溶岩竜

半島の外に出るためには、森を抜け、厳冬山脈を超える必要がある。一日二日では終わらない長い道のりだ。


俺達は数日間の旅路を経て、厳冬山脈の頂上付近まで来ていた。長く、険しい旅だった。絶えず襲い来る魔物、慣れない旅路で病にかかったお姫様、悪天候が体力を奪い、俺達は身を寄せ合って夜を明かしたのだ。


ここまで来れたのが奇跡のような、そんな旅路を通し、俺たちの仲は深まった。


「意外と簡単に来れましたね。魔物はあまり出ませんでしたし、ゼノン君の魔術は便利ですから寝どこにも困りませんでした」

「………そだね」

はい、ウソです。めちゃくちゃ簡単に来れました。仮にも半島を横断するのに数日程度で来れたのは驚異的な速度だ。


原因はいくつかある。まず、俺がアリスティアの魔術師であり、この地の魔物のほとんどが俺から離れたことだろう。半島内にはアリスティア家が支配する使い魔も多数生育しており、彼らはアリスティア家の血肉を持つ俺から離れた。


そしてたまに襲い来る魔物も前衛と後衛が揃っていた俺たちの前では無力だった。

エリスイスが前で剣を振るい、敵を引き付け、俺が広域魔術で殲滅する。その繰り返しだ。


何のドラマも無い道のりだったが、それでも俺たちは少しだけ仲良くなれた。それだけは本当だった。


そして何よりも大きいのは、旅の足取りを鈍らせていた俺の体力問題が解決したのだ。とても許容できない形で。

「遅いです。本当に」

初日と同じように体力の限界を向け、休みを懇願した俺に、彼女は冷徹に言い放った。呆れた表情のエリスイスは、おもむろに俺を俵のように肩に担いだのだ。


「やめてー!自分で歩くから。恥ずかしいからっ!」

俺がそう懇願しても彼女は全く聞かず、凄まじい速度で走り抜けた。恐ろしいのはエリスイスの体力だ。魔装術で肉体を強化しているとはいえ、体力は素の肉体依存。

あれほどの距離を休まず進み続けるのは常軌を逸した身体能力だと言える。


そんなこんながあり、今、俺たちは厳冬山脈の山頂付近にある洞窟の中にいた。きれいにくりぬかれ、滑らかな壁面を晒すその洞窟は、自然に出来たものではなく、俺が錬金術で作り出したものだ。


山頂の気温は、麓に輪をかけて低い。おおよそ人の生存できる環境ではなく、それにも関わらず、樹木が溶けぬ氷を突き破り生えている姿は、この地の生態系としての強靭さを表している。


俺がエリスイスに渡した服であってもこの環境下では心もとない。魔装術が切れればすぐさま氷塊へと変わるだろう。そのため、厳冬山脈に入ってからは俺が常に耐寒の魔術をかけ続けている状況だ。


ここまでの道中で分かったことは、エリスイス・エスティアナはサバイバルマスターだということだ。

野営に関しても乾いた枝葉を集め火をおこし、木々を組み合わせ即席の寝台を作る。倒した獲物はてきぱきと解体され美味しい山菜のスープになった。


「野営の経験があるの?」

ぱちぱちと弾ける焚火を囲みながら聞いてみた。

「いいえ、本で読んだことがあるだけです」

彼女は自身の作ったスープを飲みながらつまらなそうにそう言った。

ただ器を傾けるだけで上品さを感じるのは彼女の生来の気品故かもしれない。


「本で読んだだけでできるの?」

「私はできます」

その声音に誇る色はない。彼女にとっては当然のことなのだろう。


「剣術も楽器も学問も全て一度で覚えられます。貴方は知らないかもしれませんが、国では建国以来、最も神に愛された王女と言われているのですよ?」

いたずら気に微笑む彼女は、昏い艶美な雰囲気を纏っている。吹雪が風に舞う音が不気味に聞こえる。


「どれだけ才能があっても、私に求められているのは国を継ぐか嫁ぎ、子を産むことですが」

清楚な普段の姿とは違う、厭世的な言葉遣いは、もしかすれば彼女の素なのかもしれない。


数日間一緒にいるがそれでも彼女の本心は見えてこない。

俺の気まずい表情を見て、彼女は普段通りの清楚でどこか神秘的な表情を作る。


「別に気にはしていません、そういうものですから」

だけど俺には寂し気に見えた。

「……言葉は嘘も本当も映し出す。でも、行動にはその人の本心が出るものだと思うんだ」

「そうかもしれませんね」


「君が王女に不要な戦う術を身に付けて野営の本を読んだのはどうしてだろうね」

彼女が戦う姿はまるで騎士のようで、旅をする姿は、無垢な子供のようだった。

そこには王女ではない彼女がいた。


「……ゼノン君って、嫌な子供って言われるでしょう?」

そう言いながらも、彼女の口元は楽しそうに弧を描いている。

何も肯定も否定もしない。それは、真意をはぐらかすためではなく、どう思われてもいいというだけのこと。

そこに年相応の少女らしさは無く、老人のような諦観は見ていて気分のいいもでは無かった。


「師匠には賢し気なガキってよく言われるなあ。……もう寝よっか」

気まずくなったので、寝ることにした。空になった木の器を置き、枝葉を集めた寝台に横になる。エリスイスも焚火を挟んだ反対側で眠りについたことを微かな音で知覚した。

旅はもうすぐ終わる。それがほんの少しだけ残念だった。


□□□


翌朝、俺は最悪の起こされ方をした。

「おい、起きい!敵じゃ!」

耳元でおっさんの声がする。ううぅえ……


「敵って何?」

目をこすりながら起きると、既にエリスイスが身なりを整え、俺を待っていた。彼女の黄金の髪は険しい旅路の中でも絹糸のような滑らかさを誇っている。


俺は寝ぐせでぼさぼさだ。何この差?おっさん?耳元のおっさんがいないから髪が綺麗なの?どっかいけよ、お前……


「使い魔さんの言っているのは大きな竜のことです。外で暴れています」

確かに先ほどからどかんどかんうるさい。何かと戦っているというよりは、見境なく暴れている?

しかもこの場所で出る竜は……。


「とりあえず、外に出よう。生き埋めは御免だ」

俺とエリスイスは洞窟を出た。ちなみにネネはフードの中に入っている。俺が危なくなるまで干渉するつもりは無いようだ。


外に出た俺達を待ち受けていたのは、空気を揺らす咆哮だった。岩石のような頑強な肉体に膨大な熱量を宿し、広げた翼から溶岩が滴り落ちている。

それは、巨大な竜だった。未だ龍には至らぬ未熟な魔物だが、龍と比べれば弱いと言うだけであって、人の世では絶対強者だ。


「溶岩竜。厳冬山脈の主だね」

厳冬山脈には何体かの頂点捕食者がいる。このうるさいのもそのうちの一体だ。普段は火口に住んでいるはずだけど……。


「坊主の魔術が刺激したんじゃろ」

フードの中でネネがぽつりと呟く。昨日の洞窟を作った魔術が彼女の巣にまで影響を与えたのか?それとも巣の近くで魔術を使われたのが気に入らないのか。

何にせよ、確かなのはあの竜は怒ってこっちを見ていることだ。


「高位の魔物ですか。倒すしかありませんね」

あの竜は獰猛で喧嘩っ早いと師匠が言っていた。逃げることは出来ないというエリスイスの考えには賛成だ。


魔物は空中に浮かびながら真っ赤に赤熱した腕を振るう。すると、放物線を描き溶岩弾が降り注いた。


「〈身体強化フィジカルブースト〉〈耐熱アンチ・ヒート〉〈付与エンチャント北風ボレアス〉」

単純な物体移動術式で、岩盤を持ち上げる。それと並列して構築した術式でエリスイスの補助をする。


身体強化と炎へと耐性、そして冷風のエンチャント。これだけあればあの竜に接近してダメージを与えられるはずだ。

持ちあがった岩盤が溶岩を防ぐ。だがそれで終わりではない。


「〈黒色硬化〉」

砕けた岩石を錬金術で硬質化させ、移動魔術で竜にぶつける。だが、竜はものともせず突っ込んでくる。俺の放った魔術は竜の鱗を砕けずに、逆に砕けた。


まじか。固すぎる。よく見れば、溶岩竜が纏っている溶岩は砕けたが、内部の肉体まではダメージが通っていない。その溶岩も、地面から浮かび上がった岩石が付着し、黒く熱されることで元に戻る。


圧倒的な熱量と鎧による防御力を持つ厄介な魔物だ。


「〈短距離転移ショート・テレポーテーション〉」

視界が揺れ、空が映る。眼下には地面を叩き割り溶かす溶岩流の姿があった。


「〈飛行フライ〉。馬鹿力だね……」

あんな威力の攻撃を防げる防御魔術は覚えていない。つまり、当たれば死だ。

俺は絶対に近づきたくないけど、彼女は違うようだ。


エリスイスが地面を疾走する。何らかの武技を発動させているのかその速度は今までよりも遥かに速い。白雪が停滞したかのように置いて行かれる。疾駆に耐え切れず地面が砕け、白剣は獲物を見定め鈍く輝く。


巻き上がった雪も利用して近づいたエリスイスは、勢いそのまま寒気を纏う直剣を前脚に振り下ろす。流れるような一連の動きからは、圧倒的な技量を感じさせる。


その一撃は確かに強固な外殻を砕き、内部の鱗に届いた。

溶岩竜の熱とエンチャントの冷気がぶつかり、膨大な水蒸気が発生する。


だが、ダメージはない。赤黒の竜は煩わしそうに溶岩石の前脚を振るい、エリスイスを吹き飛ばした。


彼女は何度も地面を転がりながら雪をクッションにし、受け身を取る。起き上がった彼女は雪の欠片を塗れていたが傷は無い。


再び彼女は腰を落とし、剣を水平に構える。再びの突進。なら、俺がすべきことは――


「〈風嵐玉テンペスト・スフィア〉」

魔術は無いものを生み出すこともできるし、その場にあるものを操ることもできる。これは、前者だ。

情報世界を改変し、その場にありもしない空気の流れを呼び寄せる。そしてそれを、圧縮する。


圧縮された空気は本来、熱を含むがその法則は魔術で捻じ曲げる。

結果生まれるのはエリーゼ半島の常冬の寒さを孕んだ嵐の玉だ。

俺の魔術に気づいた溶岩竜がマグマの息を吐き出すがもう遅い。魔術は完成した。


「行け」

術式に従い、降下した嵐はマグマの濁流を突き破り、竜の眼前へ。そして――


「〈解放〉」

起動句を確認した魔術式が組み込まれていた術式を発動させる。風を押さえつけていた『法則』が消えた嵐は内部の冷気と爆風を解き放った。


既にあった空気が押しのけられ、衝撃波へと変わる。それは、竜の全身を押しつぶし、冷気が体表の熱を奪い去る。

爆風が俺のいる上空まで吹き荒れる。この嵐の中で動けるものはいない。北風を持つ彼女を除いて。


北風は冷気を運び、冬をもたらすもの。それは決して、寒さの中にあるものではなく先頭を行くものだ。

だから彼女は加速する。その身に疾風を宿して。


先ほどを超える速度で叩きつけられた剣は、的確に砕けた外殻をすり抜け、浅傷を持つ鱗を叩き割った。

前脚の関節に突き刺さった剣は骨まで達し、膨大な血流を噴き上げる。

山頂に竜の悲鳴が木霊した。


「エリスイス!下がれ!」

俺の声を聞いたエリスイスが剣を抜くことを諦め大きく後ろに飛びのいた。


俺は〈飛行〉で悶える竜の元へ近づき、影の異空間から取り出した瓶を放り投げる。中には渦を巻く水流が閉じ込められている。


俺は風の刃で瓶を砕き、瓶の持つ魔具の効果を失わせる。

その瞬間、小さな渦は本来の姿を取り戻す。轟流と化した渦巻は山の一角を削りながら溶岩竜を山頂から突き落とした。


竜の姿は段々と小さくなり、やがては吹雪の下へと消えていった。

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