち合わせ場所に遅れてきた彼に、ガレスは怒鳴り付けそうになったが、何とか堪えた。

これからの道中、彼の魔術は必要であり、その機嫌を損ねるようなことはしたくなかったのだ。


だが、彼の部下たちは違う。あからさまな嫌悪と怒りの眼差しをトレシアに向けており、雰囲気は最悪だ。

(後で調整が必要だな)

始まりから不穏な旅路を思い、彼は静かにため息をついた。


5人は、険しい山道を登る。雪が降り積もり、足場は最悪に近いが、魔装術が使える5人は難なく登っていく。時折出くわす魔物たちは、ガレスが先頭に立ち、切り伏せていく。


「はあっ!」

冒険者時代に大金をはたき、オーダーメイドで作った魔銀ミスリルの両手剣は、魔物の血に塗れながらも鋭い輝きを宿している。

飛び掛かってくるダイアウルフを振り向きざまに両断する。魔装術を使い、強化された肉体は、容易く白狼を両断した。


「ベッジ、ドーラス!援護を!」

弓矢に武器を持ち換えた仲間二人が、矢を放ち、狼の目に命中させる。命には届かないが、明確な隙が生まれる。


「トレシア様、お願いします!」

「下がりなさい!〈炎の舌〉!」

トレシアの手から膨れ上がった炎が、鞭のようにしなり、狼たちを蹴散らす。

毛皮を焦がしながら宙を舞う狼たちを見やりながら、ガレスは冒険者時代なら毛皮がダメになったことに眉を顰めていだろうな、とぼんやりと思う。


「今だ!突破するぞ!」

欠けた包囲網から突破し、最後尾に残った盗賊のデネが匂い玉を放り投げ、ダイアウルフの嗅覚を潰す。

一行は、一気に身体能力を強化し、その場から離脱した。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」

5人分の荒い息が、川の近くのくぼ地にこだまする。その中でも、魔術師のトレシアの疲労が酷い。ガレスはここで休憩を取ることを決めた。


「……少し、休憩をしましょう。デネ、警戒を頼む」

デネとガレス以外の3人は、手ごろな岩に腰を下ろし、休憩を取る。

「……どうしてダイアウルフがここにいるんだ!聞いていないぞ!」

息が落ち着いてきたトレシアが、苛立たし気に膝を叩く。だが、誰も答えは知らない。


ダイアウルフは本来、砂漠に住む長い爪が特徴の魔獣種だ。砂色の体毛が特徴的で、骨も残さず獲物を食らい尽くすことから、砂漠の掃除屋と呼ばれている。

こんな寒冷地に生息しているとは完全に予想外だった。


とはいえ、ダイアウルフはそれほど危険度が高い魔物ではない。冒険者時代のガレス達ならば、容易に狩れた魔物だ。

不意を撃たれたとはいえ、逃げだすという無様を晒したのは、異分子の存在が大きい。


トレシア・ヴァン・フォレスト。プライドの高い貴族であり、己の魔術に誇りと自負を持つ彼は、まるでガレスの命令を聞かなかった。

ダイアウルフの襲撃された当初は、ガレスの命令も無視し、勝手に魔術を使い始める始末。ガレスの指示に従ったのは、己の命が危険に晒された終盤のみだった。


(あいつが初めから俺の指示通りの魔術を使えば無駄に体力を使わずに済んだものを……)

「恐らく、寒冷地に適応した異常種が繫栄したのでしょう。珍しいケースです」

心中では悪態をつきながらも、その口はトレシアの疑問への答えを返す。


珍しいと言っても、狼に追い回された貴族の屈辱は癒えない。

ガレスは火種から離れるように、水を汲んでくると言い残し、川に向かう。

ガレス自身にも考える時間は必要だ。想像以上に厄介な厳冬山脈。生息する魔物が完全に予想できなくなった以上、より慎重に進むことが求められる。

おまけにトレシアとの連携は絶望的。実質、お荷物を一人抱えて進むことになる。

そんな絶望的な状況を整理するためにも彼は一人になりたかった。


水筒の中身はほとんど残っている。だが、水を汲むと言った以上、何もしないのは居心地が悪く、一応冷たい川に水筒をつけた。

こぽこぽと気泡が浮上して、中身が補充される。手を引きあげ、僅かな間、水につけただけでもかじかみ、赤くなった手をさすり、温める。


波紋が静まり、穏やかな流れが戻る。透明な流れに映るのは苦々しく歪んだ自身の顔。それを知らぬ川魚がゆらりゆらりと泳いでいく。


「いきなりこれか……。厄介な山だ……」

エリーゼ半島に入るには、ガレス達の前に立ちはだかっている厳冬山脈を超えなければならない。この山脈は、アリスティア家を攻略する最初の関門となっている。


「だがこの山脈が邪魔なのは奴らも一緒だ。抜け道か何かを見つければ、大手柄なんだがな……」

アリスティア家にとっても、この厳冬山脈が外への行き来の障害になっているはずだ。ならば、何らかの抜け道が存在するというのは、情報局が出した結論だった。


ほう、と息を吐く。白い息が氷結し、大気中に散っていく。寒い。血すら凍りそうなほどの寒さだ。任務のために支給された防寒魔術が刻印された装備をもってしても、この地の風は身に染みる。


寒い。いや、あまりにも寒すぎる。温度の低下が早すぎる……!

ガレスは反射的に肉体を魔装術で強化する。全身の神経に魔術を流し、全能力を引き上げる。耐性も上がることで、彼の体を冒していた寒さも遠のく。


ガレスは瞳に魔力を集め、視力を強化する。すると、川の向こうに、魔力の淀みがあることに気づく。大気を流れる魔力がそこを起点に歪んでいる。

それに気付いた瞬間、ヴェールが剝がれるように、隠匿されていた存在が現実に浮かび上がる。


そこにいたのは、白髪の少年だ。まだ10代後半ぐらいの中性的な顔立ちをした少年で、黒いローブを身に纏っている。

穏やかな笑みを張り付け、面白そうにガレスを見ていた。


(ガキ!?何でここに……)

ガレスは己の悪寒に突き動かされるように剣を引き抜き、正眼に構える。戦闘態勢に入ったガレスを見ても、少年の表情は変わらない。

「てめえ、ナニモンだ!?」

仲間たちに聞こえるように大声で威嚇する。なるべく荒く、暴漢のように。そうすることで、相手がこちらを侮らせるのも狙いだ。

魔術師は得てしてプライドが高く、他者を見下す。トレシアがいい典型であり、それゆえ、このような立ち振る舞いが刺さるのだ。


「……ゼノン・アリスティア。魔術師だよ」

ガレスの質問に対し、少年は、標的の家名を名乗った。アリスティア家。エリーゼ半島を納める魔術師の一族であり、今回の調査でガレス達が調べるべき相手だ。


「君たちは何をしに来たんだ?地元の狩人には見えないが」

少年はあくまで穏やかに質問を告げる。それが、ガレスには何よりも気味が悪い。こちらが複数人であることが分かっているのに慌てず、仲間が来ることを恐れてもいない。

そして何よりその目だ。黒い二つの瞳。静かな知性を宿す双眼は、まるで小動物を見るようにガレスを睥睨していた。


「冒険者だ。貴重な魔物の素材を取りに来たんだよ」

彼の眼差しに悪寒を覚えながらも、気丈な態度を取り繕って返事をする。

ガレスは懐から取り出した銀のプレートを見せる。冒険者は半分引退したが、はったりには使える。


「なるほど」

少年は川に向けて一歩踏み出す。本来なら、水に沈み濡れるはずの足は、水面の表面に足を付いた。そしてそのまま、川の表面を歩いてこちらにやって来る。

水流に流されることも無い。まるで世界から切り離され、後からくっつけたように不自然な動きだった。


(これだから魔術師は!)

物理法則を無視した動きは魔術師ならではだ。冒険者時代に何度も見てきた『才能』の化身。その姿に、標的だということも忘れ、嫉妬を抱く。


「迷っちまってな。よかったら麓までの道を教えてくれないか」

ガレスは剣を下ろし、笑みを浮かべる。

(5メートル……)

少年は笑みを浮かべたまま、一歩ずつガレスへと近づく。

なぜ近づいてくる?魔術師が剣士と距離を詰めるなど、自殺行為だ。もしかしたら、ガレスの言い分を信じたのかもしれない。


相手は仕立てのいい服を着たガキだ。社会を知らずに生きてきた可能性は高いのではないか。

もしかすれば、ガレスの立ち振る舞いもいい方向へ作用したのかもしれない。

ガレスは心中で笑みを浮かべながら、距離を冷静に測る。


(2メートル……。ここだっ!)

ガレスは下段から切り上げるように両手剣を振り上げる。鍛え上げた筋力と魔装術が合わさったその一撃は、魔獣の肉体を両断するほどの威力を持つ。

華奢な魔術師など、余波だけで殺せるほどの威力だ。


(やった……!)

スローモーションになる視界の中で、ガレスは己の勝利を確信する。

魔術師を殺した!才能の塊に、俺が剣で勝つんだ…!


(あ、れ?)

異常に気付く。遠ざかった寒さが、再び体を冒す。ゼノンに近づくにつれ、刃が遅くなる。それどころか、己の意識までも……

ぱきぱきという音を最後に、ガレスの意識は消えた。

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