11 終結、そして

 トー横広場、大きなバットに入れたパスタを紙皿へと取り分けていた玲司が手を止めた。


 「肇さんじゃないッスか、どうしてここに?」

 「白々しい態度はよせよ、颯季さつき

 「誰の話してるんスか?ほら、パスタ冷めちゃうッスよ」

 「うん、口調は完璧。まるで別人だ。けどそれだけじゃ僕を誤魔化すことはできない」


 玲司の作り笑顔が崩れる。


 「ここでは俺は轟玲司なんだ。後で話そう」


 去れ、と言わんばかりにパスタの乗った紙皿を押し付ける。それまでの明るく軽い彼の雰囲気から一転して、低く冷たいトーン。そこには派手でヤンチャな青年の面影はなく、その瞳は、彼の今の容姿からはとても想像が及ばないほどの生真面目さを孕んでいた。


 「ありがとう、また後でな、


 白々しいのはどちらだ、と玲司が小さく溜息を吐く。


 「はーい、お待たせッス!いっぱい食うんスよ〜」


 十代半ばくらいだろうか、長い前髪で顔を隠したショートカットの少女にパスタを手渡す玲司は、先程の冷たい雰囲気が嘘のように朗らかな笑顔を浮かべていた。



♢♢♢



 広場の隅に腰を下ろし、少しぬるいパスタを頬張る。控え目で真面目そうな少年、照屋てるや颯季さつきに会ったのもこの場所だった。毎日のようにここに居た彼の姿を見なくなって数年が経つ。理由は忘れてしまったが、両親と気まずくて家に帰りたくない、そう漏らしていた彼だったから、きっと家族と仲直りできたのだと安心していた。まさか戻ってきているとは思わなかった。


 「お待たせ」


 肇の右隣に玲司が腰掛ける。あの頃はよくこうしていた。


 「いつから気付いていた?」

 「確信はさっきまで無かった。違和感を感じたのは、ビルの前でレガリアが悪魔だと明かした瞬間。心音が、まるで知っていたみたいだった」

 「それで何故俺だと?」

 「簡単な推理とカンだよ。轟玲司が現れた時期に居なくなった人間を調べたら、その中にお前が居た」

 「よくそんなの調べられたな、人の出入りなんてここじゃ毎日のようにあるだろ」

 「それで金貰ってるからな」


 長い沈黙。会話がうまく続かない。別に何を話したかったわけでもない。ただ、確信を得たかっただけ。あとはほんの少し、姿を消したと思っていた友人と再会できたことが、本当にほんの少しだけ嬉しかったから。


 「スカウトだよ」


 ぽつり、と玲司が口を開く。


 「スカウト?」

 「君もよく知ってる人だ。ここはいろんなモノが集まるからな。自由に動ける協力者が欲しかったんだと」

 「そっか、……よかった」

 「……?」


 玲司が不思議そうに肇の顔を覗き込む。ハッとして肇が口元を押さえる。自分が口走ったセリフが信じられないとでもいうように目をぱちぱちとさせている。その瞳から、何か暖かいものが流れ落ちる。それはだんだんと大きな粒となり、ようやく肇は自分が泣いていることに気が付いた。


 「え!?なんで!?」

 「うるせえ!わかんねえよ、わかんねえけど、止まらないんだ」

 「何も言わずに消えたのは悪かったよ!けど何も泣かなくても……」

 「ちがう……違うんだ……」


 肇がゴシゴシと目元を拭う。かなり荒っぽく擦ったせいで、目元から頬にかけてが真っ赤に腫れていた。


 「僕のせいだと思ってた。僕が巻き込んだから居なくなったんだと」

 「なんだそりゃ。まあ、怪我の完治には時間かかったけど、あれのおかげで俺は俺の居場所とやるべき事を見つけた。感謝こそすれ恨んでなんかないよ」

 「そっか」


 手元のパスタを口に運ぶ。もうずいぶんと冷たくなっていた。


 「で、どうする?俺の事をあの探偵たちに報告するか?」

 「まさか、あいつらは仲間じゃない、ただの商売相手だ。僕自身は中立だ」

 「そうしてもらえると助かる。まぁ、言わなくてもレガリアさんなんかは気付いてるだろうけど。あの人わざとカマかけるみたいに専門用語連発してたし。俺に魔術的な知識が皆無で助かった」

 「はは、違いない。けど安心しろよ、あいつはファイに直接危害が及ばない事なら気付いてても大抵放置するから。基本ファイにしか興味ないんだ」

 「それも雇い主から聞いてるよ。聞いていたよりも気さくそうな悪魔ひとで驚いたけど」


 そう言うと玲司は、肇の手から空になった紙皿を受け取りながら立ち上がる。


 「居場所が無いって感じてる子は、本当に居場所が無いんだ。あの頃の俺みたいに。だから、俺はここに居場所を作るし、ここに来る子たちを守る。俺たちはそういう集まりなんだ」


 俺“たち”という言葉が頭の隅に引っ掛かる。ずっと疑問に思っていたことがある。あの日、武丸ビルに囚われていた人間の中には魔捜の人間が居たはずだ。しかし、レガリアはおろか、以前魔捜に所属していたはずのファイですら、あの中に知った顔は居ない様子だった。

 遠くで炊き出しの片付けをしている青年。玲司が「せーやさん」と駆け寄っていた青年だ。見回すと、他にも数人あの日救出した人間の姿があった。あ、と肇は一つの仮説に辿り着く。


 「……そうか、そういうことか。フィーネに捕まってた魔捜ってのは、お前らのことだったのか」

 「かもしれないッスね」


 そう言って去る玲司からは、既に颯季の面影は消えていた。

 一般人の身でありながら、警察では手の出しにくい場所に身を置いて捜査に協力する。さながら、かの世界一有名な推理小説の、ロンドンの名探偵と協力関係を結ぶストリートチルドレンのようだと、肇は彼らの姿を見ながら少しだけ笑った。


 「なるほど、推理小説好きのあいつらしい」


 小さくそう呟いて立ち上がる。広場の中央に、中学生くらいの子達に囲まれて楽しげに話をする玲司の姿が見えた。肇はその隣を無言で通り過ぎ、広場を後にする。振り返ることはしなかった。

 見上げると、空の高い位置で太陽が輝いていた。


 「もう数時間眠れそうだな」


 眩しそうに目を細め、大きくあくびをする肇の姿は、彼の寝床、広場からほど近いネットカフェの中へと消えていった。



♢♢♢



 ズズズ、とコーヒーを啜る音が室内に響く。綺麗に整頓された広いダイニングキッチン。その中央、四人は掛けられそうな大きなテーブルに寝巻きのままで腰掛けながら、緋田ひだかいは手元の資料を読み込んでいた。リストアップされた名前を照らし合わせ、一人一人指差しで確認しながら見つけた名前に印をつけていく。一人、また一人とチェックボックスに印を入れ、最後の一人を資料の中に見つけた瞬間、彼は大きく安堵の息を漏らす。


 「よかった、みんな帰ってきてる」


 巻き込んだのは自分の判断ミスだ。知識を与えるには時期尚早だった、という事だろう。彼らが自ら問題解決に動こうとするとは、櫂自身も予想ができなかったのだ。巻き込まないために魔術や悪魔についての知識を最低限しか与えなかったのも仇となった。もっと奴らの危険性を知らせておくべきだった。

 後悔は尽きない。しかし、逆に考えればまだ改善点があるということ。大丈夫、次はもっとうまくやれる。櫂は自分に言い聞かせるように脳内で復唱する。

 あの区域、トー横界隈というものは現代に突如現れたスラムだ。初めはただ、居場所を見つけられない若者たちが集っただけのコミュニティだった。SNSで繋がった若者たちが、仮面舞踏会のように素性を隠したまま形成したコミュニティ。ただそれだけならよかった。それだけならよかったが、世間知らずの若者だけで形成されたそのコミュニティが、悪意を持つモノの恰好の餌場となるまでにそう時間はかからなかった。

 放っておけ、自業自得だ、それが大人の総意だった。納得のいかなかった者は極少数。その中の一人が櫂だった。だから櫂は声を掛けた。魔捜が解決したとある事件、その事件の重要参考人であった気弱で真面目そうな少年。

 ちょうど、協力者を探していた。微量だが、鍛えれば護身の魔術くらいなら使える魔術量は秘めていた。魔術師や悪魔に目をつけられず、その巣窟に紛れ込むことができ、いざとなれば身を守って逃げることができる。なにより、悪魔に対する敵対心、彼らの甘い言葉に惑わされない強い意志を持つ一般人。櫂にとって、彼はこれ以上ないほどの逸材だった。

 病院の真っ白なベッド、その傍らで、櫂は少年に手を差し出した。


 「傷が癒えたら、俺を手伝ってみないか」


 少年は、彼の手を取った。

 手元の資料に再び目線を落とす。リストの1番下、照屋颯季の文字を指でなぞる。あれからずいぶんと経った。いつまでも状況が好転しないことに対する焦燥は、多分ずっとあった。


 「功を焦ったのはお互い様かもな」


 そう呟いて自嘲気味に笑う。胸に残るモヤモヤとしたしこりを流し込むように、櫂はマグカップの中のコーヒーを一気に飲み干した。



♢♢♢



 妙に明るい街。それが少女が初めて降り立った新宿という街の第一印象だった。物理的にも、その街に集う人間たちも。昼間にも関わらず街中では様々な色のネオンがチカチカと輝き、すれ違う人間たちは気色が悪いほどに皆底抜けに明るかった。まるで、自分たちは幸福だ、自分たちは自由だと、必死で周囲にアピールでもしているように。気色が悪い。心底そう思った。同時に憐憫を覚える。みんな自身の価値を他人からの評価を通してしか計ることすらできないのだ。喧騒の中を一人歩く。私はブレない。私は、私自身の価値を知っている。

 肉付きの良くない細いふくらはぎには不似合いなゴツいブーツ。少女の分厚い靴底がコンクリートの地面を蹴る。頭の上で、聞き慣れた怪獣映画のBGMが流れた。見上げれば、視界を遮る長い前髪の向こう。写真で見て想像していたよりも随分小さな怪獣の口から、申し訳程度の煙とレーザーが吹き出していた。


 「早く会いたいなぁ」


 そう呟いた少女の、目を覆うほどに長い前髪が風に揺れる。前髪の向こう、大きく黒目がちな一重瞼の瞳には、一瞬身の毛がよだつほどの恍惚の色が浮かんでいた。


 「ねえ、


 少女は行く、混沌の街を。ヒトと、ヒトならざるものが入り乱れるこの街に、また一人、どちらともつかぬ少女が迷い込んだ。ブーツの分厚い靴底をリズミカルに踏み鳴らす。大きなキャリーケースを転がし、真っ直ぐに向かったのは歌舞伎町の中央に聳え立つ東城シネマ、その脇に広がるただだだっ広いだけの広場。何をするわけでもない、ただ溜まって座り込んでいるだけの少年少女の群れの中に、紛れるように入っていった。

 ここは歌舞伎町、トー横界隈。居場所を求めて現実逃避をする少年少女たちによって作られた、夢と現の境目の場所。来るもの拒まず、去るもの追わず。当たり前のように炊き出しの列に並ぶ少女に、いかにもチャラそうな見た目の頭の悪そうな青年は何の疑問も呈さずにパスタを手渡す。

 輪切りの唐辛子だけが乗ったシンプルなペペロンチーノ。少女が口に入れる頃には、もう随分と冷めていた。

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