面倒ごと
剣を構え、周囲を魔力で探る少女。穏やかな表情だが、それは彼女の心中を表しているわけではない。彼女は人を殺すときでも、静かな笑みを携え、刃を振るうと先ほど実践したのだから。
このまま隠れていても、いずれ見つかるだろう。彼女の周囲を取り巻く魔力は、段々と円周を広げている。恐らく『武技』というやつだ。魔術とは異なる法則で発動させる魔力を使った技術。
訓練を積んだ戦士でなければ発現できないと言われている武技を少女はいともたやすく使いこなしている。
妖精は、想像以上に厄介なモノを運んできたようだ。
俺は既に敵認定されている。隠れ潜むのが得策なのだろうが、師匠に彼女の対処を命じられた以上、関わらないという選択はない。
………仕方がない。
俺はとりあえず、出ていくことにした。それしか思いつかなかった。
「……本当に出てくるとは思いませんでした」
木陰から姿を現した俺を見て、意外そうに少女は感嘆の声を漏らす。
「出て行かないと付け狙われる気がしてね」
どことなく、彼女は『徹底する』タイプに思われた。逃げようとどこまでも追いかけ、徹底的に敵を殲滅する。そんな冷たい蛇のような執念を先ほどの魔力の動きから感じられた。
「そんなことはしませんよ。先ほどの攻撃は、気が動転しただけです。誰にも見られたことなかったのに……」
頬を仄かに染めながら、視線を逸らす。俺が彼女から感じた底知れなさは霧散し、残ったのは少女らしい無垢な恥じらいだけだ。
「ごめんなさい、覗いちゃって」
気が抜けてぺこり、と頭を下げる。
彼女が勝手にアリスティア家の敷地に入ってきたとはいえ、彼女の意志ではないだろうし覗きをしたのは俺が悪い。
「謝罪は受け入れます。気を付けてくださいね?」
彼女は年不相応の胸の下で手を組む。柔らかな果実が強調され、色気が醸し出される。つい視線が吸い寄せられてしまう。それを知った彼女が小さく笑ったことに、俺は気づかなかった。
「自己紹介をしませんか?私はエリス。父の商売で近くに来ていました。気づいたらパーティー会場からここにいたのです」
主導権を握るように、エリスは自分から名と身分を経緯を語った。
だがすべてを名乗ったわけではない。
彼女の年不相応の剣技と立ち振る舞いからは、厳格な教育を施されていることが分かる。そして父の商売の手伝い、ということは豪商の娘か貴族だろう。
ファミリーネームを名乗らないのは、身分を特定されるのを防ぐためか。語った事情も本当かどうかは分からない。
それでも彼女は自身の情報を開示した。
……ネネの予想通り、妖精の悪戯か。彼女たちは魔力の高い者にちょっかいをかける。きっとエリスさんも俺と同じように妖精に転移させられたのだろう。
「俺は、ゼノンだよ。本当のことを言うと俺はこの地を収める魔術師の弟子でね。突然転移してきた君のことを調べるように言われたんだ」
俺もまた、名と身分を明かす。本当のことは言っているが嘘は言っていない。
アリスティアの名が外でどういう意味を持っているのか分からない上、名乗らない方がいいと判断した。
「そう、ですか」
その時初めて、彼女は考え込んだ。だがそれも一瞬のこと、すぐさま笑みが浮かんだ。
「よければ、一番近い村の場所を教えてくれませんか?」
彼女は剣を収め、こちらに一歩近づく。警戒は解いてくれたのかもしれない。
「えっと、村なら西側に進んだらあると思うよ」
「西と言うのは、あの大きな杉の木の方向ですか?」
彼女はしなやかな指を伸ばし、西側を指す。
「そうだね、多分――」
俺が指先に目を向けた瞬間、魔力が弾けた。それは、不可視化させていた魔力障壁と刃がぶつかった轟音だ。指から役目を終えた指輪が崩れる。
「チッ」
淑女らしからぬ舌打ちが響く。俺が慌てて視線を戻したときには、地面に組み敷かれ、背中の上に乗られていた。
「んなっ――!!」
「動けば死にますよ」
首筋に冷たい金属の感触。彼女の声音からは取り繕った穏やかさは消え、冷徹な色だけが残されている。
なぜか、ネネは助けてくれない。
「いくつか質問に答えてもらいます。嘘をつけば指を一本ずつ切り落とします。私は嘘に敏感ですから」
感情の抜け落ちた声が耳朶をくすぐる。やっぱり怖い子だった。
「一つ目、私を攫ったのは貴方たちですか?」
「違うよ。多分、妖精の悪戯だと思う。君、魔力多そうだし。あのー、とりあえず俺の背中から降りて――」
「二つ目」
冷徹な声が俺の言葉を遮り、銀の刃が微かに首筋に食い込む。黙れってことですね、了解です。
「ここはどこですか?」
「……エリーゼ半島。セントラル大陸の北東だよ」
「……」
「ねえ、大丈夫?もしかして知らなかった?現在地も知らないのに唯一の情報源を殺そうとしてたの?もしかして君ってバカ」
「静かにしなさい、除き魔。不敬ですよ」
こつん、と柄で頭を叩かれた。やっぱり覗きのこと気にしてるじゃないか。
「……仕方ありませんね」
彼女は俺の背から降り手を差し伸べた。それに掴まり、起き上がると彼女の前に立つ形になった。
俺よりも少し背の高い美を宿す少女。その碧眼には叡知と高貴さが宿っている。
「私はエリスイス・エスティアナ。デネス王国第一王女です。私を半島の外まで送り届ければ、水浴びを覗いた不敬を許しましょう」
そう言って彼女は誰もが見惚れるような笑みを浮かべ、傲岸に命令を下した。
「なるほど、ね」
俺は冷静に頷き、ニヒルな笑みを浮かべる。
だがその内心は嵐のように荒れ狂っていた。
なぜ急に自身の身分を明かしたのか、そしてそれが、アリスティアにとってどういう意味を持つのか、俺には分からない。
(王女、王女!?王女が半島で死ぬのはまずくない!?……いや、転移で来たなら)
「私の首飾りがあれば、位置が追えます。この場所にいることは、父上たちも知っているでしょうね」
俺の考えを見透かしたように彼女が最悪の答えを出す。
「よろしくお願いしますね、ゼノン・アリスティア」
最後のダメ押しとばかりに、彼女は俺の名を告げた。
だが俺の頭はまだ混乱の中にいた。
彼女はいきなり秘匿していた名を明かした。それは現在地が判明し、俺がアリスティアの関係者だと知ったからだ。つまり彼女は身分を明かせば、俺が彼女の脱出に協力すると判断したということだ。
つまり、王女の名は、アリスティアにも通用するということだろうか。
アリスティア家領内で王国の王女が死ぬ。そんなことになれば、王国との戦争になりかねない。そこまでは俺の頭でもわかる。
師匠はそんなもの気にしなさそうだが、わざわざエリスイスがそれを明かしたということは、その情報があれば、俺を動かせると思ったからだ。見殺しにするのは悪手だと、言外に伝えているのだ。
………これは、どうしたものか。完全に俺の判断を超えている。俺の方で対処しろとは言われているが、一度師匠の判断を仰いだ方がいい。
「ちょっと待ってね」
俺はそう伝え、その場を離れた。
彼女と十分に距離を取った後、俺は懐から水晶を取り出した。手のひらサイズで中には複雑な文字列が刻まれている。魔力を流し、術式を発動させると、不機嫌そうな声が水晶から聞こえた。
「なんだ」
「ちょっと面倒なことになりました―――」
俺は師匠に事情を伝えた。
デネス王国の王女が妖精の悪戯で飛ばされてきたこと。その対処をどうするかを仰いだ。だが師匠から返ってきたのは、興味のなさそうな冷めた声音だった。
『お前がどうにかしろ。拾ったのはお前だろう。ネネは付けておく』
「は?え、ちょっとぉっ!」
……言いたいことだけ言って切られた。俺の手元に残ったのはうんともすんとも言わない通信用魔具だけ。俺は水晶を乱雑に影に押し込み、王女様の元へ戻った。
ちなみにこの影の魔術は収納用の空間魔術だ。影は異界への門、あるいは虚無を表し、内部に空間を作りやすい概念だ。
内部には大量の魔具やら本やら素材やらで溢れている。
まあ、そんなことはどうでもいい。今は面倒なお姫様だ。
どうするべきか。師匠はどうにかしろと言った。送れとは言っていない。つまり、師匠は最悪、彼女がこの地で死んで王国との仲がこじれてもいいと判断している。
恐らく師匠はどうでもいいのだろう。俺が彼女を殺すために戦えば、俺の戦闘経験になり、彼女を領外まで送れば俺は領内を剣士の護衛付きで回れる。
師匠は恐らく、空間余震の原因が妖精の悪戯であることも、エリスイスが飛ばされたことも知っていたはずだ。そのうえで俺に対処を任せた。
これは文字通り、俺への課題だ。問題を解決するための手段も行程も俺にすべてが委ねられている。
「お待たせ、エリスイス。君を送れってさ」
俺は嘘をつき、自身の決定を告げた。本当は送れとは言われていないが、俺は彼女を生きてエリーゼ半島外まで送ることにした。
そして用件を伝えるついでに、軽く挑発。こんな言葉遣い、王族の彼女には耐えられないだろう。
「それはよかった。では行きましょう、ゼノン様」
だけど彼女はあっさりと様付けで返してきた。
くそっ!名前を呼び捨てなんて不敬です!とか言ってくれたらいざという時に見捨てられるのに……!
おまけに様付けで返してきた。これでは俺が狭量な子供みたいだ。
彼女は気にした様子もなく上品に微笑んでいる。まるで俺の思惑を見透かしているみたいな完璧な受け答えだ。
「ちなみに、どうして送ると決めたのですか?」
悔しがる俺の心に差し込むように、彼女はそんなことを言う。
「………なにが?」
俺は一瞬言われたことが分からなかった。だがすぐに冷や汗を滲ませ、彼女を見つめる。相変わらず、にこにこと人のいい笑みを浮かべる美麗の少女を。
師匠からの指示は、俺の好きなようにしろ、だ。殺すも生かして返すも俺次第であり、エリスイスを送ると決めたのは俺だ。
だが俺はあえて師匠が送ると判断したと伝わるように言葉を選んだつもりだ。その方が、彼女の信頼を得られると判断して。
だが彼女は、師匠から受けた指示の内容を知っているかのような言葉を発した。
話を聞かれていたのか?それとも―――
「優しいんですね。いいと思いますよ」
少女は全てを包み込む慈愛の笑みを浮かべ、全てを察したかのように言葉を紡いだ。
女神のようなその笑みも、清楚な美貌も今となっては怪物の仮面のようにしか見えない。
俺は諦めて息を吐いた。
「ちなみに、どうしてわかったの」
「私が王女の名を出せば、子どもの貴方は大人の判断を仰ぐ。そのうえで噂に聞くアリスティア家の評判を加味すれば、どちらでもいい、という指示が下る可能性が高いと思いました。王国の王女風情の生き死になどに興味は無いでしょうから」
一から十まで当たっている。
つまり彼女は、アリスティア家当主の耳に自身の存在を入れるために、王女の名を名乗った。そうすることで、得体の知れない侵入者から迷い込んだ王女となり、アリスティア家の判断を引き出したのだ。
そして俺は、まんまと彼女の策にハマり、彼女の願うままに動いた。
「君、可愛げないって言われない?」
「国一番の美少女と有名ですよ。縁談も山ほど来ています」
皮肉も流された。……可愛げない。
「だろうね。……でも結婚後、距離置かれるタイプだ」
そう言うと、少しだけ彼女の表情が崩れた。ようやく意趣返しが出来たみたいだ。
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