(七)ヒジリヤマ

 東京駅に着いた後、中央線の普通列車に乗り換えた。そこから数十分経って、ようやく新宿駅に到着した。西口から駅の改札を出ると、地下にポッカリと円形の穴が空いて、そこから曇り空と都心のビル群がそびえ建つ景色が見える、タクシー乗り場が姿を現した。

 「智子、こっちだよ。」

 トヨタの軽自動車が止まっていて、運転席の窓が下がり、柚子希が顔を出した。彼女の車だった。

 柚子希は一度車を降りると、智子のボストンバッグを後ろのトランクに積むのを手伝ってくれて、智子が隣の座席に座ってから、エンジンをかけて発車した。

 「早かったわね。久しぶりの首都はどう?」

 「人、本当に多いね..。ビルもやっぱり高い。横浜にも

高い建物あるけど、丸の内も新宿もやっぱり違う。」

 智子はたくさんの人、幾つも通っている電車の路線、巨大な建物と街の明かりに圧倒されながらここまで来た。 

 前に東京に訪れたのは、母の実家がある中野区の南台商店街の、祖母の家に遊びに行った時以来だが、それでも駅や街並みが新しくなっていた。

  相変わらず曇り空だっただが、雨は降っていない。しかし、気温はマイナス三度と氷点下で、雪が降り出しそうな厚くて重苦しい空だった。

 「それと、東京は寒いね…」

 「でしょう?静岡はもうちょっと暖かいもんね。」

「うん。でもね、最近静岡も寒いって思うんだよね。やっぱり、異常気象ね」

 静岡は、比較的気温が暖かいはずだった。御殿場や牧之原市は、山の方なので気温は低いが、しかし,今年は普段の静岡に比べれば県内の気温が全体的に低い。凍える寒さが続いていた。

東京の方でも、去年より気温が下がりつつあった。

 柚子希と智子は少しの間世間話をした。柚子希は、アパートがある西新宿五丁目には行かなかった。現在、柚子希は、大学院で心理学の研究員をしていた。夢だった臨床心理士の資格は取ったが、教授の推薦で研究員のメンバーになったので、研究所に通うためにここへ上京した。

 近況話をした後、柚子希葉すぐさま本題に入った。車を走らせながら、送ってきたサイトの件に話題をうつした。

 「例のあの記事、読んだ?」

 「うん、まさか同じ経験をした人がいたなんて…。」

 

 「あれからね、色々と調べて、大学の同窓会のメンバーに聞き回った。チャットの最後の投稿見たでしょ?」

 

 「ヒジリヤマさんって人?」智子は尋ねた。


 「うん…。その人ね、聞き回って分かったんだけど、私のサークルの時の後輩だった。」


 「えっ!」智子は驚いて柚子希の方に振り向いた。柚子希も、彼女の方を見てた。何かを決心するような真剣な顔つきだった。


「今から、会ってみよう。ヒジリヤマさんに。どうも、向こうは何か知っているみたいなの..。」


 

 聖山ヒジリヤマは、大学から離れた渋谷のファミレスを待ち合わせに指定した。

 ビルの二階からファミレスがあり、智子達は店内へと足を踏み入れると、窓側の席にマグカップを手にした青年が座っていた。

 栗色のニットにスラックス姿で、茶色がかった天然パーマの巻毛が垂れ目の目にはらりとかかり、丸眼鏡を掛けていた。

 彼は、智子たちの姿を認めると手を上げて会釈した。智子は一度対面に座ると、ドリンクバーを頼んで席へと立った。コーヒとカフェラテを手に席へと戻ると、聖山は茶封筒から何かを取り出した。

 

「貴女が、鈴代智子すずしろともこさん、ですか?」

 「あっ、はい。初めまして。柚子希の従姉妹です..。」

 智子は緊張した面持ちで聖山と向き合った。一見優しそうな雰囲気だが、声は淡々としていて、無表情に近い。優しい人なのか、冷たい人なのかよく分からない人だと、そんな印象を抱いた。

 「柚子希さんにも話したのですが、実は、柚子希さんの妹の、和葉さんと一度だけ会ったことがあるんです。」

 智子はポカンと聖山を見つめた。


 「和葉を御存知だったんですか?」

 「えぇ..。和葉さんのことは本当に残念です…。」

 

 彼はそう言うと、無表情だった顔が崩れ、後悔しているような顔になった。

 「どうしてですか?」

 「僕のせいかもしれません..。和葉さんが亡くなったのは」

 智子は不安を感じつつも、「何があったんですか?」と先を促した。

 聖山は事の経緯を説明し始めた。



 聖山は、やはりあの山のキャンプ場で倒れた。件の建物が立つあのキャンプ場だ。そして、和葉や智子連れてかれた、例の聖エデンの園総合病院に運び込まれて、そこで何かが変わったようだ。

 聖山は元々、私立に中学受験をして入り、高校は文系の授業をとった。弁護士になるのが夢だったのだ。だが、高校一年の、あのキャンプ場で倒れてから、彼は自分がどんどん変わっていったそうだ。

 異変はすぐに起こっていたそうだが、どう言うわけか聖山本人は、自分の異変に全くもって気づかなかった。

 学校に復帰してからすぐに、勉強の成績がぐぅんと上がった。授業の内容が、一度聞いただけですぐに覚えられてしまった。

 前は予習と復習を重ねて、苦労して覚えていたのに、読んだ本の内容も、教科書も一度読んだだけで覚えれてしまう。おかげで聖山は、学校では首席のクラスに編成され、法律系の大学受験に合格するためのコースに入ることができた。


「それだけじゃ無いのです。僕は正直に言って、体育は苦手の方でした。だけど、今は体が異常に軽く感じて、足も速くなりましたし、要するに、身体能力が上がったのです。」

 

 でも、特別なことは何もしていない。まるで、別の人間の体を手に入れたようだ…。彼は、ぽつりと言葉を紡ぐ。

 「ここまでくれば、流石に自らの変化に気づくものだろうけど、何故か僕はずっと自分のことに気が付かなかった。成績が良くなったのも、運動のことも、周りの人間から教えられて初めて、気が付きました。」

 要するに、自分の事を客観視できずにいたのだ。聖山はこの事になるとどうも腑に落ちなかった。ここまで、自分の変化に気が付かないものかと?

 両親に聞いてみると、どうも自分は趣味や食べ物、生活習慣がほんの少し変わったと云う。


「僕は、昔から絵は下手だったはずなんです。でも、高校の時から、美術の授業での、特に絵画なんかで評価されるようになっていて..。両親に言われて初めて、僕が前と違うことに気がついた。」


「それで、自分の様子がおかしいと気がついて、色々調べ始めました..。」

 聖山は、最初は何かの精神疾患にかかったのかと考えた。そこで、思い返してみると、聖山は忘れていた一つの記憶にとたどり着いた。

 聖山は、キャンプ場で倒れる前に、ドッペルゲンガーの存在を見たんだ。

 彼は倒れる直前に、山小屋から薪を取りに行った。薪は山小屋から少し離れた、掘立小屋に積み上げられていて、取りに行くと、森の木々の間から、自分とよく似た人物が遠くの方から眺めていた。


「心臓が止まるかと思った..。服装は違ったのですが、背格好も髪型も同じで、まるで鏡に映った自分を見ているようでした。」


 聖山はその出来事を思い出した後、ネットや本を調べてドッペルゲンガーの症例を調べた。ネットの情報では、強いストレスを抱えているとか、感情や記憶を抑え込むと、もう一人の自分を作り出してしまうという。

 つまり、幻覚だ。

 多重人格や、分裂病などの精神疾患による幻覚がドッペルゲンガーの正体なのだと…。

 

「他にも、カプグラ症候群が考えられますよね?」

 柚子希がそう言うと、聖山はうなずいた。

「えぇ、僕も最初はそう思っていたのです。」

「カプグラってなんですか?」

 智子は柚子希達に尋ねると、柚子希は丁寧に説明した。

 「カプグラ症候群っていうのは、自分自身や家族、友人が分身と入れ替わってしまったと妄想する疾患のこと。和葉や智子も、自分の分身を見てから、まるで別人みたいになっちゃったから、私も同じ仮説を立てていたの。」

 

「ですが、この病気が原因なら、貴女や和葉さん、僕だけでなく、柚子希さんや僕の両親など周りの人間までもが、精神疾患に罹っていることになってしまいます。」

 柚子希の意志を継ぐように聖山は話し出した。

 

「それで…僕も独自にまた調べてたのですが、結局原因は分からずじまいで…。」


 それで、思い切って都市伝説サイトで調べることにしたんです…と聖山は暗い顔をして、小声で言った。

 「これはあくまでも噂程度で、まだ信用できる内容では..。」

 彼は、これからいう事の前置きのように言った。


「構いません、話してくださいっ」

智子は言いにくそうにする聖山に対し、必死に訴えるように先を促した。

「ずっと、悩んでいるんです。だから、同じ悩みを抱えている人が身近に至って、だけでも、心強いんです..。だから..。」


 智子の、必死な思いが届いたのか、聖山は意を決して口を開いた…。

 


 

 


 



 

 


 

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