第7話

 夜、カジュアルフレンチのお店で待ち合わせ。入り口の前に立ててあるメニューボードにはバレンタインディナーのコースのポスターが飾ってある。派手なピンクや赤とハートで飾られ、値段も大きく書いてあって、なんだかちょっと気遣いが足りない感じ。

 待ち合わせの時間よりも大分早く到着したので、先に入って予約の席を確認した。



 周吾さんは、約束の時間に少し遅れてきた。


「遅くなってごめんね!」

と、スーツ姿の周吾さんが、拝むような手振りで頭を下げる。


「大丈夫! 気にしないで! コース料理だから特に選ぶものもないしね」

ウェイターが来て、周吾さんが席についたのを見計らうように、二人の目の前にある長細いグラスにシャンパンが注がれた。


「じゃあ、乾杯しましょ?」


グラスを手に乾杯の仕草をして、シャンパンを口につけていると、間髪入れずに前菜も運ばれてきた。



 たわいないお喋りをしつつも、今夜はなんだか周吾さんが心の底から楽しんでないようにも見える。顔は笑っているけれど、なんとなく覇気がないというか、ぼんやりしているというか……。


「……なんだか、楽しくないみたい」

もう残るはデザートとコーヒーというところまでコースが進んだところで、ついに不安げにこぼした。周吾さんはハッとして、慌ててフォローに入る。


「いや、そんなことない! すっごく楽しかったし、素敵なお店だし、食事もおいしかったよ」


「本当に? 私、何か駄目だったのかと思ったわ」


「違うよ。ちょっと考え事をしてて……

 いや、デート中にすることじゃなかったよな」


「ねぇ、本当に私が悪くないのなら……。今日、周吾さんのお部屋に泊まってってもいい?」


彼はその言葉を聞くと、何か思い詰めたように眉根を寄せて押し黙ったあと、


「……ごめん、駄目だ……」

と、絞り出すように言った。


「嫌……ならしょうがないね。ごめんね。

 ──他に、好きな人でも……できた?」

声が泣きそうに震えている。


「違う! そうじゃない! そうじゃないんだ!」

周吾さんは中腰に立ち上がって必死の形相で言い、そして、深いため息をついてから、言葉を継いだ。


「黙っていたけど、実は、最近どうにも気味の悪い事が続いていて……」


「気味の悪い事?」


「家に帰ったらキッチンを使った形跡があって、手作りっぽいおかずが冷蔵庫に入っていたり、散らかってたはずの部屋が綺麗になってたり、洗濯が終わってたり……」


「え……何……それ……」


「今まで、母さんが勝手に来てやってるんだと、自分を納得させてたんだ。でも電話で聞いてみたら、違った。

 それにさっきも、着替えるつもりで一度家に戻ったら、テーブルの上に覚えのないチョコレートケーキがあって……」


「念のために一応聞くけど、他に女がいるんじゃないわよね? もしくは元カノ、とか」


「もし浮気なら、こんな事、彼女に話すわけないだろ⁉︎ 合鍵渡したのも、母さんだけだ」


「じゃあ……ストーカー……?」


「まさか自分の身にって思うけど……そう、かもしれない……。

 だから、もしも美樹ちゃんが危険な目にあったらと思うと、俺の部屋には来てほしくないんだ。俺自身もあのアパートには帰りたくないけど、美樹ちゃんは実家住まいだし、ホテル住まいする金もないし、他に行くアテもないから。鍵の交換は慌てて手配したけど、引っ越すまでは辛抱しないと……」


「そんな……。警察には?」


「確信が持てなかったから、まだ言ってないけど……。もう、気味悪すぎて……どうにかなりそうだよ……」


周吾さんは頭を抱えて、消え入りそうな、悲鳴にも似た声をあげ、それがイヤホン越しに聞こえてくる。



 ──ああ、嬉しい。私のことを、こんなにも考えてくれていた。怯えるあなたも、なんて素敵なんだろう。


 胸がキュンとして、ドキドキして、この幸せを噛み締めながら、シャンパンに口をつける。

 んー、でも、このシャンパンはあの女が選んだものだから、イマイチね。お店の趣味も悪いし。私なら、もっと素敵なお店、選ぶんだけどなぁ。


 でもいいの。私は、あなたの隣にはいれなくても、食事の時に同じテーブルにつけなくても、あなたのそばにいるだけで幸せだから。



 end

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合鍵にキスをして 冲田 @okida

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