(十一)最後の漫画

 智子は突然の出来事に頭が混乱した。我に帰ると、智子は急いで柚子希に連絡を取り、彼女のアパートまで戻った。

 借りた本は、一まず柚子希の家へと置いて、荷造りを済ませると、彼女のアパートを出て新宿のバスターミナルへと向かった。

 バスだと、静岡まで三時間は掛かるが、交通費が浮いて助かる。 智子は、お昼ごろに出る特急バスに乗り込むと、そのまま静岡を目指した。

 山の木々が葉を落とし、ちらちらと雪が舞い始めた。あたりの景色は灰色に包まれ、色の無い世界が訪れようとしていた。

 (色の無い世界…何処かで聞いたことなあるセリフだ..。)

  智子はふと、車窓の冬景色を見つめながら、心に浮かんだ言葉を考え込んでいた。

 顔を上げると、バスの電光掲示板が目に止まった。 気候のニュースが流れていた。今年は、何百年に一度の強烈な寒波が襲う。日本全国のほとんどが大雪に見舞われる危険性があると書かれていた。

 (そう言えば、しばらくニュースを見ていなかったな..。静岡は大丈夫だと思うけど..。)

 智子は、ふう..とため息を吐いて、窓の外を眺めていた…。


        *


  自宅前の玄関まで辿り着くと、まず真っ先にポストの中を見た。

 茶色の封筒が、中に入っていた…。

 父はまだ仕事から帰っておらず、家の中は誰も居なかった。智子は、冊子が入っていそうな分厚い封筒を右手に抱え、左手で鍵を開けると家の中に入った。

 荷物をぞんざいにソファーの上にへと投げると、すぐに封筒の封を開けた。

 差出人は、『鈴代 和葉』だった。茶封筒の中身には、一通の白い封筒に入った手紙と、分厚いリングノートが姿を現した。

 智子は、手紙を見る前に、B5サイズのノートを開いた。ノートの内容は漫画だった…。

  最初から二ページ目の、物語が始まる前のページを開くと、用紙一杯に絵が描かれていた。

 智子は、描かれている建物の絵に、ハッと息を呑んで、その建物を喰い入るように見詰めた..。


 緑の葉が生い茂ったポプラやカエデ、杉などの木々の森の中に、大きく聳え立つ巨大な赤レンガの校舎。側には美しい彫刻の噴水があるが、水を止められて干からびた様になっている。ベンチが森の中の開けた芝生に幾つか並んで、木綿のワンピースに深緑のカーディガンを着た三つ編み頭の少女と、丸襟のブラウスと茶色のセーターを着た少女が、二人並んで座っている。

 その場所は中庭になっていて、バラのアーチとキングサリの花のアーチが見え、石畳の小道がある。

 回廊には、同じような服を着た少年少女が、本の様なものを持って通り過ぎる。

 ベンチには、木漏れ日が差し込んで、二人の少女を照らしていた。

 

 智子は、なぜかこの絵を見て、懐かしさが込み上げていた。誰かに抱き締めれれているみたいな、そんな気持ちがした..。

 気が付いたら、頬につぅ、と涙が伝った。全く見覚えの無い景色だったが、まるで生まれ故郷の写真を見せれれたような、そして二度とこの景色は見られ無いのだと、身を切られるような寂しさを感じた..。

 どうして、二度とみられないのだと思ったのだろうか?


  智子は、漫画のノートをテーブルに置くと、白い封筒の封を切った。宛先は智子宛だった..。

 文字は、パソコンでタイピングしたものを印刷していて、活字が読みやすい大きさで、丁寧に並んでいた。

 言葉使いから、和葉の人柄が読み取れた。この書き方は、やはり前の和葉が書いたものでは無い。別人のものだった…。

 

 

    鈴代 智子へ


 今、貴方がこの手紙を読んでいるって事は、智子に、まだ真実を伝えられて無いって事だよね。

 

 もう、分かってると思うけど、智子と私は本物の私たちじゃ無いんだ。

 私はその真実を知った。夏木という男と出会って、失っていた記憶を取り戻す事が出来た。

 残念ながら、私は、鈴代和葉じゃない。私は、とある身勝手な人間に、別の誰かの記憶を植え付けれていたんだ。

  

  私と、顔も体もよく似た和葉の記憶をね。

  でも、私は今の自分を大切にしたまま、鈴代和葉としての人生を歩むことにしたよ。そのためにも、貴方にはこの漫画ノートを読んで欲しい。

 智子、覚えてる?智子と私が仲良くて、私たちが本当の私達だった時、貴方をモデルに漫画を描きたいと約束したの..。

 この漫画は、私は私のままで生きていくと誓った、決意表明よ。だから、貴方には読んでもらいたい。

 これは、貴方を題材にした、貴方の物語。

  

  いつか、本当の自分を取り戻せるように…。

  

                  親友、ミオゾティスより。



 智子は手紙から顔を上げると、一度深呼吸をした。

 気持ちを鎮める様に顔を上げると、窓の外から見えた景色に驚いた..。

 智子が家へと帰ってからほんの数分後に、天気が悪化して雪が降ってきたのだ..。灰色の重い空から、白い粒が降りてきた。

 

 智子はすぐさまテレビを点けると、地元のニュース番組にチャンネルを合わせた。

 静岡に大雪注意報が出ていた。静岡だけでは無い。日本列島各地で、大寒波が襲い、大雪に見舞われるだろうと、気象予報士のスーツを着た男が解説した。

  静岡県は、市内を含む駿河湾に面する沿岸部では、比較的温暖だ。雪が降るなど珍しい事だ..。

 『やはり、ここ最近の異常気象が原因でしょう。予報では一月から大雪の予定でしたが、早まりましたね..。』

 『去年は暖冬でしたからねぇ。油断せずに、防寒を徹底して外出して下さい。』

 

  ニュースキャスターと気象予報士が、のんびりとした口調で話しているのがテレビから流れてきた。

 智子は、迷わずスマートフォンを手に握ると、柚子希に電話を掛けた。三回コールしたが、留守電になって繋がらない。

 「もしもし、柚子ちゃん?私..。柚子希と、聖山さんにも見てもらわないとならないものがあるの..。雪のことは心配だけれど、天気が安定したら、静岡に来てほしい。和葉は..自殺じゃなかったんだよ!生きようとしてたんだ!」


 「それを伝えたいから、電話して..。」


 智子は、伝言をスマホに入れてから、テーブルに置いた漫画を見下ろした。知らない方が良かった事実が、ここには載っているかもしない。

 でも、それでも構わない。智子は、自分が何者で、どういう経緯で産まれてきたのかを知りたいと強く願った。

  高鳴る心臓を抑えて、智子はノートを手に取ると、ページを一枚捲った..。

 

 題名は『川向こうの少女』だ..。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る