白雪の錬金術師は真理を探究する~魔術にハマった男、異世界征服を目論む~

蒼見雛

チェンジリング

がたがたと電車が揺れる。殊更に大きな揺れにさらわれないように、つり革を強くつかみ身体を支える。


窓の外を住宅地が流れ、大きな三日月が空に輝いている。

俺は、蒸し暑さを覚え、ネクタイを片手で引っ張る。だが、つけ慣れていないネクタイの扱いがよくわからず、思うように緩められない。


秋も終わりに近づいたというのに、電車の中はいやに暑い。きっと俺の顔は、座席に座る脂ぎったおじさんと同じように、死んでいるのだろう。


(就活か……)

大学三年生の秋といえば、就活のために動き出すころだ。俺も周りに流されて、銀行のインターンシップを受けてきた。


偉そうな社員が、いい所と柔軟な働き方がどうこうとか話していたけれど、何も惹かれなかった。


きっと来週行く民間企業でも同じことを思いながら就活し、適当なところに就職するのだろう。


小学校の時は中学になれば将来の夢が見つかると思っていた。だが、高校生になっても大学生になってもそんなものは無かった。夢も趣味も特技も無い俺は、無味無臭という言葉が一番似合う。


そんな自嘲の言葉が思い浮かび、さらに気分を落としながら、俺は最寄り駅で降りる。


田舎でもなく、都会でもない俺の故郷は、夜になれば人通りが少ない。同じ駅で降りた人の後ろをついて行きながら、家に帰る。


スマホを見ると、母から連絡があった。『晩御飯どうする?』と短いメッセージが入っていた。俺は苦笑しながらメッセージアプリを開き、返信を考える。


うちは、母と父と俺の三人家族で、晩御飯を作るのは俺か母だ。きっとこれは、どっちが作るかという駆け引きだ。


そんな母を微笑ましく思いながら、返信を考えていると、いつもの風景がおかしいことに気づく。


ぽつぽつと田んぼが点在しているこの景色も20年以上見てきたもので、慣れたものだ。だが今日は、いつもと違うものがあった。


それは、一言で表せば、羽の生えた小人だ。服を着ておらず、薄緑の肌を晒しているが、その裸体に性器は無く、人形のようだった。


彼か彼女は、歩道の上に浮かびながら、不思議そうにこちらを眺めている。目を合わせてしまった俺は、思わず歩みを止め、それを見返す。


急に止まった俺を、高校生が不思議そうに見ながら追い越し、歩いていく。数分もたてば、その道には俺と羽虫人しかいなくなった。


「あ、あ、Hello?」


絶対英語圏の人じゃない。というか人じゃないが、日本人は異国の人に会ったときはそう言うしかないのだ。I am Japanese!I can not speak English!


彼女はきゃっきゃと笑いながら、俺の周囲を飛び回る。何かを喋っているようだが、俺にはノイズにしか聞こえない。多分、英語じゃない。俺は英語を喋れるから分かるのだ。


彼女は飛び回りながら、速度を上げる。やがてその表情も分からなくなり、点が線に変わったころ、俺は羽虫の檻に閉じ込められたことを悟る。


「は?え、ちょっと!」


緑の光は円柱状に伸び、俺の全身を覆う。やがて光は強くなり、そして、消えた。

光が消えた後に残ったのは、青年の死体だけだった。



揺れる。揺れる。揺れる。

暗闇の中をゆらゆらと漂う。形は無く、存在も無い。そんな夜をどれだけ彷徨っただろうか。


存在しない眼で、いくつもの光を見送った。確かなことは一つ、自分は今、流れに逆らっている。川魚が産卵のために川を昇るように、俺も今、魂を賭しながらどこかへ流れて揺れていく。


やがて、暗い海の底から浮かび上がるように、俺の意識は蘇った。


目覚めの景色は、淀んだ緑色。そして、息が詰まる窒息感だ。慌てて手を伸ばすが、透明な何かに阻まれる。


(……ガラス!?)


手をそれに這わし、それの正体を思い浮かべる。俺は今、ガラスの筒の中に封じ込められている。


誰かに存在を知らせるように、何度もガラスを内側から叩くが、水中にいるので思うように力が入らない。ガラスが揺れる軽い音だけが、水を揺らして伝ってくる。


段々と視界が暗くなる。手足の感覚が鈍くなり、体を動かす気力が消えていく。空気を求めて口を開き、代わりに水が肺を冒す。前後感覚すら消えた時、俺はそれに気付いた。


胸の奥。心臓の更に奥に、何かがある。炎のように揺らめき、杭のように突き立ったそれは、自覚されたことを喜ぶように、はじけ、全身から迸る。


けたたましい音を立て、ガラスが割れる。俺の体を中心に水も破片も吹き飛び、辺り一面に散乱した。


「うげぇッ!がッ…」


地面に手を突き、水を吐き出す。緑に染まった水が口から零れ落ちる様は、悪夢のようで気色が悪い。


鼻の奥がつーんとする。顔に手を這わし、煩わしい水滴を拭った。


「なんだここ……」

呟いた言葉が反響する。広さは体育館ほどだ。俺が入っていたのと同じ円柱型の水槽が何機も並んでいる。


だが、中身は違う。まだ胎児のようなものが管に繋がれ水中に浮かんでいる物もあれば、四足のトカゲのようなものが身体を丸めて入っている水槽もある。

だがそのどれにも共通するのは生物味の無さだ。


まるで、SF映画のクローン工場のようだ。それか、悪の組織の怪人製造工場だ。

ガラスまみれの床に気を付けながら、ゆっくりと立ち上がる。


視線が低い?

周りの水槽がでかいだけかもしれないが、それにしても地面が近く感じる。それにこの手足もだ。短すぎる気がするし、肌が白い。


嫌な予感に突き動かされながら、ガラスの水槽を見る。内部の溶液のせいで、横に広く写る自身の姿。表情も何も分かったものではないが、それでも見慣れた自身の容姿を間違えることは無い。確信を持って言える。そこに写っていたのは、小柄な少年だった。


「ちっさ……」


小学校1年生ぐらいだろうか。幼さを残す顔立ちは子供そのものだ。

少なくとも、就活を控えた大学生ではないことは確かだ。


顔立ちも元の面影はなく、中性的な印象を受ける。それは髪が長いせいかもしれないが。


「なんだ、騒々しい」


唖然と変わり果てたマイボディを見ていると、遠くから女性の声が聞こえた。苛立ちと不機嫌さを含んだ凛々しい声だ。


それと同時に、かつかつ、と地面を靴で叩く音が近づいてくる。迷う様子もなく歩むその足音は、彼女がこの施設の関係者であることを示している。


(ど、どうする……!?)

焦りながら周囲を見渡すが、そこにあるのは水槽だけで、隠れる場所は無い。下手に動けばすぐに見つかるし、こんな小さな体では、女性にも力負けする。


一か八か走って逃げようと覚悟を決めていると、女性の姿が見えた。それを見た瞬間、俺はこれが夢なのだと本気で思った。


彼女は丈の長いローブを身に纏い、つばの広いとんがり帽子を被っていた。その隙間から端正な顔の下半分と、零れ落ちるような金の長髪が覗いている。

暗い蒼で統一されたその姿は、物語に出てくる魔女そのものだった。


逃げ時を見失っていると、彼女の視線が俺に向く。瞳までも黄金だ。訝しむその視線が俺の全身を這い回る。


「なぜホムンクルスが起動している?」


彼女の視線は、ゲージから逃げ出したモルモットを見る目だった。少なくとも、友好的なものではない。

そこで初めて俺は、現実に帰る。そうだ、逃げなければ……


初めに決めた作戦を脳死でなぞる。慌てて背を向け、走り出す。だが俺の逃走は一歩で終わった。


「縛り蠢け〈銀の蔓〉」

地面から生えた銀の蔓が全身を這う。葉脈まで見えるほど精巧なそれは、蔓を銀に変えたような異常の産物だ。


「な、なに、これ!」

手足を動かそうとするが、当然動かない。先ほどは蛇のように動いていた蔓は、今は銀の彫刻へと変わっている。


動けない俺の正面に回り込んできた魔女は、俺の頭に手を置き、脅すように囁く。


「どうして喋れる」

彼女の手のひらに、不可視のナニカが集まるのを感じる。きっと返事を間違えれば、俺の頭は消えてしまう……


「どうしてって…。そりゃあ、喋れるでしょう…」


聞かれたことの意味が分からず、曖昧な答えを返す。彼女の質問に答えてはいないが、それ以外に言いようはない。

20年も生きれば言語ぐらい喋れるに決まっている。


「チッ。馬鹿が……」

彼女はイラついたように舌打ちをし、頭を叩いてきた。


めっちゃ痛い。軽くなでられたようなものだが、彼女の指に嵌った指輪が鈍器のようになっている。


「痛いですぅ……」

同情を誘うように涙目で上目遣いをしてみたが、彼女はまるっとそれを無視し、何かを考えこんでいる。

くそっ…!この小学生ボディのあざとさを躱すとは…。さては年上好きだな?


「おい、お前」

「はいっ!」


考えていたことを見透かされたかと思い、返事が上ずる。だが彼女は、俺なんかの考えることにいちいち興味は無いらしい。挙動不審な俺を気にした様子もなく、淡々と言葉を紡ぐ。


「名前は?出身はどこだ?どうしてここにいる?」

「え、えっと、名前は、筒地竜馬。出身は日本の九州です。ここにいるのは、気づいたらと言うか…変な緑の羽の生えた小人みたいなのに絡まれた結果と言うか…」


名前と出身地はすぐに出るが、ここにいる理由なんて知らない。

もしかしてこいつ、俺が好き好んで小学生ボディに入って、水槽で溺れてたと思っているのか?どんな異常性癖だよ。


「緑の羽の生えた小人…。妖精だな。…チェンジリングで入れ替わったわけか、面倒な」

「あのー」

「黙れ、殺すぞ」

「……はい」


ぶつぶつと独り言を呟く彼女に声を掛けたら、びっくりするぐらい低い声で脅された。会話の途中で聞こえた妖精だのチェンジリングだの、嫌な予感しかしない。


「にほんのきゅーしゅー、なんて土地は知らん。妖精め、どこから攫ってきた?

……おい、お前」

「はいっ!」

「黙れ…。そのにほんとやらはどこにある?」


どこにある?こいつ、日本を知らないのか?どこ出身ですか、火星?


「えっと、中国の右で、オーストラリアの上ぐらいですねぇ」


日本の場所なんて説明したことないから、大国の威を借るダサい説明になったが、これで分からなかったらどうしようもない。


「……異世界から来たのか。どうりでちんちくりんなことばかりを言う。……言葉が通じるのは『妖精の恩寵』のお陰か」


彼女は一人で納得している。疑問が解決したことが嬉しいのか、その口元は僅かに弧を描いている。俺も同調してニコニコ笑っとく。空気を読んで笑うことは得意なのだ。I am Japanese!


「では、死ね。ワタシの作品を一つ潰した罰として、脳に虫を植えてやろう」

彼女の手のひらに黒いもやが集まり、形を作る。それは、黒い甲殻を持つ手のひら大の虫だった。


「きっも!噓でしょ!?俺被害者!」


全力で身を捩りながら、思いついたことを口から出す。というか、涙も出た。攫われて言いがかりを付けられて虫に食われるなんて最悪の死に方だ。


「黙れ。妖精と貴様、2人で加害者だ」


かさかさと動く虫が俺の耳元に突きつけられた瞬間、俺は死を覚悟し、意識を飛ばそうとする。


ああ、これが俺の最後か。魔女コスプレ女のペットに喰われるなんて、就活で話したら爆笑エピソードだぁ。


来世で話そうと思い、全身の力を抜く。その様は、断頭台にかけられた死刑囚のものだった。


だが、彼女の手は、俺の頭の横で止まった。

「……よく考えれば、お前はを通ってきたのか。なら、使い道はあるか……」


彼女は手のひらの虫を握りつぶし、黒いもやに変える。

なに?助かったの?


「ワタシは、アリア・アリスティア。アリスティア家の当主であり、魔術師をしている」

彼女は突然、奇天烈な自己紹介をする。

魔術師だってさ。そんなものはいないと笑いたいが、さっき見せられた超常の技は、魔術そのものだった。


「ワタシの弟子になるのなら、生かしてやろう。どうだ?」

「弟子にしてください!」


元気に叫ぶ俺を、彼女は満足げに眺める。そう言うしかなかっただけなのに……

薄暗い地下の一室で、未完成の生き物たちに囲まれながら、俺と師匠は、契約を交わした。


後の歴史学者はこう語る。アルフィア魔術歴1011年、世界最悪の魔術師が生まれた年だと。


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