第14話

 夜空を紅蓮の炎に染める大坂城を目にした徳川家康は勝利を確信した。

「これでやっと乱世は終わる」

 徳川秀忠の本陣の片隅で、そう呟いた家康は、傍の本多正信と顔を合わせることなく目を瞑った。そしてこの本陣の外へ勇み出た征夷大将軍の拳を振り上げた合図で、大地に轟くほどの勝鬨が沸き起こった瞬間、一発の銃声が遠くで鳴り響いた。勝利に歓喜する全軍は依然、勝鬨を挙げ続けている。しかしこの時、徳川家康は弱々しく蹌踉めいて本多正信に寄り掛かった。銃弾は家康の纏った衣の袖を貫通していた。命に別状は無い。正信は彼の老体で支えている、もう一つの老体が気を失いつつも、確りと呼吸をしている事実に安堵した。


 服部半蔵は全速力で、銃声が聞こえた方角へ駆けに駆けた。何という盲点であったことか。彼は今、通り過ぎた場所へと一目散に向かっている。数刻前、太陽が西の空へ沈む前に、真田幸村や後藤又兵衛といった反幕府軍を支える強豪たちが戦場の露と消え、その陣営が無惨にも壊滅し、ついに幕府軍の大坂城への総攻めが敢行される段となって、半蔵はずっと潜伏し続ける刺客が大坂城内に隠れていると確信した。ところが、その大坂城に自爆の火の手が立ち昇った矢先、一発の銃声が半蔵の心の臓に響いた。半蔵は突発的に何か嫌な予感に襲われた。五助は今、何処にいる?


「五助!」

 嫌な予感は的中した。全速力で丘を駆け上がる半蔵の視界に、竹藪の中で蹲る五助が捉えられた。

「こいつに見事にやられた。相討ちだな」

 五助の腹から下は血塗れであったが、彼が腰の下に敷いている刺客は、既に俯せの死体になっていた。ただ地面に貼りついたこの死体の横顔は余りにも若々しかった。青年というよりは少年の容貌の持ち主だ。そしてその南蛮人の彼の首には、十字架がぶら下がっており、息絶えても右手が縋るようにその十字架を握りしめている。二人には鉄砲を使った形跡は無く、格闘の肉弾戦で決着をつけたようであった。だとすればあの一発の銃声は。杉谷善住坊か。

 自問自答した半蔵の表情から、全てを読み取った五助は重い口を開いた。半蔵は五助を優しく包むように抱き締めた。

「観音爺さんだ。杉谷善住坊の仕業だよ。あいつも、もう死んでる……」

 力無く言葉を漏らした五助の人差し指は、数十歩ほど先の草叢を指したが、その震える手は重力に耐えきれず、南蛮人の死人の肩にゆったりと落ちた。そして虫の息で半蔵に一刻も早くここから逃亡し、身を隠して残りの生を、世捨て人のように全うすることを勧めた。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る