第2話 血の獣、エーティエ

鉄帝国が級古き王の暴政のもと侵攻した地にヴォルフスムント、狼の口と呼ばれる谷があった。


誰も訪れることのない極寒の地であれど、その地に野営を張れば、他国への侵略がしやすくなると王は考えたのだろう。

だがその地こそ、人間とそうでないものたちの境目である要衝の地であったのだ。

古き聖像の数々を兵たちは破壊し、目的の通りに野営を張り豪雪に耐えていた。ある兵士が池で立小便をした。すると豪雪の中から少女が歩いてきた。


「あなた様は、誠に失礼な行為をしておりますことを承知でしょうか…?」

少女は醒めた目で兵士に話しかけた。兵士は答える。

「何だぁ、いい酒で酔っ払えているときに…お前はぁ、あれか、辺境の地で逞しく生きる慰安婦か?」

酒に酔った兵士は粗暴に少女の頬をつねた。その刹那極寒の地の中で兵士は右手に猛烈な熱さを感じた。千切れた右手は少女が咥えていた。


「この池は、我が血の主、大公ロンバルディア様の産湯となった池。私たちは大公様のご意思で譲歩に譲歩を重ねこの谷の奥で静かに暮らしていたのです。それをあなた方が蹂躙するかの如く祖霊の聖像を破壊した。教会を焼かれた者の気持ちはわかるでしょうに、何と悍ましい…」


少女はそう言い残すと影のように朧気になって霧散した。野営のテントからまたたくまに叫び声が谷に響き始めた。

兵士たちは一人の少女の闇夜の行いに為す術もなく、一個師団は全滅した。

いや、一人、兵士長を生かしておいた。

「あなた方の砂上の楼閣に戻り伝えなさい。私の名はエーティエ。誇り高き一族の末娘のエーティエ。アルフレッド家の最も臆病で病弱な娘エーティエ」


兵士長は伝言役に生かされたことを悟ると膝を折り頭を垂れた。

「わ、我々はあなたがたの境界を穢したようです…こ、これより谷の奥から何がやってくるか…戦にだけ生涯を捧げた私にはわかりえません。そしてあなた様の意を汲む饒舌な言も備えておりません。私は帰国の即座に首が飛びますゆえに、最後に警句を賜りたくっ、賜りたく存じます…!」

兵士長は知る限りの丁寧な言葉でエーティエに問うた。


「これより夜は眠るためのものではなくなります。あなた方は老人から子どもまで悉く我々の糧となります。予てより夜を恐れなさい。慈悲も休息も与えません。決して」


エーティエは崩れた聖像の破片を大事そうに手に取りそれを砕いた。

雪のなかに姿を消す。それ以降、主だった凄惨な事件にはこのアルフレッド家の娘たちが度々姿を現すようになるのであった。


星歴755年、まだ鉄血戦記のはじまる前の一夜の出来事だった。

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