ゼノン・アリスティア
成行きで師匠の弟子となった俺は、銀の縛りを解かれ、冷たい地面に落とされた。
「あいたっ……あ、どうも」
いつからいたのか知らないが、綺麗なメイドさんが子供用の服をくれる。
彼女はにこりと微笑み、服を着るのを手伝ってくれた。うわ…めっちゃいい匂い。この人が師匠がいいなあ。
「さて、我が弟子、ゼノンよ。何か聞きたいことはあるか?」
俺が着替え終わったのを見計らい、冷酷師匠が尋ねてくる。
……聞きたいことなんて山ほどあるよ。
「ゼノンって誰ですか?」
「お前だ。ゼノン・アリスティアを名乗れ」
勝手に名前変えられた。そんなことってある?
だけど、それよりも気になることがある。
「ここは、どこなんですか?」
その声は震えていた。薄々分かっていながらも、聞かなければならない。確かめなければならないことだ。
「ここはエリーゼ半島。セントラル大陸北西にある我がアリスティア家の所有する領地だ」
エリーゼ半島もセントラル大陸も知らない。やっぱりここは――
「異世界だよ。お前にとってな。お前が見た緑の小人は妖精だ」
「……妖精」
ぼそりと彼女の言葉を繰り返す。その存在は知っているが、まさか実物があんなのとは。
もっとこう、美少女に羽が生えて「よろしく!アタシ、妖精!」みたいのを想像してた。
夢ないね、異世界。この調子じゃあ、ロリドワーフものじゃろり魔王もいなさそうだ。うわ、俺、ロリコン!?
「魔力の塊だった精霊が赤子に受肉し、繁栄した種族だ。いたずら好きで、魔力の高い者を手元に運んでくることがある。チェンジリングと呼ばれる現象だ」
馬鹿なことを考えている俺を無視して、師匠は妖精の説明をしてくれた。いたずら好きなのは俺が知っている地球の妖精と同じだ。
いたずらがえげつないのは異世界仕様ですか?いや、よく考えれば地球の妖精の逸話も結構グロい。餓死するまで迷わせるとかそんなのだ。
ということはあれが妖精のデフォか。最悪の害虫じゃん。
「つまり俺は、妖精に攫われた?」
「厳密には、ワタシの作ったホムンクルスの魂と精神を、異世界にいたお前の中身と交換したのだろう」
ホムンクルスとやらの体に、俺が入ったのか。ということは、向こうの俺の中に、ホムンクルスさんが!?
「向こうのお前は死んでいるはずだ」
もしかしたら、俺は生きているかもしれないという淡い期待は彼女の一言で打ち砕かれた。
「……なぜですか?」
「お前が宿ったホムンクルスは未完成だ。魂は芽生えておらず、精神も未熟。培養槽から出れば、すぐに死ぬ。異界に渡れたのかも怪しいものだ」
そう言われて、俺は思い出す。あの川の流れの様な濁流の光を。きっとあれが、世界と世界の狭間なのだろう。
俺は、もう戻れない。……もう会えないのだ、家族に。
瞳から涙が零れ落ちる。俺は静かに涙した。どうして俺が。そう叫び出すことも出来ず、ただ現実に涙した。
「……これを身に着けていろ。絶対に外すな。修行は明日からだ」
彼女はローブの中から何かを取り出しこちらに放り投げる。放物線を描くそれを受け止め、視線を戻すと、彼女の姿は無かった。
一瞬で、まるで霞のように消えた。これも魔術なのだろうか。
もしかしたら、泣いている俺を慮って一人にしてくれたのかもしれない。そうだとすれば以外に優しいのかもしれない。
「うぅ……なにこれ」
俺は、鼻を鳴らし、涙を拭って手渡されたものを見る。それは指輪だった。何の変哲もない銀の指輪だ。
後に残されたのは俺とメイドさんと球体関節を持つ人形だけだ。人形?
「うわっ!なにこれ!?」
ぴょん、と跳び、後ろへ逃げる。その人形は使用人服に身を包み、無機質な目で俺を見る。
「どうぞ、こちらへ。……あなたは業務に戻ってください。後は引き継ぎます」
「はい。失礼いたします。ゼノン様、リリエル様」
メイドさんは恭しく頭を下げ、退室した。
残った彼女?は球体関節の手で出入り口を指し示す。扉の先からは温かな光が指し示している。
「あ、どうも」
「指輪をはめてください」
人形に言われるままに、指輪を右手の人差し指に嵌めた。なぜか、サイズはぴったりだった。
彼女の後を付いていく。室内から石造りの通路に出る。等間隔で設置された照明が赤い光を灯し、暗い通路を照らしていた。その灯もおかしい。何というか、光だけが浮いているのだ。
火種も無く、光源も無い。ただ、光と言う現象だけが燭台の上に浮いていた。
通路には全身鎧や巨大な絵画などが飾られており、中世の城のような内装だ。
人形の女性は迷いなく足を進める。その後を黙ってついて行くと、メイド服に身を包んだ使用人らしき人が廊下の掃除をしていた。
それ以外にも空を歩く小人や浮かび上がり独りでに飛ぶ書簡と万年筆。異様な光景だ。……本当に異世界なんだな。
「エリーゼ城には、私のような使用人が大勢おります。城内を動く際は、誰かにお声掛けください。……この城は広く、危険です」
「……番犬でもいるんですか?」
「敬語は不要です。ゼノン様。……番犬はいませんが、似たようなものはたくさんいます。その指輪は、ゼノン様をアリア様の庇護下にあると示すための物。そして貴方の居場所を明らかにします」
「発信機ってことですか。首輪みたいなもんですか?」
自由を縛られるものだと知り、つい嫌味を飛ばしてしまった。だが人形の彼女は生真面目に首を振った。
「発信機、が何かは分かりませんが、首輪ではございません。この城は魔具や魔術が幾重にも掛けられているせいで、一種の異界とかしております。
潜った扉は二度と現れぬかもしれませんし、数メートル歩いただけで城の端に行きつくことも。指輪が無ければ二度と会えないかもしれません」
彼女の具体的な説明は俺の恐怖をあおるのに十分だった。魔術師の城だ。何が起こっても不思議ではないと改めて心に刻む。
地下から1階に上がる。中庭を横目に見ながら、通路を歩む。
「さっむ!」
めちゃくちゃ寒い。中庭の木々には雪が降り積もり、冷えた風が吹いている。白と緑が合わさった中庭は手入れが行き届いており、見惚れるほど美しい。
だがそれ以上に寒い。ただ寒い。どうやらここは、真冬のようだ。薄衣一枚の俺には堪える。
人形のメイドは、通路の真ん中で足を止め、振り返る。
なんで止まるの…!?早く室内に行きたい。
「申し訳ございません。人間には厳しい寒さでした」
そう言ってメイドは俺に向けて手をかざす。
「〈抱く太陽片〉」
その言葉をきっかけに何かが変わった。彼女の手の内、そこが変じた。
力ある言葉は世界を歪め、あり得ざる現象を生み出す。
それは橙色に見えた。きっと真実は違うのだろうが、温かみを帯びたその塊はそうとしか言い表せない。
彼女の手のひらから放たれた橙色の光が俺を包み込む。その瞬間、体の芯を刺すような寒さが消えた。
「お、おお~」
すごい!これが魔術。暖房要らないじゃん。
「もうすぐです」
彼女は何でもないように再び歩み出す。きっと彼女たちにとってはこんな『魔術』ぐらい特別でも何でもないのだろう。
俺も、軽い足取りで彼女の後を付いていく。気づけば俺の心も軽くなっている。もちろん、不安はある。家族に会えない悲しみも。それでも、あの美しい光を自分も宿せると考えれば、少し楽しみでもあった。
中庭を過ぎると、エスカレーターに載せられた。地面の板が上下するだけの簡単な造りだが、恐らくこれも魔術で稼働しているのだろう。
それに乗って城を昇り、案内された一室は、高級ホテルのようだった。地面には赤い絨毯が敷き詰められており、赤と茶色を基調とした暖色系の家具で統一された室内は、穏やかなぬくもりに包まれている。
大きな暖炉がぱちぱちと音を立て、柔らかな炎を灯している。
「え?ここ?」
「はい。お気に召しませんでしたか?」
「いや、そんなことないです」
思わず敬語になってしまう。まさかこんなにいい部屋を貰えるとは思わなかった。もしかして、最後の晩餐的なやつか?明日には殺されるから最後に贅沢させてやろうとか……。
いや、あの師匠はそんな情けなんて掛けない。俺は知ってるんだ。
「私は部屋の外で控えておりますので、御用があればお声掛けください」
メイドさんは頭を下げ、巨大な扉を閉める。広い部屋に俺だけが残された。
まずは、風呂だな。
豪勢な絨毯を踏みしめ、隣の部屋に行くと、巨大な浴室があった。優に数人が足を延ばして入れるほど大きなバスタブとシャワーが備え付けてある。
まだこの世界のことは知らないが、意外と文明水準は高いのかもしれない。師匠はテンプレ魔女装備だったが……
服を脱ぎ、棚に置いて浴室に入る。
さて、熱いシャワーを浴びよう。だが、見知ったボタンやレバーは見当たらない。やっぱり異世界だ。
「んー?これか?」
壁に埋め込まれた3つの水晶を見る。赤と透明と青の水晶だ。絶対これだろ。現代人を舐めるんじゃない…!
俺は自信満々に赤い水晶に手を当てる。すると、水晶が微かに光った。
「なんだこれ……」
水晶が光ったというよりも、水晶の中の文字列のようなものが光ったように見えた。俺は水晶を覗き込もうとしたが、頭上から降り注いだ熱湯に邪魔された。
「熱っつい――!」
小さな足を回転させ、慌てて浴室から出る。天井から降り注ぐ熱湯は、数分間、止まることが無かった。クソ不便だ。
あの後俺は、青い水晶に目を付けた。青い水晶に触れれば水が出てきて、透明の水晶に触れれば水が止まった。
「はっ!やはりちょろい!現代人を舐めるなよぉー!」
勝利の雄たけび!小さな男の子を振り回しながら、俺は温水を浴びながら叫んだ。
とまあ、なんやかんやありながら、俺は風呂の入り、体を温めることが出来た。
ふう、俺が現代人じゃなければ、メイドさんに泣きついてたとこだった。何とか成人男性としての威厳は保てたな……。
浴室から出た時に、着替えを持って待っていたメイドさんに驚いて絶叫したのはノーカウントだ。向こうも気にしてなかったからな。
□□□
俺は高級品と思しき革のソファに座り込み、窓の外を見る。窓からは、小さなバルコニーに繋がっているようだが、吹雪に覆われたそこに行く気は無かった。だが、自分が今どこにいるのかは興味がある。
窓の外から見える景色は、巨大な白亜の城と、その奥に広がる森だけだ。少なくとも、人里の近くではないのだろう。辺境の地という言葉がぴったりの場所だ。
壁と一体になった本棚から適当な本を抜き出す。重厚な表紙の本を開き、中を見ると、ミミズがのたうち回ったような謎の言語が記されている。だが、俺はそれを読むことが出来た。師匠が言っていた『妖精の恩寵』とやらのお陰なのだろう。
「えっと、神話の話か。…もはや神々しか知らぬ遥か昔、混沌と魔の満ちる地に、一人の聖人が降臨した。彼はその身に宿した神秘の技を、昏き泥のヘルン、太陽編者グレゴリム、始祖ディーン、月の魔女に分け与える。
だがある時、魔王が降臨して聖人が殺された。だが聖人は我らを見捨てず、天の国から勇者を遣わせた――、すごい内容だな」
ふーむ。難しい。よくわからんが、4人弟子たちの名前かっこよすぎだろ。何だよ昏き泥って。明るい泥なんてないだろ。
俺は本を元あった場所に置き、ベッドに横になった。本の内容も気になるが、明日から修行をすると師匠は言っていた。早めに眠ったほうがいいだろう。
今日は色々あった。変な羽虫に絡まれ、殺されて、異世界に飛ばされ、傍若無人な魔術師の弟子にされた。
目を閉じると、自然と瞼が開かなくなる。知らずに疲れが溜まっていたのか、ブレーカーを落とすように、俺の意識は微睡みに落ちていった。
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