目標
妖精との出会いを果たし、お菓子を持っていかれた後、俺はさらなる気分転換で部屋から出ることにした。夜のお散歩だ。
指にちゃんと指輪が嵌まっていることを確認する。後は、賄賂のお菓子を持って行けば、迷子にはならないだろう。
一応メイドさん当てに書置きでも置いて行こう。
「散歩行きます、と」
メイドさんは俺が早く寝ているかどうかを確認しに来るのだ。その時までには戻るつもりだから、一応念のためだ。
残っている課題は考えない。もういいじゃん。俺、疲れたよ。
「レッツゴー!」
扉を開き、左右を見渡す。運が良ければこの階にいるんだが………
「あ、いた」
俺が部屋に入ったときには無かったものが、そこにはあった。
通路の壁に嵌め込まれた大きな姿見。黄金の枠組みと組み込まれた大粒のクォーツ。
ただし、その鏡は姿を映さない。いずこかの景色を投影している。
「どうも、ミセス・ローン。元気?」
「ええ、元気よ!坊やも元気ね」
鏡面が波打ち、甲高い声が返って来る。彼女の名は《ミセス・ローンの姿見》と言う名の魔具だ。ちなみに、なぜミセスなのかは聞いてはいけない。
この城のルールだ。
「えっと、展望台かな?」
鏡の景色の先は、石畳の地面に降り積もった雪と開けた満月の景色。この城の最上階にある展望台の景色だ。
気分転換にはちょうどよさそう。
「ミセス・ローン。展望台に行って帰りたいから、帰りもお願いしていい?お菓子あるからさ」
俺はそう言って手に持つ焼き菓子が乗せられたお皿を差し出した。これが賄賂である。
彼女は空間を操作する魔具であり、この城におけるショートカットだ。鏡に映った景色の先へと向かうことが出来る。だが、とても気まぐれなのだ。
彼女自身の居場所もコロコロ変わるし、映し出す景色もランダムだ。そして一方通行。
だが、便利な門として使う方法もありはする。それがお菓子を与えることだ。彼女は大の甘党であり、それを与えれば、帰り道も保障してくれるのだ。
と言うわけで早速行こう。
俺は彼女の鏡面に手を伸ばす。手のひらに硬質な感触はない。水面に手を突っ込んだような波紋が広がり、手が飲み込まれていく。
「寒いから気を付けるのよー」
するりと身体が飲み込まれ、気づけば俺は、展望台にいた。
「さむっ!」
そう言えば俺、めっちゃ薄着だった。まったくミセス・ローンの言葉を生かせてない。俺は急いで魔力を精錬し、意識を集中させる。
視界が黒く染まるような感覚。それが一気に開けた。光の洪水。それはやがて俺の意識により仕訳され、意味ある情報の羅列に変わっていく。
『
俺は描いた術式に魔力を注ぎ込む。
未だ魔術に慣れない俺の魔術発動はぎこちなく、術式の発露も遅い。だが確かに、それは顕現した。
「〈抱く太陽片〉」
緋色に染まった魔力が肉体を包み、外部からの寒気を防ぐ。俺は冷えた体を温めるように二の腕をさすった。
「………やっぱり、きれいだ」
城の頂上。そこから覗く景色は、美しかった。大輪の満月が溢す光が、黒闇に滲む雪の欠片を浮かび上がらせる。
照らされた地面は地平の果てまで命に溢れた森が広がっている。尽きぬ寒気に覆われたこの大地であっても、木々は緑を蓄え、それを喰らう獣たちは生を謳歌している。
その命を支えるのは、この半島に眠る膨大な魔力だ。世界最高の霊地であるエリーゼ半島には、巨大な霊脈が幾本も交差する地点であり、豊富な地下資源が眠っている。
大地から突き出した結晶の柱は、大気中の魔力と反応し、ほのかな燐光を漏らす。そこに集まるのは妖精か。夜にも関わらず、楽しそうに舞っていた。
日によってはオーロラも見える。こんな美しい光景は、前世でも見たことが無かった。全ての人間が欲する理想郷。それがこの地だ。
どれほどこうしていたか。肩に降り積もった雪で時の経過を知る。そろそろ戻って課題の続きをしないとまずい。
雪を払った俺は、ふと床に差す影に気づく。大きな人影。
頭上を見上げると、大きな鳥がいた。そしてそこから、何かが落ちてくる。
幾本もの足を広げながら、それは地面に着地した。
いや、それは足ではない。蔓だ。人のような形はしているものの、それは全て緑色の植物を押し固めただけだ。目や耳どころか感覚は全てない。
だがそれは、流暢に言葉を紡いだ。
「おやおや、坊ちゃん。こんなところで夜更かしですかな?」
額に当たる位置にある枯れた大葉が笑うように傾いた。
「緑爺さん。ちょっとね」
彼の言っている通りだったので、否定も出来ず苦笑いを溢す。
彼は緑爺さん。本名は知らない。でもみんなそう呼んでいる。
緑爺さんは、腕を操り、植物の椅子を作る。そして手の動きで、どうぞ、と勧める。
俺は緑爺さんと並んで座った。
「どうですかな、お嬢様の訓練は」
「ん、大変だよ」
この城で師匠をお嬢様と呼べるのは彼ぐらいだろうと思いながらそう返す。
大変。その一言に尽きる。
「坊ちゃんの素質を認めているからこそでしょう。大変でしょうが、貴方はよい魔術師になれる」
「うん、そうかな」
素直には肯定できなかった。魔術の才能はあるとは思う。それでも、よい魔術師になれるとは思えなかった。
「………魔術師がまだ分かっておりませんか」
年の功か、悩みはすぐに見透かされた。師匠は何度も俺に魔術師になり、後を継げと言っていた。だけど俺には魔術師が何か分からない。なってどうすればいいのだろう。そもそも、どうして魔術を覚えるのか。
「そういえば、坊ちゃんの世界は魔術師はいないのでしたな」
ふむ、と小さく息を吐き、「そも、魔術の始まりは分かりますか?」と聞いた。
「確か、祈り、だよね」
「そう。祈りは神への賛歌であり、それを体系化するということは、神秘崇拝の否定でもありました。ですがそれでも原点は変わらない」
原点。すなわち神。いるのかどうかは分からないその力こそが魔術の始まりだったのだと緑爺さんは語った。
「魔術とは、始まりに絶対の答えを提示された学問なのですよ。ですので、我ら魔術師はそこへの到達を目指す。ただ、神となるために」
神への到達。それが魔術の行き着く先だと言った。
「ですが、今の魔術師は大分自由だ。神を目指すような原理派は少なく、むしろ現世的な利益を求める者も多い。貴方も自由に生きられるといい。貴方が真にアリスティアを名乗るとき、それが出来るだけの力があるはず」
難しく考えることはないのですよ、と彼は語った。
「幸いにも、まだ時間はあります。とりあえずは魔術を学ぶといいでしょう。この世界で力はいくらあっても足りるということは無い。あるいはその探求の道の中で、得る物もあるかもしれない。正しく時を積み重ねれば、いずれたどる道も開かれる」
それは確かな時を積み重ねた者だけが言える金言だった。
彼を見つめる俺の眼差しを受けて、緑爺さんは恥ずかしそうにほほほ、と笑った。
「少し、話過ぎましたな。実は、お嬢様に植物園の見回りを頼まれたのです。何でも、モンスターが入り込んだみたいで」
そう言って彼は鳥のモンスターに乗って、下へと向かっていった。
俺も部屋に戻ろう。俺は確かな足取りで、鏡の道を潜った。
ちなみに、師匠の課題は徹夜で終わらせた。メイドさんに小言を言われたが、師匠に怒られるよりはましだ。
あの人、青い炎みたいな焦がし尽くす怒り方をするんだ。ほんと、おっかない。
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