19
桜庭が会議室の扉を開けて入ったとき、眞木はぼうっと机の端を見つめて座っていた。見張りの刑事に退室を促し、向かい合う椅子に座る。
「さて、もう少し話を聞かせてもらえるかな」
「あの……。桜庭さん、ですよね」
「そうだ」
「僕たちはこれからどうなるんでしょうか」
さすがに疲れたのだろう、眞木は消え入りそうな声で言った。桜庭はそれには答えず、机の上に両手を置いて組んだ。
「まほろば公園での誘拐事件、その実行犯の身元が割れた。君の家でミユキと名乗っていた女性だ。本名は入江美雪」
「……」
「見当がついていたんじゃないか?」
「あのとき人ごみの中で転びそうになった僕を、ミユキは手を伸ばして支えてくれました。あの子の手はとても温かくて信頼できます。ミユキがその手で幼い子を誘拐したなんて……。たとえそれが事実でも信じたくありません」
眞木は悲痛に顔を歪ませた。桜庭はじっとその表情を観察し、少し口調を和らげた。
「あのとき君が聞いたこと、感じたこと、憶えていることを話してくれるかな」
「僕は椅子に座ってミユキやレイジと話をしていました。留守番をしているジュンのお土産はどれがいいかとか、そんな他愛もない話です。そうしたら突然ミユキが走り出して、それからのことはわかりません」
「君は知らないと思うが、このとき現場には入江美雪の実の父親がいた。すでに罪を償っているが、十四年前に次女の美咲を低体温症で死亡させている……」
桜庭は言葉を切った。眞木の表情は変わらず、相槌も打たない。ぼうっと前を見つめたまま黙っている。
「まさか知っていたのか?」
つい声を荒げてしまい、眞木を怯えさせることになった。
「僕はその……。目が見えない代わり、耳で多くの情報を得ようとするから……」
しどろもどろの眞木に、桜庭は努めて優しく言った。
「君は目の代わりに耳で周りの状況を知ろうとする。このときは何を聞いたんだ?」
「……地元の思い出話です。毎年十二月になると家族でイルミネーションのイベントに参加したこと、ライトに照らされた並木を眺めているとあっという間に時間が過ぎたこと……。以前ミユキから同じ話を聞いたことがありました。いつもは寝ている時間に外出するのは特別な気持ちがしたと」
「それを彼女に伝えたんだな?」
「僕がその人の話に耳を傾けているのに気付いたんだと思います。前に話したことを憶えていてくれたんだねと笑っていましたが、声は寂しそうでした。それを聞いて、また余計なことを言ってしまったと後悔しました」
声が震え、ポロッと涙がこぼれた。眞木は自分でも驚いたように顔を拭い、落ち着こうと深呼吸をした。
「僕には生まれたときから親がいて、それを当たり前だと思っていました。でも、あの子たちにはそうじゃない、顔も声も思い出せないぐらい遠い存在なんです。憎悪の対象になることもありますが、心の中では会いたいと願っています。どれだけ長く一緒にいても、血の繋がった家族に勝るものはありません」
これまで眞木はどのような思いで若者と接していたのだろう。三十五歳という年齢からして父親は若すぎる。だがそれに準ずる相手として、ミユキやレイジから信頼を寄せられていたことは間違いない。
桜庭は個人的な思いを押し殺し、この場で伝えるべきことを言った。
「捜査本部はあの家の若者を四人まで特定した。嶋武治、馬場怜司、入江美雪、緒方佳純。あともうひとり若者がいることを掴んでいるが、素性はわかっていない」
「……」
「どうする。君の口から言うか、それとも警察が特定するのを待つか」
試すようなことはしたくなかったが、桜庭はそう言って口を閉じた。すると、眞木はその発言が信じられないと言いたげな顔をした。
「特定できるんですか? 彼がどこの誰なのか、これまで何を背負って生きてきたのか、警察にわかるなら教えてください。知りたいんです。僕だって……」
それ以上は言えなかった。二人がいる会議室にノックの音が響いた。桜庭は立ち上がり、扉のノブを捻って開けた。
「市ノ瀬か。どうした?」
「聴取中にすみません。盛岡さんが送ってくれた最新の資料です。取り調べに役立つかもしれません」
「盛岡が?」
顔馴染みの鑑識課員の名を聞き、桜庭の興味が湧いた。パソコンを抱えた後輩を招じ入れ、自分は壁際に立つ。市ノ瀬は桜庭に代わって眞木の正面の席に座った。
「眞木祐矢さんですね。俺は市ノ瀬といいます。あなたの家の素性のわからない若者について、最新の情報をお伝えします」
市ノ瀬は机にパソコンを置き、画面を開いた。眞木には見えないため口頭で説明する。
「ここに表示しているのはあなたの自宅で採取された指紋です。それからこっちは、飯塚夏苗という女性が亡くなった現場に残された指紋です。どちらもデータベースにはありませんでしたが、この二つの指紋は同一人物のものです」
桜庭は腕組みをして画面を覗き込んだ。飯塚家の現場にあった指紋は、眞木の家で採取された指紋と同じ人物のものだった。つまり眞木が言う「彼」は飯塚夏苗の不審死に何らかの形で関わっている。もしかしたら千尋の死にも……。
「その飯塚さんという女性は殺されたんですか?」
やがて眞木が重い口を開いた。
「自宅で亡くなっているのが発見されました。事故か事件かについては捜査中です。ただ、現場近くでブルーのパーカーを着た若者が目撃されています。心当たりはありませんか?」
「……」
「もうひとつお伝えします。日付が変わるころ、飯塚夏苗の自宅からそう遠くない歩道橋で別の女性が亡くなっています。あなたが守ろうとしているその若者は、二つの事件の容疑者といっていいかもしれません」
「彼に人を傷付けるような真似ができるとは思えません。ですが、もし何か事情があってそうせずにいられなかったのなら正直に名乗り出るべきです。僕が何か隠しているとお思いなのでしょうが、僕は何も知りません。本当です」
口調は落ち着いているが、膝に置いた拳は固く握りしめられている。桜庭はなおも食い下がろうとする市ノ瀬の肩を叩き、部屋の外に連れ出した。
「まだ任意同行の段階だ。これ以上追及したら人権問題と言われかねない」
閉まった扉を顎でしゃくると、市ノ瀬は不満げに唸った。
「彼が守ろうとしている若者は二件の不審死の重要参考人です。桜庭さんだって奥さんの死の真相を知りたいでしょう」
「そりゃ知りたいがな、ああいうタイプは頭ごなしに問いつめても口を閉ざすだけだ。まずは世間話などして心を開かせる。ここは任せておけ」
「ちゃんと情報を聞き出してくださいよ。居場所がわかったら急行しますから呼んでください」
先輩の指示には逆らえず、市ノ瀬はしぶしぶパソコンを抱えて立ち去った。桜庭はやれやれと思いながら部屋に戻り、うつむく眞木の正面に座った。そして何か言おうと口を開きかけたが、眞木のほうが早かった。
「お願いです。必ず真実を明らかにしてください。誰かが都合よく書き換えた結末は真実ではありません。自分が罰を受ける覚悟はできています。だからどうか二人を……」
眞木は一瞬言い淀んだが、やがておもいきったように続けた。
「ミユキと、リクを……助けてください。二人とも僕の大切な家族です。二人を見つけるために、僕にできることがあれば協力します」
「いずれはそうなるかもしれない。だがまだその時じゃない。くれぐれも面倒に巻き込まないようにと念を押された」
「……誰に?」
「だから、君の厄介な保護者にだよ」
パイプ椅子の背にもたれ、桜庭はやや困ったような笑みを浮かべた。
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