(十二)十三歳の春

  春の、昼下がりの暖かい日差しが、ポプラの巨木を照らしていた。

  風が少し肌寒く、丸い襟のチェックのシャツに、深緑のカーディガンを羽織ったトモコはぶるりと震えた。膝を抱えて、ポプラの木の根元に腰を下ろして、カーディガンの裾を合わせた。膝下の茶色のスカートは、学校が許す範囲での制服のデザインで、手には学術書が握られている。


 トモコは、新学期を前に憂鬱な気持ちになった。初等部六年生の時に成績を落としてから、トモコは冬期からCクラス、オフター・ゲット生のクラスに入れられてしまったのだ。

  そこから、彼女の成績は伸び悩んでいた。それまでは、なんとかAクラスの中盤を維持できていたのに、オフター・ゲットクラスに入れられた頃から、勉学どころか運動能力も向上しない。

 おまけに、生活態度の面では、遅刻や忘れ物などの小さなミスが増え始め、トモコはあっという間に、生徒達から仲間外れにされてしまった。

 Cクラスは、この学校では落ちこぼれを意味した。つまり、オフター・ゲット生の意味は『失敗作』だ。この学院では、全院生が優秀であって当たり前。もし、この状態が次の年までに続くのなら…。

  智子の目の前に、『恐怖のオフター・ゲット処分』の言葉がちらつく。つまり、この学院を追放されてしまうということだ..。


「どうか、今年はBクラスに入れますように..。」

 

 トモコは祈るように学術書を自分の額に当てて目を瞑った。

 芝生を踏みしめる音と、草がカサカサと鳴る音が聞こえ、トモコは顔を上げた。彼女の姿が見えた。ヒョロリと少し背が高くて、短い断髪が顎先で揺れていた。


 「よっ、マルグリット..。」

 「よっ、ミオゾティス。」

  ミオゾティス__正式名称はK-0205カズハであった。

トモコの正式名称は、T-0363トモコ。呼び名はマルグリットだ。

 

 「何してたの?」

 彼女はトモコの座るベンチの側で、芝生の上にあぐらをかいて座った。

 「学術書。明日編入テストだから勉強しているの。」

  トモコはため息を吐いた。

 「やっぱり、アンタって真面目だね。ワタシすっかり忘れ去っていたよ..。」

  膝に左手を突くと、カズハはトモコの顔を見上げた。

 「そりゃあ、貴女は勉強できるじゃない。テストも成績も一点だって欠けた試しが無い。」

「でも、オフターゲット行き。」

  カズハは両手を上げて、どうしようも無い、とでも言いたげな仕草をした。

 「この学校じゃあ、従順な生徒しか必要とされない。アンタはともかく、ワタシは問題児だからね。」

 カズハは皮肉気にぼやいた。無理もない。この学院では、自由と呼ばれるものが殆ど無い。学院の厳しい規則に従うのはもちろんの事、私生活での自由、例えば休みの日にどう過ごすか、何を話すか、趣味を持つ事でさえも制限されていた。

 今こうして話しているのも、カズハが監視員の動向を把握しているからこそなせる技で、本来なら学院に対する反逆や批判的発言は許されていない。

 もし聞かれでもしたら、処罰の対象だろう。

 「でも、知能とか、運動、美術、音楽は全てパーフェクト。だから更生処分書はもらわないはずよ。生活態度の評価だって、反抗しているのと、単純なのろまでは訳が違うわ..。」


 のろま__つまり、トモコのことである。クラスの人間に陰口を叩かれ始めたのは、Aクラスの授業に遅れが出始めた頃だった。

 その頃から、トモコはアイツらに『のろま』と、そう呼ばれていたのだ。

 カズハは、自分の人生で人に迷惑をかけない範囲であれば、どんな生き方をしようと個人の勝手だと常日頃主張するが、しかし当時のトモコは悩んでいた。

 本来なら普通の生徒は、全てに置いて優秀だ。そして、教師達もそれが当然だと思っていた…。

 「貴方たちの未来は決まっています。この世界文明の未来を支える事を目的として、貴方がたは産み出されました。ですから、貴方がたはパーフェクトでなくてはなりません。それが、貴方がたに課せられた、使命なのです。」

 週に一度、必ず月曜に開かれる集会で、マリコ先生が全院生に話すスピーチでは、何度もこの言葉が繰り返された。彼女の、温かみのある柔らかい声に紡がれた言葉は、冷たい氷のような響きがあった。


 もし、その使命が全うできないと判断されれば、その院生は『オフター・ゲット更生処分書』が通知される。オリーブ色のトラックに乗せられてオフター・ゲット改善施設に送られてしまうのだ。

  一度だけ、実際に改善施設に送られていく少年少女たちを見たことがあった。

 院生たちが寝静まる頃、黒いコートとマフラー、一個のボストンバッグを手に抱えて、三人の子供達がオリーブ色のトラックに乗る列に並び、一人ずつ乗り込む姿は、夢にまで出てきそうなほど恐ろしい。

 オフター・ゲット(落ちこぼれ)を改善する施設に行くと聞かされているが、その施設がどこにあるかも分からない。

 ましてや、一度連れられた院生達は、二度と戻って来る事は無かった。

 先生方も、オフター・ゲット行きになった生徒たちのの話は、絶対に話題にする事はない。院生達も、Cクラスの子達の悪口やいじめは面白がるが、オフター・ゲット処分にされた子供達の話をするのは、意識的に避けていた。

  殆どの院生は、オフター・ゲット処分に対して、底知れぬ恐怖を抱いていた…。

 「オフター・ゲットは貴女じゃなくて私の方よ。どんなに反抗的の態度を取っていても、要は優秀な生徒であれば重宝される。その人の人間性なんて、お構いなし。そう言ったのはミオゾティス、貴女よ。」

 しばらくの間、トモコ達の間で沈黙が流れた。春の風がポプラの葉をサラサラと揺らした。


 「ねぇ、あの事聞いた?」

 トモコはおもむろにカズハに尋ねた。

 「…十三歳の新学期に、院生を集めて毎年必ず集会を開く事でしょう。」

 カズハ__ミオゾティスは、何が?とは聞かなかった。

 十三歳を過ぎた先輩たち院生は、この事を口外することを許されていない。何処に居ても教師達が見張っているし、誰も進んで話したがらないのだ。

 一度だけ、同じ初等部六年生の女生徒__アンナが、中等部一年の女子から聞き出そうとしたらが、「その時になったら分かるわ…。」と、答えを濁されてしまったと噂で聞いた。

 「なんの話だろう..。」

 「…私達を創り出した理由とか…。」

 

 「どういうこと?」

 トモコは眉を顰めた。彼女の言った言葉が、いまいち分からず、カズハの理知的な横顔を見詰める。

 

 「私たちは、普通とはちがう。」

 「Cクラスに入れられているって事?」

 「そうじゃなくて、外の世界に生きる子供達と比べて、普通じゃないって事。殆どの生徒は外に出た事もないし、きっと禁書の物語なんて読んだことも無いから、普通の子の人生を知らない。だから、気づかないだけ…。でも、小説を読めば分かる…私たちは、普通の子とは違う。」

 

 トモコは、ハリー・ポッターに出てくる登場人物を思い浮かべた。ハリーは両親を早くに亡くして、叔母夫妻に引き取られた。ロン・ウィーズリーは、兄弟が沢山いて、全員が赤毛でパパとママは家庭的で優しい。

  ハーマイオニーは魔法使いの生まれじゃないけれど、突然変異で魔法が使える。彼女にも確か、歯医者を営む両親が居た。

 

 「つまり、私達には親と言える人が居ないってこと?」

 「それだけじゃなくて、家族もいない。親も家族の概念も、全部小説を読んでから知ったわ。読書が禁止されているのも、そういう理由かも知れない。私達に外の子供の普通を知って欲しくないからかも..。だって、普通の子達は研究所で生まれたりしない。」

「…でも、一年生の時の道徳の授業で、大人は子供達の将来のことを思って、優秀な能力を子供にプレゼントするって習ったじゃない?私達はその大事なプロセスの一つだって…。だから、私たちは素晴らしい存在だって…。」

 だから、外の子達と普通じゃないのは当然ではないのか?と、トモコは首を傾げた。でも、カズハは頷かずに、何かをじっと考え込んでいた。

 顎に手を当てるのは、彼女が考えている時の癖だ..。まるで、何か大切なことを見極めようとしている様に見えた..。

  

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