願い

「精霊を使役しているのですか?」

エリスは尋ねる。彼女には木の精霊ドライアドが従っているように見えた。

それは、この地を納めるアリスティアだから可能なのか、あるいは彼の固有の能力なのか知りたかった。

珍しいことに、エリスイスの単純な好奇心から出た質問だ。


「ん?いや、違うよ。精霊は使役できないよ、誰にも」

だが、ゼノンは否定する。

「精霊は、自然界の化身だ。人に靡くことも無ければ懐くことも無い。あれは、一種のシステムだからね」

「しすてむ?よくわかりませんが、貴方に従っているように見えました」

「魔晶石を捧げて、対価として一晩の安全を貰ったんだ。あくまで下手に出て頼んだのはこちらだよ」


そも、精霊は人とは考え方が違うとゼノンは言う。例え人のに姿を取っていても、その中身はまるで違う。

「顔を覚えられているから、頼みやすいのは確かだよ。それでも、彼女はアリスティア家が来る遥か前からここにいた。彼女にとってはアリスティアも新参なのさ。まあ、、という表現はおかしいけれど」


そう言って、彼は影から取り出した果実を一つ、エリスイスへと放った。空間魔術による拡張収納。高位魔術であり、未だエリスも習得できていないものだ。


彼女は手の内に収まった赤い実を見る。見たことのない果実。王族の習性で毒を警戒するが、すぐにそんなことをする理由は無いと悟り、小さな口で齧った。


「ですが、精霊を使役するものはいるでしょう?」

例えば、妖精人エルフの魔術師。彼らの中には、精霊の力を借りる者がいる。


「ああ、精霊術だね。あれも根本はさっきやったのと一緒だよ。頼み込んで、現象を引き出す。そういう術だね」

淀みなく、答えが返ってくる。豊富な魔術の知識と年不相応の落ち着き。

後者は人のことは言えないが、彼は本当に魔術が好きなのだと分かる。

その純粋さが怖いとも思う。


「少し、寒いですね」

ゼノンの作った《琥珀の千年服》は完全な耐寒性能を有しているが、露出した顔や手は冷える。エリスは白磁の手にほう、と息を吹きかけた。


寒いなら耐寒の魔術を使えばいいという話だ。熱量操作の魔術は基礎であり、当然エリスも使えるし、使


使ってこれだ。エリーゼ半島は雪の一粒、大気を舞う風にまで、魔力が含まれ、超常の加護が宿っている。

やはりエリーゼ半島は異常だとそれをエリスは実感する。


そしてそれを狙う魔術師たちの気持ちも理解できた。例え水の一汲みであっても霊薬の溶液となり、木の枝一本でも、貴重な魔杖の材料となるだろう。

まさしく、宝の山。


(妖精の悪戯にあったのは最悪でしたが、この地の支配者の血族と出会えたのは最悪を上回る僥倖でしたね。うまく利用できれば、帝国を蹴落とせるかもしれません)


王族としての考えが、ゼノン・アリスティアとの邂逅に利害を求めようとする。エリスイスがそんな薄暗いことを考えているとは全く知らないゼノンは何かを考えながらうーん、うーんと唸っている。


「はい、どうぞ」

そう言って、ゼノンは宙に何かを描いた。光で綴られた文字の集合体。それは円環を成し小さな球体を形作った。

そしてそのうちに、仄かな緋色の輝きが宿った。


「温かい……」

「そうだろう?正直使う機会が全然ないから術式を忘れかけていたけど、思い出せてよかったよ」

防寒の術式があれば、いらないし。俺みたいなぼっち魔術師には人を温める術など、不要。

だけど、温かそうに手をかざすエリスイスを見て、思い出せてよかったと本当にそう思った。


やっぱり美少女は良いね。男は無条件で助けたくなる。

これが低い声の似非江戸っ子みたいな口調の蛇なら、さっさと冬眠しろとしか思わない。冬眠してたら可愛いのに。というかあの蛇は何なのだろうか。


そもそも喋る蛇ってなんだ?喋る必要あるの?多分、なのだろうが、あの人の趣味はよくわからないなあ。

俺もどうせ転生するなら美少女が良かった。そしたら師匠も少しは優しくなっていたかもしれない。いや、そんな訳ないか。


「じゃあ、俺寝るから。滅茶苦茶疲れてるから。歩き続けて疲れたからぁ!」

「は、はい。おやすみなさい」

例え美少女でも、俺を歩き続けさせたのは許さない。ローブをくるりと体に纏わせ、俺は蔦の床に体を預けた。

そのうち、車でも作ろう。そんなことを思いながら、意識を失った。


緋色の陽光に手をかざしながら、エリスは寝息を立て始めたゼノンを見る。眠る姿は年相応以上に幼く見え、とても魔術師には見えない。


そもそも、魔術師と言う人種は懐疑主義者だ。時には悲願のため、魔術師同士で知識や魔具を奪い合うことも多い彼らは、そも他の一派を信用しない。


アリスティア家もそういう理由からエリーゼ半島に籠っている一族のはずだ。その魔術師がこんなのでいいのだろうか。


彼の発動させた魔術は、ゼノンが意識を失った後も変わらずそこにある。本来、魔術には術式を維持する集中力と魔力の供給が必要だ。


物質等に刻み、魔力を循環させるといった工夫をしなければ、魔術はすぐに霧散する。だが、宙に浮かぶそれは、その常識を覆している。


(一体、どうゆう仕組みなのでしょうか)

術師の制御なしでも独立し、存在し続ける魔術。それはすでに魔具の領域だ。これもまた、アリスティア家の錬金術なのだろうか。


やはり、危険だ。もしもこれが灯の魔術でなければ、殺傷能力を持つ魔術だったら。彼は一人で万軍を魔具使いに変え得る能力を持っている。

(今なら……)

刃を抜き、振り下ろすまで、0.1秒ほど。魔術を構築する暇も無く、切り裂ける。不確定要素は魔具。エリスの一撃を防いだ防壁の魔具が条件発動の場合、防がれる可能性がある。


だが今が唯一の機会かもしれない。

静かな殺意を秘めるエリスイスは思い悩む。アリスティア家はエリーゼ半島に引き籠る魔術師だが、常に諸外国との領土問題を抱えており、頻繁に紛争へと発展する。

例を挙げれば、エリーゼ半島と陸続きの領土を持つ大陸東方を支配するデルウェア帝国。


帝国とアリスティア家は何度も戦争を引き起こし、そのたびに大量の血が流れた。

そして時には、エリーゼ半島に手を出した魔術師貴族を殺すために、『呪い』を撒き何万人もの無辜の民を虐殺した記録も残っている。


彼の一族には常に血と呪いが渦巻いていた。そしてきっと彼もそうなる。アリスティア家に生まれた以上、それはついて回る宿命だ。

ならば、殺すべきだ。我が祖国のため、人類のために。


「やめい、王国の姫。それは一応一族の後継たる一粒種じゃ。殺されるのは、ちと困る」

気付けば、エリスイスの目の前に蛇がいた。まるで本のページを飛ばしたように前後が合わない異様な現象。

双頭を持つ小さな白蛇は矮躯に似合わぬ低い声でエリスイスを窘める。


「まさか。彼は私を外へと案内してくれている恩人です。殺すなど、あり得るはずもございませんよ、アリスティア家の臣下様」

殺意を見透かされたエリスは、それでも王女の仮面を欠片も揺るがさず、言い放つ。


「………なら、よい」

その白蛇の返答に虚を突かれたのはエリスイスの方だ。彼女もあんな返事で誤魔化せたとは思ってはいない。


「あら?貴方の力なら、私を外へと飛ばせるはずではありませんか。そうはなさらないのですね」

白蛇の能力は空間操作。先ほど起こった現象を一目で見抜いたエリスは、なぜ彼が手を出さないのかと暗に問う。そも、ゼノンがエリスイスを送り届けること自体不可思議だ。


彼女には、眼前の白蛇、そしてその背後にいるアリスティア家現当主である『宝石の魔女』の考えもまるで理解できなかった。

何を思って、こんな回りくどいことをするのだろう、と。

邪魔なら殺せばいい。領土から出て行って欲しいなら、空間魔術でも何でも使い、飛ばせばいい。それが出来るのがアリスティア家だ。


「ふむ。そこの坊主は世界に疎い」

世界に疎い。その言葉にエリスは違和感を感じる。言うならば、世間に疎い、ではないだろうか。

「故、外に触れさせるという意味で、おぬしの世話を任せたのじゃよ」

「……よくわかりませんが、そちらに害意が無いことはわかりました。こちらも危害を加えないと約束しましょう」

白蛇は現れた時のように消えた。

エリスは小さく息を吐き、瞳を閉じた。


アリア・アリスティアはゼノンの成長を願い、試練を課した。お目付け役が白蛇のネネ。エリスイス・エスティアナはたまたまそこにいたというだけ。


彼らは願う。どうか世界を知ってほしいと。いずれいなくなる彼らは少しでも何かを残そうとしている。それは責務であり、愛情であり、願望だ。


他者への興味が薄いアリアでさえ、願っている。一族から悲願へと到達するものが出ることを。


エリスイスは思う。王族としての責務を。数多の民草を背負うものとして、世界の脅威と向き合う必要がある。例え害意はなくとも、ただそこにあるだけで、力は触れる物を傷つけると知っている。


エリスイスはやがて選ぶだろう。王女として、あるいは無二の才媛として。

己と王女で揺れ動く。


ただ純粋に旅を楽しんでいるのは、無垢の魔術師のみ。

彼だけはこの旅で何も選び取らないだろう。ただ変わらず進み続けるのみだ。

三者三様。思いを抱いた彼らは、短い旅路を踏み出した。

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