10 最愛

 「ここまででいいわよ」


 鮮やかな赤髪が夜のネオンを反射してキラキラと輝く。ふと、綺麗になったなと思う。高圧的な態度も、凛とした強さも、出会った頃から変わらない。けれど、昔はその端々に垣間見得たはずの幼さが見えなくなってしまったことに、ほんの少しの寂しさを覚える。


 「いいよ、家まで送る。こんな時間だ。女子高生を一人で歩かせるわけにはいかない」

 「頼りないボディーガードね。子連れの女子高生がこんな時間にフラフラしてる方が不自然よ」

 「はは、それもそうだ」

 「けど、ありがと。少し、本当に少しだけよ、心細い気がしてた」


 有羽の横顔を見上げる。出会った頃はファイの方が少し背が高いくらいだった。出会ってから十年。たった十年という月日が、無垢だった少女を意思を持つ大人へと変えてしまう。


 「君は何を企んでいる」


 反射的に有羽が歩みを止める。表情は変わらない。凛とした清廉な表情のまま、有羽はファイに真っ直ぐに向き直す。


 「いったい何の話かしら?」

 「玲司がうちに来たのは偶然じゃないだろう」


 有羽の目尻がぴくりと動く。一瞬、風が通り過ぎるくらいの間をあけて、有羽は余裕げな顔を崩さずに続ける。


 「あたしの目的は変わらないわ」

 「人と、悪魔の共生か」

 「魔捜としての建前だと、危険悪魔は人に害を為す前に殺さなくちゃならないの。けど、彼女は違うでしょう?ずっとこの街に溶け込んで生きてきた。悪事を働く為にこちらに来たわけじゃない。殺さずに済むなら、その方が良かった」

 「自由に動けなくなるくらいなら魔捜なんてやめちまえよ」

 「そうもいかないわ。上の考え方が変わらない限り、人と悪魔の関係性は変わらない。だから、あたしは内部から今の組織をぶち壊すの」


 有羽の瞳を見上げる。真っ直ぐに目が合う。その物言いとは裏腹に、爽やかな意思を持った瞳だった。


 「過激だな、優等生」

 「あら、過激な仕事は貴方たちの役割よ。派手に暴れてちょうだいよね、あたしの暗躍が霞むくらいには」


 有羽が得意げに鼻を鳴らす。そこまできて、ファイはようやくうまく話題をすり替えられたことに気が付いた。けど不思議と悔しさはない。有羽の意志が、ファイが魔捜を離れる前から少しも変わっていないことに、むしろ安堵すら覚える。


 「約束したでしょう、手伝ってくれるって」

 「お心のままに。君は僕のマスターだ」

 「あたし達はそんな大層な関係性じゃないでしょ」


 有羽の赤い髪が揺れる。薄めた瞼の奥の赤い瞳と目が合う。


 「友達よ、今も昔も」

 「ほう、なら君は今まで友達を顎でこき使っていたというわけか」

 「友達だからよ、遠慮もいらない、信頼もしている、ただの部下じゃそんなわけにはいかないもの。貴方が友達だから、あたしは貴方を頼るのよ」

 「頼られているとは知らなかったな」


 わざと意地悪な言い方をする。言うまでもなく、照れ隠しである。


 「今度こそ、ここまででいいわ」

 「そうだな、ここまで来れば大丈夫か」


 街灯に照らされた明るいコンクリートの上で有羽が手を振る。


 「送ってくれてありがと、じゃあね」

 「ああ、気をつけて」


 手を振り返し有羽を見送る。姿が見えなくなるまで手を振った後、ファイは振り返りもと来た道を戻る。歩きながら、胸ポケットの手帳を取り出す。テレポートのストックが一枚残っていた。


 「帰ったらアンリに補充頼むか」


 小さく呟きながら、街灯の灯りの届かない横道へと入る。


 「Blake」


 ファイの声に呼応して、暗がりに青白い光が充満する。光は一瞬辺りを照らした後にすぐに消え、再び元の暗闇へと戻った路地には、既に誰の姿も無かった。



♢♢♢



 その日は朝からじっとりとした湿気が空を覆っていた。降りそうだな、と玄関で大きなフリルのついたピンク色の傘を手に取る。童顔で可愛らしい容姿に合わせて買ったものだが、その姿は既に捨てている。

 過去愛流だった少女、フィーネは靴箱の脇に置かれた全身鏡で自らの姿を確認する。幼さを強調する大きな垂れ目も、あざとさ全開のピンクブラウンのツインテールもそこには無い。柔らかそうな銀髪のストレートヘアに、深い紫色の丸みの強い猫目。その身に纏う、所謂量産型ファッションと呼ばれる甘く可愛らしい洋服が妙に浮いている。

 視線を手元の傘に移す。愛流の容姿にはこれ以上なく似合っていたであろうそれは、今の自分が持つとまるで誰かの借り物である。鏡の前に立つ自身の格好のアンバランスさに、思わず笑い声を漏らす。そういえば、とフィーネは自身の姿を眺めながら思い返す。


 「そういえば、ゴスロリってやつを着てみたかったのよ」


 黒を基調にしたゴシックロリータ。今の私、生来生まれ持った私の容姿にはきっとそれはよく似合う。紗夜だった頃に雑誌で見かけて以降憧れてはいたが、異性からの受けが良くないことを察して手を出していなかった。今なら、肇とのパスの繋がった今ならそんな格好をするのも悪くないかもしれない。


 「今度のデートはお洋服を買いに行こう。退屈させちゃうかもだけど、気に入ってくれるものを着たいもの」


 ふふん、と鼻歌を奏でながら玄関の扉を開ける。風と共にジメジメとした空気が肌を撫でる。その湿気に嫌悪を感じないのは、きっとあなたに会えるから。

 スマホのメッセージを確認する。添付されている位置情報は、ここから歩いてそれほどかからない場所だ。タンッと分厚いヒールを鳴らし歩調を上げる。マンションのエントランス横、小さなプランターの中でタチアオイの蕾が揺れていた。



♢♢♢



 木目を基調としたログハウスのような見た目の小さな店。中央のテーブルには煌びやかなジュエリーが所狭しと並んでいる。


 「あ、コレ知ってる。ヴィヴィ○ンのバッタモンでしょ?」


 土星に似た大きなモチーフのついたネックレスを手に取り、アンリが店の奥に呼びかける。


 「失礼ね、本物よ。ホ・ン・モ・ノ!ちゃんと保証書もついてるんだからね!」


 アンリの言葉に不機嫌を露わにしながら、声の主が店先へと顔を出す。サイドを刈り上げた紫色のアシンメトリーヘアー。全身に大量のピアスとゴテゴテとした存在感のあるアクセサリーを纏い、タンクトップの袖からは大きく発達した隆々な筋肉が顔を出す、大柄な男性。


 「大してお金も落とさないくせに、アタシの店の商品にケチつけないでちょうだい」


 その屈強な見た目と胸に響くバリトンボイスからは想像できない女性的な言葉遣いの彼が、このジュエリーショップの店主、エドモンドである。


 「悪いな、エド。アンリは後で叱っておく」

 「あらボウヤ、久しぶりじゃない!アンタが来るってことは、また"それ"絡みかしら?」


 ファイの顔を見てすっかり機嫌を良くしたエドモンドが、扉の近くで腕を組むレガリアを指差しながら言う。ひらひらと手を振るレガリアを横目に、ファイは「いや……」と続ける。


 「今回は特殊な案件でな、多分そろそろ来ると思うが……」


 ファイが言い終わるより先に、ドアベルがカラランと軽やかな音を立てる。扉の奥にはピンク色の傘。


 「あら、随分と可愛らしいカップルさんね」


 ぺこりと頭を下げるフィーネ、その後ろから肇が店へと入ってくる。


 「今回加工して欲しいのはこいつらの分だ、頼めるか?」

 「ん?あら、誰かと思ったらサキュバスちゃんじゃないの」


 フィーネをまじまじと見つめた後、エドモンドが口元に手を当てキャピキャピとした声を上げる。


 「久しぶりね、マルバス。今はフィーネって名前なの」

 「いい名前ね、フィーネちゃん。アタシのこともエドって呼んで」

 「ありがと、エド。宝石の加工って聞いてたから、もしかしたら貴方かもって思ってたのよ」

 「あら嬉しい〜!フィーネちゃんの分ならアタシ気合い入れちゃうわ〜!」


 きゃっきゃっと女子らしいトークを繰り広げる二人。の後ろで肇が所在なさげに周囲をキョロキョロと見回している。


 「アンタがフィーネちゃんのマスターね、お名前は?」

 「あ、えと……、神山肇です」


 突然声をかけられて慌てて背筋を伸ばす。気圧されて思わず畏まってしまうが、無理もない。エドモンドの風体は初見にはかなりのインパクトと迫力がある。


 「肇ちゃんね、よろしく」


 そんな肇の態度を察して、エドモンドは柔らかい笑みを向ける。緊張していた肇も、その笑顔につられて「よろしく」と少々上がっていた肩を下ろす。


 「ところで僕、何をするのかあんまり聞いてないんだけど……」

 「契約の宝石は持ってきたかしら?」

 「ああ、これ……」


 肇がポケットから小さな巾着袋を取り出す。中からはピンク色の石が二粒。


 「あら、綺麗な色。契約の宝石はね、二人の間の相性が良いほど明るい色になるのよ。良いコンビなのね、アンタ達」

 「ども、ありがとうございます」


 畏まった挨拶がぎこちない。事実、肇のような生き方をしていると他人に敬語を使うような場面はそう多くない。不慣れなことがありありと伝わってくる。


 「さて、この宝石なんだけど、契約書代わりなのは勿論のこと、アタシ達悪魔にとってはマーキングの意味も持つのよ」

 「マーキング?」

 「そ、自分にはマスターが居ますよ、ってアピールする役割ね。だから悪魔はこれを他人に見える形で身に付けるの。そこの、レガリアのボウヤのループタイみたいにね」


 そう言われてレガリアが、胸元のループタイを指先で叩く。


 「お前のそれ、そうだったのか」

 「これも彼の作品さ、良いだろう?」

 「ああ、キザなお前によく似合ってる」


 嫌味っぽく言う肇に対し、レガリアがクックッと声に出して笑ったあとベーッと舌を出す。


 「じゃあお前も何か持ってるのか?探偵?」


 問われたファイが肇を一瞥し顔を顰める。


 「持ってるが、お前に見せる義理はない」

 「そう言うと思ったよ」


 ファイの答えに、肇がつまらなそうにため息を吐く。


 「アタシも見ないのをお勧めするわ、こういうのはインスピレーションが大事だから。下手に見ちゃうと無意識に影響されちゃうでしょ」

 「そんなものか?」

 「ええ、特にアタシの作り方だとね」


 そう言って笑うエドモンドの足元には魔法陣。狭い店内に眩い光が充満する。


 「顧客のイメージした物を創造する、それがアタシの魔法。さあ、始めるわよ」


 エドモンドから受け取った宝石を、フィーネが自身と肇の掌の上に一つづつ乗せる。不安げな顔をする肇の手をフィーネは包み込むように握ると、穏やかな笑みを向けた。


 「創造せよクレオ


 エドモンドの瞳が赤く発光する。と、同時に二人の手の上の石に吸い込まれるように黄金色の光が集約する。キラキラと輝く火花のような光を散らしながら、それは徐々に形を変えていく。その場にいる全員がその光に釘付けになる。


 「本当に綺麗よね、アタシこの能力に生まれて良かったって心から思ってるの」


 線香花火のように儚く強い光を眺めながら、エドモンドはあまりにも優しい声で呟いた。周囲を明るく照らしながら発光するそれは、徐々に火花を散らせる回数を減らし、まるで花火の火が消える瞬間のように、だんだんと弱々しい物へと変わっていく。その終わりを惜しむように見入っていた肇の手のひらに残ったのは、宝石のワンポイントのついた華奢でシンプルなリングだった。


 「普通だな、つまらん」


 手の上の指輪を一瞥してファイが呟く。一見、何の個性もないシンプルなリング。強いて挙げるならば、男性がつけるには少々華奢すぎるくらい。ファイの言う通りつまらないのだろう、と肇は手の上のリングを眺めながら少しだけ口角を上げた。


 「あ」


 肇の隣でフィーネが声を上げる。その手のひらの上には、宝石の周りの装飾こそ違えど、似た形の華奢なリングが乗っていた。

 角度を変えれば、面白みに欠けた普通のリングにしか見えない。しかし、リングの描く緩やかなV字のラインは、二人の目には全く違う形を映す。宝石に向かって正面から見た時にだけ、浮かび上がるハートの形。


 「秘密だよ」

 「うん」


 短い言葉を交わすと、二人はハート形を隠すようにリングを指へとはめる。指輪のサイズなんて測ったことは無かったが、それは肇の薬指にピッタリと収まった。


 「あら、その形……」


 指の腹側でV字を描く珍しい形を眺めるエドモンドにむかって、フィーネが口元で人差し指を立てる。


 「やっと、いい殿方に出会えたのね」


 穏やかな笑みでそう呟いたエドモンドの言葉に、フィーネは歯並びの良い白い歯を見せて応える。


 「ええ、最高のマスターよ」


 キラキラと輝く、満開の笑顔だった。

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