エリスイス
妙なことになった。エリスイスの考えはそれに尽きる。転移の兆候を感じた瞬間、咄嗟に衛兵の剣を手に取ったが、できたのはそれだけだった。
気付けば雪景色の森の中にいた。デネス王国建国以来、最も才を持つと言われるエリスイスにとって、魔物を退けるのは難しくなかったが、返り血は不快だった。
そのため、仕方なしに水浴びをしていたら、それを白髪の魔術師に覗かれた。どこか気が抜けるようなおかしな少年だ。だがその魔術の腕は卓越している。
魔術師。神秘を操る秘術の使い手だ。
超級の術師は、単身で国を脅かすほどの術式を納めていると言われ、彼らの伝説とも逸話とも言える悍ましき魔術の痕跡は世界各地に残されている。
どの国も魔術師を恐れ、あるいは敬いその力を求める。
エリスイスもまた、王族に名を連ねる者として、魔術を納め、また魔術師とも交友がある。
そんな彼女の眼から見ても、ゼノン・アリスティアの在り方は特異だった。
剣士としてのエリスの鋭い感覚を誤魔化す幻術とまるで人のように土塊を動かす制御能力。とてもあの年で納められるような技術ではないと、魔術師ではないエリスでも分かる。
だがその名がアリスティアだと知っていれば不思議もない。
極北の錬金術師。その名で知られる彼らは、多くの魔術師が永劫とも言える時の中で捨て、諦めあるいは見失った悲願、神への到達を目指して研究を重ねる古い一族だ。
どこか抜けているように見える眼前の少年も、そんな怪物の雛なのだろうとエリスは気を引き締める。それと同時に、その魔術もまた、使えると判断した。
(人の手を借りるのは癪ですが……案内役としてなら、まあいいでしょう)
元来、エリスイスはプライドが高い。人の手を借りることはほとんど無いし、他人に命を預けることはもっとない。
それは、彼女が常軌を逸した才能を持つからだ。王国で有数の剣士となったのも初めに手に取った武器が剣だったから。槍を手に取れば槍士になり、神秘に触れれば魔術師になっただろう。
そんな彼女はいつからか、人を誘導して、自分の思うように動かすようになった。
大体の男性はエリスイスが嫋やかに微笑み、自尊心をくすぐると面白いように言うことを聞いてくれる。身体が成長し始めてからは、色香を漂わせるとより上手くいく。
だから彼女は12歳にして退屈の毒に侵されていた。成したいことは無く、趣味を見つけてもその才能が瞬く間に一流へと押し上げる。
だからこそ、どうなるか分からないこの状況には、ほんの少しの高揚感を感じていた。
「行きましょうか」
「そだねー」
エリスイスは取り繕った笑みを浮かべ、決意する。用が済めば、私の裸を舐めるように見た罰として、そして案内をした褒美として苦しまないように殺してあげようと。
そんなエリスのおっかない考えに気づかないゼノンは、地図を眺め、むむむと唸っていた。
「エリーゼ半島から出るには厳冬山脈を超えないといけない。魔物も多いから俺の後ろにいてね」
そう言うと、彼女はあからさまにむっとした。リスみたいに口を膨らませ不満を表明している。
「不要です。道中の魔物は私が相手をします。貴方は案内に集中を」
案内に集中って何だよ。ながら魔術を使いながらでも案内できるよ!!
「いや、いいよ。俺も――」
「不要です」
「いや、君子どもじゃん」
「不要です。後、貴方の方が子供です」
多分、同い年ぐらいだよ。
「では、出発しましょうか」
「いや、その恰好で行くつもり?」
俺は彼女が身に纏う青いドレスを見る。ひらひらの裾も谷間が覗く胸元も山登りには向かない。
「ちょっと待ってて。俺が作ってあげるよ」
材料は全て森で取れる。千年雪と青蜜の木の琥珀を妖精たちにお願いして取ってきてもらう。羽の生えた芋虫型の妖精が琥珀と雪をどさりと置く。
「これが服に?」
エリスイスが怪訝な顔で手元を覗き込んでくる。あまりしゃがまないで欲しい、気が散るから。
「〈召喚:水精霊〉」
魔力を放ち、精霊を呼び寄せる。魔力を与えた水精霊が対価として世界を改変する。望む現象は糸織りならぬ水織り。
「……すごい」
精霊の魔力により雪が浮かび捻じれて糸となる。千年雪の魔力と精霊の魔力が合わさり、新たな物質へと変質する。出来上がった白亜の糸は頑丈で寒さを遠ざける。
それを編みこむ。作るのはシンプルなズボンとシャツでいいだろう。編み込んだ布を溶かした琥珀で接着する。
それは瞬く間に服へと変わった。
「ありがとう、行っていいよ」
精霊は一度輝き消えた。
「ほら、どうぞ」
「ありがとうございます」
彼女は服を手に取り困ったように笑った。どういう意味だろう?
「……下着もいる?」
「死になさい、ゼノン・アリスティア」
外れだったみたい。ごみを見る目で睨みつけられた。
□□□
彼女は大言壮語に相応しい獅子奮迅の戦いを見せた。数うちの銀の直剣を使い、エリーゼ半島に住む魔物たちを的確に切り伏せる。
戦況を見通し、立ち位置を変えながら、時には剛剣で両断し、時には技巧を凝らし流れるように頸動脈を裂いた。
だが、時間をかけ過ぎだ。
「魔物の血につられて敵が来たよ」
茂みから姿を現したのは雪景色と一体化する体毛を持つ白狼だ。エリーゼ半島の固有種で魔物すら喰らう賢き獣たち。師匠は確か、白賢狼と呼んでいた。
「私が片付けましょう。手出しは無用です」
エリスイスは唸る白賢狼を見ても平然と刃を構える。俺を頼る気は無いみたいだ。何が彼女をそうさせるのか。
「もしかして、戦えないと思われてる……?」
可能性はある。彼女の前でしたことと言えば、ゴーレムを産み出し盾を張っただけだ。とても強い彼女にとっては足手まといだと思われているのかもっ!
それはよくない。デネス王国の王族にアリスティアが侮られるのはよくない!
俺はエリスイスが全ての魔物を倒すよりも前に、慌てて術式を構築する。
「〈灰石の棘〉」
最後は言葉によるイメージの補強で魔術は完成した。
地面から灰色の棘が突き出す。いいや、棘が突き出したのではなく、地面そのものが鋭利な魔槍へと変じたのだ。それは、ゼノンの感知した獣たちを一匹残らず貫き、絶命させる。
「――ッ!」
遠く離れた森の中からも獣の悲鳴が聞こえたことで、エリスイスは、予想以上に敵がいたことを知る。
「どう?なかなかやるでしょ!」
エリスイスはゼノンに文句を言おうと思っていたが、ゼノンの褒められるのを待つ子供のような無邪気な笑みの前に諦めた。
「そうですね。素晴らしい魔術でした」
その時にエリスイスの笑顔は彼女が滅多に浮かべることのない自然な笑顔だった。
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