(八)未知への扉

 聖山が、噂やサイトの情報を調べて立てた、まだ仮説の話だが、智子はその仮説に吸い込まれるようにして聞き入った。

 カルト教団、新世界救世団しんせかいきゅうせいだんが牧之原市に訪れたのは、聖山が高校に入学する前の中学生時代の頃だ。

 その広い森に囲まれた高原の敷地に建つ、空家だった邸宅を教団等が所有し、本部とした。

 教団の指導者を名乗る平塚氏ひらつかしは、元科学者で、発生工学を研究する教授だった。ロシアの研究所で、クローン人間研究に関与していた疑いをかけられていたが、その後消息を断ち、数年前に突如指導者として姿を現してた。

 

「カルト教団が、牧之原市にやっってきたその年、子供たちが大勢失踪しっそうする事件が起きたのです。地元の新聞社が報じていたので、それは事実だと思います。」


 地元の小学生、キャンプ場へ林間学校へ訪れた子供達、そして地元の教職員五名が行方不明になる奇妙な事件だった。

 当時、和葉と智子も小学生で、学校では不審者情報の共有と集団登下校を呼び掛けれていたので覚えている。不可解な事件で、犯人は未だ不明。百二十名の児童のうち、六十名ほどしか発見に至ってはおらず、子供達は高原のあちらこちらに、散らばった場所で発見された。

 夢遊病者のようにほっつき回って徘徊しているところを発見されて、保護された後、誘拐された時のことは何も覚えていないと口を揃えて証言した。

 

「発見された子供達は、みんな同じ症状だったそうです。」

 

「…つまり、私や..和葉と同じって事ですか?」

 智子は、興奮を抑え切れなかった。見えなかった真実が、突如形になって現れ、それを掴もうと必死に手繰り寄せようとする感じだ..。


 「そうです。」


 発見された子供達は、どの子も全ての事に優れていた。

勉強、運動、美術、音楽。まるで機械の人形や人工知能を埋め込まれたロボットのように..。


 ただ、重度の精神疾患が発見されたり、自身の変化に対応できず心を病み、保護された子供の大半は十四歳を待たずに自殺してしまった。

 

「事件は迷宮入りし、真相は闇に葬られました。事件を調べていた警察官も、捜査を打ち切りに..。これは噂に過ぎませんが、何者かが警察組織に圧力をかけたのでは無いかと..。」

 辺りに沈黙が流れた。コーヒーカップの中身はすっかり冷え切っていた。

 「不可解な失踪事件は、それっきり起きなくなりました。ですが、静岡県内で、自分が誰かにとって替えられた、と発言したり、人が変わったように振る舞う人々が増加したんです。」

 

件の『ドッペルゲンガー入れ替わり』を証言する人達は、全国にも沢山いるが、静岡県出身の人が圧倒的に多いという。

 また、静岡県の特定の地域の出身者や、その地域に訪れた事がある方に、自分が分身と入れ替わったと経験している者が多い。彼等は、何かの拍子に自分の変化を感じていた。


「それで、これはあくまでも僕の仮説です..。ゲノム編集をご存知ですか?」


「ゲノム編集?」


 智子は柚子希と顔を見合わせた。何処かで聞いたことのある響きだ…。一体何処で聞いただろう…?


 スクランブル交差点を行き交う人々が、コートを前にしっかりと合わせ、マフラーと手袋をしているのが見える。強風が吹いてコートや髪が靡くのが見え、いかにも外が冷え冷えとした景色が、智子の心を表していた。

 彼女の心にも、風が吹き荒れていたのだ。


 「デザイナー・ベビーってご存知ですか?」

  聖山は慎重に尋ねた。

 「..ネットで見たことは..。一体どういうことですか?」


 「人や動物など、生物には遺伝子があります。ゲノムとは、DNAの遺伝情報の総体で、要は『生物の設計図』のようなものです。これを自由に書き換えられてしまうのが、ゲノム編集なのです。」

 聖山は淡々と話していった。まるで他人のことを話しているような、冷静な口調である。


 「デザイナー・ベビーは、人の体にある細胞の遺伝子を自由自在に編集して、生まれてくる子供をデザインできるというものです。デザイナー・ベビーは法律で禁止されてますが、海外のセレブ達の間で話題になって、研究施設に出資しているものもいると噂されている…子を持ちたい大人からしたら、夢のプロジェクトです…。」

 彼は、最後の言葉を自嘲気味に紡いだ。

 「と、いうと?」と柚子希が尋ねた。

 

 「子供を、自分の思った通りに作れるという事です。例えば、いくら食べても肥満にならない体質にしたり、運動能力を優れさせたり、顔の容姿を美しくさせたり、優秀な頭脳を持ち合わせた子供を作ることも、ゲノム編集一つで設計できてしまいます。」

 ガンにならない、健康な体を手に入れることこともできるのだという。

 「精神疾患や発達障害なども、遺伝が影響している部分も少なからずあるっていうわよね?」


 聖山は、そのゲノム編集の技術、『クリスパー・キャス9』と呼ばれるものによって、遺伝子情報をデザインすることができると言った。

 ゲノム編集は、主に家畜や農作物などの食料の品種改良に使われている。従来の品種改良『遺伝子工学』は、偶然や運に頼るものが多く、百万回に一回の成功率だった。

 それが、クリスパーを使えば、遺伝子情報を科学者達が思い描いたように操作することができてしまい、遺伝子操作の精度が、従来の求術と比べて、格段に高いのだという。

 「書籍で少し調べただけで、まだ何とも言えません。ただ、もしかしたらと思って..。」


 「あのぅ..ちょっといいかな?」

  柚子希が遠慮がちに聞いた。

 「ゲノム編集できるというのなら、安定した心だって手に入るはずなのでは?」

 

 「智子や和葉たちがゲノム編集を受けたというのなら、心理面も健康なはずです。妹は、今までには無かった、原因不明の内因性の統合失調症が発見されたんです。」


内因性とは、脳の器質的な問題で精神が不安定になることで、脳の異常からなる精神疾患のことだ。

 「妹の疾患も取り除けたのではないでしょうか?」

 聖山も、柚子希の言葉に頷いた。彼も、自分で立てた仮説の不安定さに、自信を持って言いたくはなさそうであった。

「えぇ、そうなのです。現に、子供達や僕らと同じ経験をした者には、自殺者も出ています。でも、精神疾患は遺伝だけではないと思いますし…。」

 彼は頭を捻って考え込む。

 

 多かれ少なかれ、人の心や行動には矛盾がある。頭では分かっているように、別のことをしてしまう..。心と体がバラバラになってしまう…。

 でも、原因は何かと聞かれれば、言葉に詰まってしまう。説明出来るわけでも、目に見えるわけでもない。ましてや遺伝子だけでその人の全てを図れるとは思えない。

でも、だからこそ、その仮説には何かがある。何かが隠れているはずだと思わずにはいられない。

 「それに、この仮説だけでは矛盾点がたくさんあるんです。」

 聖山は順を追って説明した。

 「まず、ゲノム編集は人の体内にある遺伝子から直接ゲノム編集するのは難しいみたいなんです。」

 つまり、子供が生まれる前の受精卵を含めた、生殖系細胞をゲノム編集する方法か、人の体細胞を、一度体の外に取り出してゲノム編集してから、もう一度人の体内に戻す方法でしかまだ成功してないという事であった。

 「実際、遺伝子治療で病気を治す際は後者の方法で行っているそうで、体内で遺伝子を操作する方法は失敗のリスクが高いそうです。」

 

 そうすると、智子が倒れて病院に運ばれてから退院するまでの間、ゲノム編集をするのには無理がある。和葉もキャンプ場で、誰にも気づかれないようにゲノム編集をするのは時間的に難しいだろう。聖山に取っても同じことが言える。

 「そうすると、赤ちゃんが生まれる前でしか、ゲノム編集は不可能ってこと?」

 「えぇ..。」

  既に智子や聖山、和葉は誕生している。ゲノム編集を受けたとされるのなら、受精卵でないといけない。でも、それでは変化にはならない。

 設計されて生まれてきたとすれば、それはある意味生まれつきだ。和葉が心を悩ますことも、智子が孤独を感じる事もそもそもないはずだ。

 「やっぱり…入れ替わったんじゃないかな?」

 「 僕らが見た、もう一人の自分と..?」

  聖山は暗い顔で智子達を見た。

 「えぇ…。ドッペルゲンガーがもし存在するとしたら、一体その正体って何だと思いますか?」

 

 智子の言葉に、三人の間に流れる空気が止まった。

柚子希はまさかという顔をしていたが、聖山は笑わなかった。薄々、彼も考えていたのかも..。


  私達はきっと、本物じゃないって事に..。

 

 

 

 

   

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