『いもうと』から『おにいちゃん』へ
年に一度、が意味を持つのはいつからだろう。
友達の一人は今年こそがその節目の年らしいし、別の友達なんかはもうずっと前から、今日という日は特別なものであるらしい。
今日、2月14日、つまりチョコレート会社の陰謀ってやつ。お姉ちゃんの友達がそう言っていた。
学校でたくさんの色を見てきた。日中のこと、それは綺麗な青、少し不格好なピンク、そしてほんのりとした赤。
想いを包む色とりどりは、全部全部赤く染まっていった。
中学校の校舎を後にするまでにどれだけ見ただろうか。いろんな色には内緒のものも多かった。赤だけは内緒にならない。もちろん、内緒のまんまになんてものもあるんだろうけど。
私はいつ、あんなきらきらした色を渡すのだろうか。あんなに美しい色に染まるのだろうか。
キッチンに姉と一緒に並んでチョコを細かく刻む。
今年はシンプルに生チョコ。去年の失敗を繰り返すわけにはいかない。
「あま~い」
隣から聞こえた声に肘打ちを返す。私の分から摘まみ食いする姉なんて、ちょっと呻いているくらいで丁度いい。
「年々、妹の対応が容赦なくなっていく」
「当たり前でしょ」
いつまでも家から出て行かない姉に、私もお母さんも呆れているんだから。お父さんは凄く喜んでるけど、それでも内心は喜びばかりではないだろう。
私の望みも虚しく会社勤めになった姉は今年、社会人四年目だ。
生クリームと一緒にかき混ぜるチョコを、渡す相手なんて十年も同じなのに、こうして私の相手なんかしてこの家の一室に寝起きしている。
十年も一緒。
私は、七年目。
渡す相手は一緒。
渡すのは生チョコだけど、それだけじゃ折角の準備に対して作業が少なすぎる。
来年のためにお試しでいろいろと作ってみる。
ブラウニーにしてみたり、形を凝ってみたり。
「よし、じゃあ冷蔵庫に入れるから……先に軽く片付け始めてて」
姉の分担に従って、私は作業後の道具を片付ける。冷蔵庫の前に二人も陣取っても仕方ない。
器具は基本的に流しに。キッチンペーパーだとかは所定の位置に。収めながら姉の背中に雑談を投げかける。
「四日後、だっけ」
「んー。そうだよー。……ここちょっと空けて、っと」
四日後、である。
それはチョコを渡せる日で、『おにいちゃん』が帰ってくる日。地元に、って意味でね。
「三日間くらい休みとれるって言ってたし、どこか行きたいとことかある? ……あ、部活あるか」
「あるけど、休むし」
「うーん、まぁ、私は別にいいけど……」
仕事が忙しすぎる『おにいちゃん』との時間は、私が最優先で確保する大事な時間だ。申し訳ないけど部活より優先させてもらっている。
それを『おにいちゃん』はやんわり窘めてくるけど……じゃあもっといっぱいお休み取ってくれればいいじゃん、って思う。
「『おにいちゃん』離れが進みませんなー」
そう言ってお姉ちゃんは面白そうに笑っている。後ろを向いていたって、へにゃへにゃした笑みを浮かべているのは肩の震え方でわかるんだから。
なのに全く、悪い気がしない。揶揄われて笑われることも、『おにいちゃん』離れが出来ていないってことも。
離れるつもりがない。
もし私が『おにいちゃん』から離れるとしたら、それは行く道がどちらかに定まった時。
「お姉ちゃんこそ……そろそろちゃんとしないとだからね」
「……うん。……わかってる」
十年一緒。
同じ相手に。
そういう
お姉ちゃんを見本にするなら、あと二年でってことになるけれど、私にはさっぱりそんな未来は思い描けない。
私が、お父さんや『おにいちゃん』以外の男の人と並んで歩く。手を繋ぐ。抱き締められる。
うん。やっぱり全然、イメージ出来ない。
「そういうあんたは、そろそろいないの? 好きな、とはいかなくても、気になる男の子とか」
「いないよぉ。仲良い男子は何人かいるけど……みんな子供だし。向こうだってそんな気ないだろうしね」
そう言うと姉はこちらを向いて真顔を晒した。
「……本気で言ってる?」
「えぇ? 本気も本気だよ。なんかなぁ、やっぱり男の人って……いつも頼りになって、優しくって、こう……ぎゅーって抱き締めてくるみたいな……包容力? みたいなのがある人じゃないとねぇ」
私からの要求はそんな感じ。
「それに私モテないし。お姉ちゃんみたいに綺麗じゃないから……男友達と変わんない扱いなんじゃないかなぁ。や、別にそれでいいんだけどね。やりやすいし」
向こうからはたぶん、そんな感じ。
「……ごめんよ。でも私のせいじゃないから」
「なにが?」
「可哀想な男子中学生君たちに」
嚙み合ってなくない? という気がするけど、それを訊く前に姉が時計を見て言葉を続けた。
「そろそろ出る時間じゃない? あとはやっとくから行っていいよ」
17時から遊ぶ約束をしている。カラオケ。珍しくお母さんも何も言わずに許可してくれた、少し遅い時間の遊び。
小学校より前から仲良くしているグループで、そう、例えば男とか女とかそういうのが全然関係ない気の置けない友人たちである。
「ありがとお姉ちゃん。行ってくるね」
「ちょ……っと待って。ほらこれ、持っていきなさい」
手渡されたのは余りのチョコだった。余りと言っても板チョコの切れ端とかじゃなくって、個包装の小さなチョコレートだ。
私はそれを受け取って、人数分には少し足りなかったから追加で自分でテーブルから取って、鞄に入れる。お姉ちゃんは「ふぅ」なんてため息ついていた。
いい、って言うのに玄関まで見送りに来た姉に繰り返す。
「行ってくるね、お姉ちゃん!」
「うん。行ってらっしゃい、芽衣」
家を出て、扉が閉まる前に聞こえた気がした。
ハッピーバレンタイン。
――――――
10 years later
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