9 いつかまた
「これで一通り搬出は終わったかな」
「はいッス、俺らが来た時に居た人たちはこれで全員ッスね」
フィーネの蔦に覆われた部屋の中から、黒いスーツの男達が攫われていた人間達を担架に乗せて運び出していく。彼らの敬礼に対し、その場にいたレガリアと玲司が軽く会釈をする。
「玲司がみんなを下ろしておいてくれたおかげで迅速に終わりそうだ、助かったよ」
「いえ!張り付けられたままじゃ可哀想だったんで……あと、ああいう細かい作業は得意なんスよ」
レガリアの感謝の言葉に、玲司がむず痒そうにはにかむ。
「ところで、戻って来たのはレガリアさんだけッスか?」
「いいや、みんな戻ってはいるんだけど、それぞれ当事者だからね……、多分外でお叱りを受けてる」
♢♢♢
武丸ビル・入り口前
「一体何がどうなったらこうなるのよ!!!」
深く鮮やかな緋色の瞳に、瞳と同じ色のロングヘアーを緩く二つに纏めた少女が、仁王立ちで腰に手を当て声を荒げる。その正面で、ファイ、アンリ、肇、フィーネの四人が正座の姿勢で頭を垂れている。
「整理するわね。まず、轟玲司の依頼を受けたファイが、あたしの送った顧客リストに居た貴方、神山さんに会いにいって、彼の助言でアンリがキャバクラに潜入した、これで合ってるわね?」
眉間に皺を寄せ額に手を当てながらこれまでの話を纏めるこの少女こそ、ファイに愛流の資料を送った緋田有羽その人である。
「ああ、それで合ってる」
「ああ、それで合ってる、じゃないわよ!」
表情を変えずに答えるファイの態度に、有羽は長く大きなため息を吐く。
「問題はここからよ!アンリは潜入に失敗しただけでなく街中で派手に戦闘をおっ始めて」
「楽しそうだったんで、つい」
「ファイは間抜けにも色仕掛けに失敗して愛…….フィーネさんを暴走させて」
「ほじくり返すな、恥ずかしい」
「神山さんは大人しく冥界に行こうとするフィーネさんを私情でこちらに引き留めて」
「僕の目的は始めからそれだ」
「挙句捜査対象だったはずのフィーネさんと契約を結んでしまったと?」
「皆さんには感謝しています」
反省の色のない4人を順番に見渡して、有羽は再び大きく息を吐き出す。
「全く……あたしが電話をしてからの数時間でよくもこういろんなことが起こるわね」
「まあ、ここまでトントン拍子に片がつくとは思わなかったな」
「全然、全く、トントン拍子ではないんだけどね」
一向に反省の態度を見せないファイの態度に、有羽はついに頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
「そもそも僕がお前から受けた依頼は行方不明者の救出だ。過程はどうあれちゃんとこなしたはずだが」
「ええ、それは感謝してるわ。感謝はしてるけどね。この状況どう父さんに説明すればいいのよ」
「簡単な話だろう」
困り果てた、と言った様子の有羽に、ファイは何事もないかのように続ける。
「愛流は死んだ、それで解決だ」
ウンウンと頷く正座の三人に対し、有羽だけが目を丸くする。
「事実、キャバ嬢としての愛流は死んだ。ここに居るのは肇の契約悪魔のフィーネだ」
「そう上手く通るはずがないでしょ。愛流の容姿は魔捜でも共有されてる。同じ顔を持つ悪魔の存在を父さんに隠し通せるとでも?」
「そうか……なら……」
ファイが一瞬地面に視線を落とし、すぐに有羽の顔を見上げる。
「やはり一度殺しておくか」
「なっ……」
有羽の背筋を冷たいものが通る。驚くほど冷淡な言葉。
「ま、それが一番安全か」
「このまま隠し通すよりは現実的だよね〜」
「私も、何もお咎めが無いのは気持ち悪いもの」
を、受けたわりにはお気楽ムードの三人。自身と他の者の間の温度差に有羽は一瞬思考が停止する。
「どうした、有羽?深刻そうな顔して」
ん〜、あたしがおかしいんだろうか?彼今「殺しておくか」って言ったわよね?何なの、死ぬってそんなにフランクな事だったっけ?それとも何、彼らの中の常識ではちょっとお仕置き程度のノリで気軽に人が死ぬのかしら?
「悪魔がこちらに来る方法は複数あってね」
ピクピクと眉を動かす有羽の後ろから、今しがたビルを出てきたレガリアが声をかける。
「そのくらいは知ってるわよ。……で?それとこれとに何の関係が?」
「彼女がとっているのはなかなかレアな方法でね、魔力で作った身体に精神だけを移すという方法で、人としての肉体を得ている」
レガリアの説明に、フィーネは不思議そうに首を傾げる。
「あら、レアなの?うちの一族では一番ポピュラーな方法なんだけれど」
「夢魔は悪魔の中でも特殊な一族だからね、魂を残したまま精神だけを抜き出すなんて芸当、君たち以外にはそう出来る者はいないよ」
ふぅん、とフィーネが鼻を鳴らす。そんな様子に有羽は眉間に刻まれたシワを一層深くする。
「つまりさ、此処にあるのはあくまで仮の肉体。肉体が死んでも魔界で眠っている彼女の本体が死ぬことはない」
「まあ、彼女の精神は強制的に魔界に転送されることになるがな」
困惑する有羽を見かねてレガリアとファイが捕捉する。
「あとは精神が抜け落ちたフィーネの肉体を遺体として魔捜に提出すれば良い。それで歌舞伎町を脅かした愛流という人間は死ぬ」
「カラクリはわかった。けどそれならば、あたしが来る前に彼女を殺して遺体だけを私に渡せばよかった。なんでそうしなかったの?」
「なんでだろうな……多分……」
ファイはそう言うと目を伏せ、少しだけ口角を上げる。
「お前には見ていて欲しかった、愛流という女のその後を」
有羽が再び大きく息を吐く。頭をワシワシと掻き、やれやれといった様子である。
「要監視対象、ということで受け取っておくわ。良いでしょう、責任は私が持ちます」
フッと小さく笑い、ファイは胸ポケットから手帳を取り出す。
「アンリ、あれを頼む」
「はいよ、jump」
呪文に応えアンリの手の中に収まるのは、ゼリー飲料の様なパックに入った赤黒い液体。
アンリに手渡されたそれを、ファイは片手で握りつぶしながら、眉を顰め不味そうな表情で体の中へと流し込む。愛流との戦闘に加え、ゲートの開閉により魔力の枯渇したファイの体内を、それは勢いよく駆け巡る。空になったパックを投げ捨て再び手帳に目線を落とすと、その中の一枚を切り離す。
「実際に死ぬわけではないが、愛流として生きた肉体はここで役目を終えることになる。言い残したことがあるなら言っておけ」
「そうね……じゃあ、肇」
声を掛けられ、肇が視線をフィーネに向ける。
「私を……、紗夜を、愛流を、好きになってくれてありがとう」
ファイの手の中の紙に青い光が集約する。
「約束、すぐに喚んでよね。じゃないとこっちから会いに来ちゃうんだから」
目を細め、白くきれいな歯を見せ笑うフィーネに向けてそれを掲げると、ファイは真っ直ぐな声で呟いた。
「Blake」
♢♢♢
数刻後、バー・sábado
「「「かんぱーい!」」」
静かな店内に賑やかな音頭が響く。
「ぷはぁ〜!一仕事終えた後の一杯は美味いねぇ!」
アンリが豪快にハイボールを飲み干す。カウンター席の後ろ、4人掛けのテーブル席に、アンリ、肇、玲司の3人が腰掛け、テーブルの上にはレガリアの用意した、やたらとお洒落な見た目のつまみが所狭しと並んでいる。
「棗はさっきも飲んでたろ、ピーチウーロン」
「あんなんジュースみたいなもんじゃん。それに、その後のなんやかんやで完全に覚めちゃってるしね〜」
そう言うと、一人カウンター席に腰掛けるレガリアに「おかわり〜!」と空いたグラスを手渡す。
「すみませんッス、俺までお邪魔しちゃって」
もらったグラスに口をつけながら、玲司が申し訳なさそうに言う。
「いいんだよ、結局最後まで付き合わせることになっちゃったからね」
追加のハイボールを作りながら、レガリアが優しげな笑みでそう返す。玲司の心臓が一瞬ドクリ、と跳ねる。緊迫した状況の中で忘れていた、イケメンの笑顔の破壊力を思い出す。
「にしても、変わったお酒ッスね、紅茶の匂いがするッス」
火照る顔面を誤魔化すように話題を変える。見た目は普通のハイボールだが、飲み込むと同時に鼻の奥を芳しい紅茶の香りが走り抜ける。紅茶系のリキュールの甘ったるい香りではない、もっと自然な、ウイスキーの甘い香りの中からほのかに立ち上る茶葉と柑橘の香り。玲司にははじめての体験だった。
「ああ、お酒自体は普通のブラックニッカなんだけどね、ほら」
レガリアがそう言って見せたのは、ティーバッグの沈んだ褐色の液体の入った瓶。
「ウイスキーに紅茶を漬け込んでるんだ。今出したのはアールグレイなんだけど、他のも試してみるかい?」
「あ!はいッス!是非!」
「じゃあ次はね、いちごとバニラの入ったブレンドなんだけど……あ、そうだ!」
ウキウキと瓶を開けていたレガリアが、何かを思い出したように後ろを振り返り冷蔵庫を開ける。取り出したのは、大きなイチゴの乗ったミルフィーユ。
「ウイスキーなんだけどね、紅茶を漬け込んだものはスイーツとの相性も抜群なんだ。特にこのブレンドはイチゴの香りが強いからきっと合うと思うよ」
恐縮そうに「あざッス」と玲司がミルフィーユの乗った小皿を受け取る。頂上のいちごにほんのりと霜がかかっている。冷凍して明日に取っておくつもりだったのだろう。玲司はほんの少しの申し訳なさを感じてしまう。
ミルフィーユは、見た目以上に上品でさっぱりとした甘さだった。
「お酒を飲んでることを忘れそうになって危険だけど、ガムシロップを入れるのもオススメだよ」
「あっ、じゃあそれもお願いするッス!」
押し付けられるままガムシロップのカップを受け取る。フルーティーなイチゴの香り。ガムシロップを流し込めば、うん、確かにこれは危険である。元が度数40%近いブラックニッカであることを忘れるほどに、甘く飲みやすい飲み物と化す。
続けてミルフィーユを口に運ぶ。口内に残ったウイスキーの甘みが控えめな甘さのミルフィーユと溶け合い、なんとも言えない味わいを演出する。なるほど、これは……。深夜には控えるべきスイーツも、度数の高いウイスキーも、流れるように胃の中へと入っていく。これはヤバい食べ方を知ってしまったかもしれない。
「ところでさぁ」
話を切り出したのはアンリだ。
「早く喚んであげなよ、フィーネ」
振られた肇がじとりとした視線をアンリに向ける。
「喚べる魔力が残ってない。夕方からずっとフル回転だったんだ。察しろ」
「ストックならあるよ、ここに」
アンリが取り出したのは赤黒い液体の入ったパック。先程ファイが飲み干していたものと同じものだ。
「やだよ、生理的に無理」
ゲェー、と肇が表情を歪める。その顔がよっぽど面白かったらしく、アンリはケタケタと軽快な笑い声をあげている。
穏やかである。ほんとうに、穏やかだ。ああ、終わったんだと、小さく息を漏らした瞬間、ドッと眠気が襲ってきた。そういえば、と玲司は昨夜このバーを訪れてから一睡もしていなかったことを思い出す。左腕の時計を見る。午前2時を回っている。ほとんど丸一日だ、気を張っていて気が付かなかっただけで、体の方は限界だったらしい。こくり、と一瞬意識が闇に落ちる。
「お疲れかな、こんなところまで付き合わせてごめんね」
遠くでレガリアの優しい声がする。流し込むように飲んだウイスキーによる酔いと、湿度が高く暖かい気温の室内環境も相まって、引きずり込まれるような眠気が襲う。このまま眠ったら気持ちが良いんだろうな、なんて考えが過ぎった瞬間、肩に触れたのは柔らかい感触。毛足の長い明るい茶色のブランケットだった。
「朝になったら起こしてあげるから。おやすみ」
おやすみなさい、と言ったつもりだが声帯が震える感覚は無い。多分声には出ていなかった。優しく語りかけるレガリアの声を遠くに聞きながら、玲司はバーカウンターに突っ伏して眠りに落ちた。
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