属性

魔術師になると覚悟を決めた翌日、俺は再び講義室に呼び出され、何冊もの本を渡されていた。

「何です?これ」

情報世界イデア』とやらを知覚、干渉する能力を鍛えると言われたのだが、完全に座学だ。


「ああ、お前は魔術の魔の字も知らないガキだということを忘れていてな。まずは魔術についての基本的なことを教えよう」

やっぱり一言多い。そのくせ顔がいいから許してしまいそうになる男の本能が憎い。


「昨日、魔術には幾つか種類があると言ったな?」

「ええ。死霊術とか錬金術とか」


「アリスティア家は錬金術の家だ。お前が覚えるのもそれが主になるが、いずれは全てを教える」

へえ、と気のない返事を返す。もしここに他の魔術師がいれば、全ての魔術を教えるというアリアの暴言の無茶苦茶さを笑うかゼノンを憐れんだだろう。だがここにいたのは無知な子供と邪知暴虐の魔術師だけだった。


「だが魔術師にも向き不向きはある。理論上、魔術はあらゆる現象を引き起こせるが、個人の資質によって左右される。魔力量の多寡などは最たるものだ。後は、個人の属性だ」

「………属性」

何か、聞き覚えのある単語が出てきた。すげえ!ファンタジーだ!可愛い妖精も優しい師匠もいないけど、属性はあるんだ!


「チッ。またおかしなことを考えているな。はぁ、まあいいが」

出あって二日にして、性格を把握されている気がする。まるで俺の底が浅いみたいで嫌だな。知的なジョークとか交えて行こうかな。


「属性と言っても大まかな得手不得手を知るだけの指標のようなものだ。分け方は色々ある。東部大陸では陰陽。セントラル大陸では5属性。もっと細分化すれば、業だ」

ふむ。一気に言ってることが分からなくなってきた。

「つまり、人の在り方は罪深く、それが顕在化したのが、業、と?」

にやり、と微笑む。

「違う。黙れ、阿呆が」

違った。知的なジョークはやめておこう。


「例えば、五属性でいえば、火、水、風、土、虚無だ。火の属性に適性が高ければ、物質の加速術式や発火魔術を覚えやすい。虚無であれば、生命への干渉や空間操作とかな」


つまり、ゲームでいう属性的な解釈でいいのだろうか。

「はあ。あれですか?火属性しかない人は水を出せなかったりするんですか?」

火属性の人間はウォーターアローを撃てないのか。なら俺は風がいい。

ふっ、それは残像だ。とか言いながら、二刀流で敵を斬り刻みたい。長いマフラーを意味も無く巻いて、風にたなびかせたい。そんな魔術師になりたい。


「違う。どんな属性であれ、基本的に使えない術は無い。あらゆる事象は、別の事象へと結びつく。食われた人が血肉と化して獣へと変ずるようにな。やがてはそれが円環を成す。それが世界だ。ただ、行き着くまでの道が遠いと言うだけ。

最短経路は美しく効率的だが、回り道の方が付随する宝を得られることもあるだろう。致命的なハンデにはなりえん」

諸行無常、ってやつか?しょぎょうむじょうって何だっけ?よくわからんな。忘れよう。


「そして、お前が一番分かっていないであろう業は、それをもっと細分化したものだ」

そう言って彼女は手のひらをかざした。

そして渦巻く。師匠の内からひねり出された魔力が手の平に集まり、そして世界が裏返る。パキパキと音を立て、結晶化していく。虚空から何かが生まれていく。

それはやがて、規則正しい長方形を形作った。


「宝石?」

それは手のひら大のふざけたサイズの宝石だった。真っ赤な石が照明の明かりを反射し、きらきらと輝く。


「ルビーだ。幻影魔術で生み出した」

「幻影、ってことは存在しないんですか?」

「いいや。存在するぞ」

そう言って彼女は宝石を放り投げてきた。


「ちょっ!」

慌ててキャッチした。それはひんやりとしており、硬質な感触を返す。まるで、本物みたいだ。いや、本物のルビーを触ったことが無いから分からないが、幻影には見えない。


「幻影は細部を極めれば、世界は本物として認識する。まあ、やがては見破られ、消えるがな」

その瞬間、手の中のルビーは光の粒になって消えた。それこそ、文字通り幻影のように。


「これが業だ。分かったか?」

挑戦的に視線を投げかけてくる。

「つまり、業ってのは属性みたいな得意な術の種類のことで、師匠は幻影ですか?」

「いいや、ワタシは宝石だよ。宝石以外は物質化できない」

宝石。それが彼女の業。生まれ持った定めのようなものだろう。実物を見て、理解した。彼女の魔力は、あり方は、肉体は、宝石の魔術に長けているのだろう。

『業』とは、属性という大雑把な括りの中の細かな適性という理解でよさそうだ。


「人は生まれながらの業を持つ。それは傾きと言える。世界に平坦に立つことはできず、いずれかに沈む。私はそれが宝石だったという話だ」

「はあ。俺もあるんですか?」

「あると今の説明で教えただろう。愚図が」

はい、また一言多い。この人は褒めて伸ばすとかできないみたい。つら。


「どうやったら分かるんですか?」

「これを読め」

そう言って彼女は本を渡してきた。どこから出したんだろう。サイズ的にローブの内側にあれば分かるはずだ。今までなかったものがここにある。これも魔術だろうか。


彼女が差し出した革張りの大きな本は鍵で施錠されている。表紙の質感は不思議だ。見たことが無い革。異世界の生物だろうか。


「人の革だ。赤子の左足の革を剥いでつなげた物だよ」

「うわっ、悪趣味っ!」

「魔術師となるのなら悪趣味の一言で片づけるな。全て意味はある」


「例えば?」

「赤子は無垢の象徴であり、曖昧な境界の渡し手だ。そして片足は神の証であり、全知を意味する。どうだ?この本の役割が分かったか?」

ふむ。曖昧な境界。つまり、何かと何かの狭間だ。赤子、と言うことは生と死とかだろうか。生まれる前と生まれる後。そして全知。全てを知る。生まれた時に得たものを知るという意。


「業を知る本ですか?」

「正解だ。さっさと読め」

褒めもせず急かしてきた。いや、鍵かかってるんですけど。

俺、ピッキングとかできないですよ?コソ泥に見えます?

それを全て「え?」で伝える。


「なんだ?さっさとしろ」

全然通じなかった。こみゅにけーしょんは難しい。

「鍵は?」

「鍵は、今はいらん。時にお前、鍵は入る時だけに必要になるわけではないだろう?」

「いや、入る時だけでしょう。だって入れないと出られないし、入れたってことは出られるって――」

「もういい。さっさとしろ」

師匠は俺の手から本をとりあげ、振り下ろしてきた。なんてひどいことを!論破されたからって大人げないっ!


「あたっ!」

脳天に衝撃を感じた瞬間、俺の意識は消えた。


□□□


白髪の子供が、机に突っ伏し、寝息を立て始める。明らかに異常な行動。その手には、アリアが持っていたはずの『業の本』が握られていた。

「さて、どれほどかかるか」


そればかりはアリアであっても分からない。眠ったゼノンが抱く『業』にもよるし、課される鍵にもよるのだから。


その本の名は《カリュマネリリの写本》。罪と業の女神カリュマネリリの語った言葉を映し記した古代の魔導書だ。


これは世に広く広まっている写本の原本。写本と名のつくくせに原本とかおかしい、とゼノンが聞いていれば言っただろう。だがそういうものだ。なぜなら、神が直接書き記した書物は、魔導書などと言う低劣なものにはならないのだから。


だがそれでも、世界に一冊しかない、アリスティアの秘宝。


そして《カリュマネリリの写本》は、魔術師の抱える業を知る最も確実な方法であり、最も危険な方法だ。なぜなら、内部で鍵を見つけない限り、出られない。出られなければ目覚めない。例え、どんな方法を用いようとも、外部から覚醒を促す術はない。


この本は、数多の魔術師を衰弱死させた禁書でもあった。

三日、目覚めなければ殺そうと、ゼノンが聞けば飛びあげるようなことを考えながら、アリアは瞼を閉じた。


□□□


「なんだよ、あの師匠。本は鈍器じゃないってのに……」

あの喜色悪い素材の本、意外と攻撃力がある。そう言えば俺、あの本で殴られたってことは赤子の黄金の左足ハイキックを喰らったのと同じってことなのか。


そんなことを思いながら身を起こし、辺りを見渡す。そう、俺はいつの間にか倒れていたのだ。

緑の濃い匂いが鼻を突く。足元は草花が生い茂り、背の高い木々が風に枝葉を揺らしていた。


俺は今、森の中にいる。すっげー緑。あほな現代人はそんな感想しか出せないだろうが、俺は違う。ちゅんちゅん鳴く鳥、ざわざわ舞う木の葉。どすんどすん歩く蜥蜴。蜥蜴?


「で、でかー」

全身に苔を生やした巨大な蜥蜴が、大きな四肢を動かしながら歩いていた。俺の真上を通り過ぎても、それは俺の存在にすら気付いていないだろう。森に巨大な足跡を作りながらそれは歩き去っていった。


ふと、足元を見る。潰れた鹿か?下半身を踏み潰されたそれは、痙攣しながら血の泡を吐いていた。真っ赤な命が流れ出し、根を張る名も無き草を潤していく。


血に濡れた甘木色の葉が、いいもしれぬ毒々しさを醸し出す。

余りにグロい光景に思わず目を逸らす。


「ていうか、ここどこよ」

あの本に殴られてここにいるってことは、きっとここは現実ではない。

何というか、精神の世界的な奴だろう。

気絶したと思ったら別の場所にいる。お約束だ。

そして俺は知っているのだ。俺はこれから記憶の世界でかつての強敵たちと戦い、再び自分を見つめなおす強化フェーズに入るのだ。


「出てこい!緑の小人!今度は俺が回してやるぅ!」

かつての強敵、妖精を呼ぶが、誰も出てこなかった。いや、強敵も何も俺勝ててないわ。というかこの世界にいるのだろうか。


そういえば、何であの妖精、異世界にいたの?もしかして地球産の妖精さん?だとすれば、本当に地球には魔術とかあったのかもしれない。

何それ、心躍る。俺には関係ないけど。


「どうするんですか、師匠ー!何したらいいんです!?帰りたいです!温かいお城に帰りたいー!!」

帰りたいー、たいー、たいー、と虚しく言葉が響き渡る。本当にどうしたらいいの?道案内とかいないのだろうか。俺を導いてくれる本物の妖精とか。


「こんばんは!!」

ばん、と俺の顔の前に突然、手のひら大の何かが現れた。


「うわっ」

俺は反射的に手のひらを振るい、叩き落とした。それは小さな四枚ばねを振りながら、ふらふらと地面に倒れ込んだ。


「い、いたい~。生まれて一発目がこれはきついよ~」

「ご、ごめんね?でも、こんなに明るいのにこんばんは、はおかしいと思うよ」

俺は妖精に常識を問う。お昼におはようということはあるが、昼にこんばんはは許されない。それをすればただの変人かてんぱった人だ。


「いや、そこはどうでもいいんだよ~。同期が遅れていただけだからさ!」

同期とかパソコンみたいなこと言いだした。それは、小さな緑色の小人だった。背には羽を生やし、くるくるのくせ毛を揺らし、抗議している。


というか、妖精だ。俺を異世界に飛ばした奴に似ている。だけど、顔立ちが違う。別の妖精さんだ。


「誰?」

「誰でもないよ~。道案内さ」

誰でもないっていう奴、大体すごい奴。あると思います。でも、今回に関しては、本当に誰でもないのだろう。俺はそれを、何となく分かった。

「へえ。じゃあ、案内してよ」

「………え?そういう感じ?」

何の質問も無く乗ってきた俺に、妖精の方が困惑する。


「そういうのいいから。ほらほら」

俺は妖精の背を押し、先を急がせる。彼はしぶしぶと言いたげなむくれた表情で、ぱたぱたと飛んでいった。

俺はその背を追う。小さな頭が楽しそうに揺れ、風の音に載せ、鼻歌を歌う。


届きましょう、届けましょう。新たな命、古びた嘆き。

継ぎましょう、繋ぎましょう。新たな命、生まれの歌。

どうか永久に。尽きぬ鐘の音。


聞いたことのない歌。だけどどこか懐かしい。矛盾する感情。だけどそれが正しいのだろう。継いで届けるのがこの世界なら、きっとこの歌も生まれて死んだ誰かの音色だ。


木々を抜け、小道を駆け抜け、辿り着く。小さな広間。中央には穏やかな気泡を漏らす小さな泉。ゆっくりと、風の動きを受けて小さく波紋を広げている。


「分かった?」

「分かったよ。ありがとう」


俺は静かに足を踏み出す。一歩、泉へ向けて。気づけば空は煙色に染まり、しんしんと白雪を溢している。草木は枯れて、獣たちは白骨を晒す。

虫は息をひそめ、芽吹きの時を待っている。


死の世界。だけどそれは正しい円環だ。永久に続く命はなく、尽きて礎になり、次へと繋ぐ。その円環に例外はない。それはこの世界の主たる俺でさえも。


一歩、踏み出す。足場は無く、落ちていく。水底から舞う空気の泡がまるで祝福するかのように肌を流れ、昇っていく。


ああ、終わる。沈み、溶けて何かに変わる。

だけど、恐怖は無い。この世界は全てが自分。なら、身体の終わりは意味を持たない。静かに目を閉じた。


目が覚める。固い木の感触。頭を起こせば光が入り込み、それが平坦な机の面であることが分かる。吹き付ける冷たい雪の粒が窓を叩き、師匠の「戻ったか」という声が聞こえた。


手には革張りの本。俺はそれを置き、大きく伸びをした。

「どれぐらい寝てましたか?」

「2時間程度だ。意外に早かったな」

「他の人はどんな――」

「貴様の業は?」

俺の和やかな返事をまるっと遮り、本題をぶつけてきた。ひどい


「『生命』」

あの世界が俺の業だというのなら、それは生命だ。生まれては死に、次へと変わる。それこそが俺の業。人として死に、ホムンクルスの肉体に蘇った俺にはお似合いの業だろう。


「………ふむ。悪くない。特に錬金術師にとっては当たりと言えるな」

珍しく師匠が褒めてくれた。

「では今日はここまでだ。寝ろ」

そう言って師匠はまた消えた。俺、あの人が歩いてるのほとんど見たことないんだが。最初に会ったときぐらいではなかろうか。


もっと歩いたほうがいいと思う。900歳なら健康にも気を使うべきだ。

面と向かっては絶対に言えないことを思いながら、俺は寒い中庭を通って自室に戻った。

魔術とか何でもいいから、暖かくなる魔術だけ覚えたいっ!




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