(五)疑惑と謎

 葬儀が終わって、数日が経った。異常気象続きで、季節外れの温かい日と、突然凍るような寒波が襲う日とが不定期にあった。

 今日は気温が一気に冷え込むようで、朝から突風が吹き、外に置いていた父が育てている植物の植木に霜が降りた。

 智子はリビングで丸くなりながら、マグカップに注がれた、湯気の立つカフェラテを飲んだ。大きな窓から、外の街路樹がぐわん、ぐわんと大きく揺れているのが見える。

 父は、弟の翔と優子夫妻が心配だと言って、朝食を食べた後に、お手製の煮込みハンバーグを持って出て行った。一緒に来るかどうかと聞かれたが、とてもではないが、和葉の遺影と遺骨に会う気持ちにはなれなかった。

 柚子希と交わした会話が、頭の中をぐるぐると回った。あの話を聞いてから、智子は罪悪感に苛まれていた。同じ悩みを抱えていた和葉。もし、智子がもっと和葉に関わっていたら、避けようとしなければ、和葉の異変にだって気付けたはずだ。

 そして、悩みを打ち明けあっていれば、和葉が死ぬことを防げていたかもしれ無い…。

 いや、今はそれを考える時では無い..。首を横に振って、思考が悪い方に転がり落ちるのを防いだ。

 マグカップをテーブルに置くと、ガウンを羽織って二階へと駆け上がって、自室からキャンパスノートとペンケースを取ると、またリビングへと戻った。

テーブルにノートを開いて、シャープペンを持つ。智子は、今の状況を整理することにした。

 事の始まりは四年前の夏休み。お泊まり会の日に、智子は自分とそっくりの分身を見た。そこから一週間後、山の上のカフェで、柚子希が智子とそっくりの少女を見た。

 柚子希が見た少女と、智子が見た分身は、服装からして恐らく同一人物だろう。

 その後、九月頃に智子は倒れて入院して、そこから智子は変わった。別人のようになってしまった。

 それと同じような事が、和葉にも起きた。

 和葉は高校三年生の真冬に、和葉とそっくりな少女を、智子と同じように川の向こうで目撃した。

 その後、和葉は高校のキャンプへ行き、キャンプから帰って来ると、別人のようになってしまった。漫画も描けなくなっていた。

 和葉はその後、名古屋の専門学校にわざわざ訪ねてきた医師に、実家近くにある私立聖エデンの園総合病院に連れられ、検査を受けた。

 智子の記憶が正しければ、確かその病院は名古屋にも分院があったはずだ。 そして、智子が倒れた時も、聖エデンの園総合病院に運ばれたのだ。これは偶然だろうか…。

 名古屋から静岡まで、新幹線で一時間以上あるのに?

和葉が病院で検査をされて二日後、夏木という男が専門学校を訪ねてきた。

 夏木は、自身が運営する大学の研究所の被験者になってほしいと、和葉に相談しにやってきた。和葉はその話を断った。

 話はこれで終わるだろうと、和葉は考えていた。だが、それは甘い考えに過ぎなかった..。

 和葉は、その日から誰かに監視されるようになった。

同じ黒い車を道路で発見し、道ゆく道の角に誰かが立って、見張っているというのだ。

 その頃、和葉はかなり不安定だったという。例の総合病院で言われた通り、極度の不安と緊張、気分にもかなり波があったようだ。

 柚子希の話では、和葉は鬱病と診断されて、しばしば誰かに追われているような幻覚も見るので、事実かどうかは分からないようだ。

 ただ、もし監視されている事が幻覚だったとしても、それでもこの一連の出来事には、何か繋がりがあるはずだ。

 あの病院の医師は、多分だが和葉を調べに来た。そして夏木という男も、和葉の何かを調べたがっているように思えた。何を知りたかったのだ?健康状態を調べて何になるというのか?

 智子はぞくりと背筋が凍った。腹の底から恐怖が湧き上がった。

 和葉と智子には、共通点が多々ある。

 そのうちの一つが、人格の変化だ。

 智子は、四年前までは勉強が苦手で、音楽も美術も、得意ではなかった。それが、あの入院を境に全てがうまくゆき過ぎるのだ。

 授業を一度聞くと、全てが覚えられてしまい、目にしたものは、まるでメモリーカードが頭に刺さっているかの如く暗記できて、それを紙とペンがあれば絵にする事もできた。

 運動能力も申し分なかったが、あの日以来運動を好きになれなかった。

 要するに、何もそこに至る経緯がないのに、今はロボットか機械のようにこなせてしまう。そして、それは和葉も同じだった。

 この事を深く考えてみると、やはり一つの結論しか思いつかない。

和葉と智子は、もう一人のドッペルゲンガーと入れ替わった。つまり、今の智子は、あの川の向こうにいた自分とそっくりの分身なのだ。病院で、私たちは入れ替わった。

 なのに智子や和葉は、昔の記憶と意識を残している。ドッペルゲンガーの時の過去は、綺麗に抜けていた。

 いや、そもそもドッペルゲンガーは迷信だったはずだ。存在するのかどうかも分からないものが、私の正体だというのか…。

 智子は、今まで大切に積み上げていた自我が、音を立てて崩れ去っていく感じがした。



 一体自分は何なのだろう?

答えを握るカギは、多分あのレンガ造りの建物だ..。あそこには、きっと何かがある。

 

 智子は居ても立っても居られず、大学で使っているノートパソコンを取りに行った。相変わらず、部屋の中は薄暗い。

 リビングの明かりをつけると、パッと白いライトが辺りを照らした。窓の外は、黒い雲が重く垂れ込めていた。

 インターネットのページを開いた。

 風が轟轟と唸って、窓に吹きつけた。智子はふと、高校三年生の時に夢中になった本を思い出した。

 サイエン・フィクション小説で出てきた話題。もし、智子と和葉に、自分とよく似た人物が存在するのだとしたら…。

 智子は、恐る恐る検索欄に「クローン人間」と打ってみた。ページを下へ、下へと流してゆく。

 

 クローン技術で生み出された、コピーの動物の研究は珍しい話ではない。ただ、響きがおぞましく聞こえる。

 つまり、両親がいなくても、人工的な技術で生命が誕生してしまうという事。人の手で、生命体を生み出すことが出来てしまう時代が、すでに訪れている事に、智子は動揺を隠せなかった。

 もし、今の私が人為的に生み出されたものだとしたら..。自然に生まれたものでは無いとしたら…。

 怖いと思いつつも、知りたい気持ちは抑えられなかった。自分のルーツを、知りたいと思うものと似た感情だ。

 

「体細胞クローン技術」と書かれたページを読む。

同じ遺伝情報を持った動物を生み出す方法。まず、クローン化する動物と同じ動物の未受精の卵子を用意して、卵子の核を取り除く。

 そして、動物の皮膚細胞などから細胞の核を取り出し、卵子に核移植する。そして、子供が誕生するまでの間、この卵子を代理となる母体に入れる。

 こうして、その個体とそっくりな動物が生み出されるのだそうだ。

 中国では、ほんの数年前に、猿のクローンを研究所で誕生させている。

 当然この動物達には、両親はいない。研究所で人工的に生み出された動物だ。人工生命体といってもいいだろう。

もし、件の建物で、智子と和葉たちのような分身を生み出しているとしたら?

 ただ、合理的に考えて、そんな事をして何の得があるのか?今現在、クローン人間は禁止されているはずだ。クローン人間が存在したとか、クローンベビーの誕生は度々テレビやネットで話題にもなるが、結局は都市伝説のちょっとした噂ですぐに消えてしまう。

 

「さすがにエス・エフの読み過ぎか…。」


 智子はふぅ、と溜息を吐くと、ホームページに戻った。すっかり戦意喪失し、ページをずっとスクロールしていくと、気になる欄があった。

 愛知にある遺伝子工学を主要とする大学。

 目に飛び込んできた情報にぎくりとした。智子は、すぐにそのサイトにクリックした。

 愛知にある私立大学、西帝科学技術大学にしていかがくぎじゅつだいがく

 その大学の学長の名前に見覚えがあった。

 夏木鞠子なつきまりこ、遺伝子工学技術の権威者。ゲノム編集の研究を行っている。確か和葉に接触した人物は、夏木という男だった。関係者だろううか?

 だが、記事を読み進めているうちに、気になることが書かれていた。


 夏木鞠子は、行方をくらましていた。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る