(三)ドッペルゲンガー

 宴会も終盤に差し掛かり、親戚一同で和葉の秘蔵写真を映写機で流そうという事になった。 

 智子は和葉の写真を見るのに胸騒ぎがして、お手洗いを理由に席を立った。トイレに行くふりをして、宴会から外の庭園がある場所で少しの間時間を潰していると、玄関から柚子希がこちらへと向かってきた。

「智子、ちょっといい?」

「うん、いいけど…?」

 柚子希はそっと智子の腕を掴むと、一本の紅葉の木の側に招いた。

「何か人に聞かれちゃまずいこと?」

「うん..。」

 柚子希は智子に背を向けて、片方の手を木の幹に置いた。そして、意を決して智子に話し出した。

 

「智子はさ、ドッペルゲンガーの話って覚えてる?」

「あぁ、覚えてるよ。中学二年の時の、話したら大笑いされたけど…。」

 柚子希の言葉に智子は、ぎくりとした。

 やっぱり、私の変化を責めているのだろうか?

 だが、柚子希の言葉は、智子の想像を遥かに超えるものであった。

「あのね、ちょっと長くなるけど、聞いてくれる?」

「いいよ。何なの?」

 智子は努めて冷静に答えた。


「実はね、私も見たの。もう一人の智子。」

 柚子希はゆっくりと振り返って、智子を見た。驚愕が隠せず、目を見開いて絶句した。

「まぁ、驚くよね。」

「どうして黙ってたの?」

「ごめん…。後から和葉にその話を聞かされてね、怖くなったもんでさぁ。」

「うぅん、責めるつもりは無いよ。…それで、柚子ちゃんはどこでもう一人の私を?」

「和葉から聞かされたのは、四年前の夏だった。お泊まり会からそんな経ってないから、智子が見た後だと思うよ?大学って、長期休暇長いから。」

 

智子が御泊まり会を終えて一週間後、帰省した柚子希は、自分の車でドライブをすることにした。

 どこへ行こうかと考えていた時、ふと山へ行こうと思った。和葉の自宅から車を走らせて十分か二十分程度で山の登山道路の入り口が現れる。無名の山だが、山の上にお洒落なカフェがキャンプ場の近くに出来たとかで、話題になっていた。

 柚子希は車を山道に沿って走らせて、件のカフェに向かっていた。後数百メートル先にカフェが現れる地点で、森に囲まれた妙な建物が見えた。

「西洋風の古風な大邸宅っていうのかな?」

「あっ!」と思わず智子は叫んだ。

 昔、父にキャンプ場近くの川へと連れて行ってもらった時、レンガやコンクリートの塀で囲まれ、立派な門扉があって、木々に囲まれてよく見えないが、レンガ造りの厳かだが、苔むしたような少々陰気な建物を目にした。

 何故これを覚えているのかというと、智子の父親は建築家で、「なかなかいい建物だなぁ」と呟いていたからだ。

 「そうそう、関係者以外立ち入り禁止の看板がある。」 

  

 柚子希もその建物が気になって、建物の前の道をゆっくりと進んでいた。 

 その建物は、かなり敷地が広いらしく、塀が少しの間続き、塀がようやく途切れたところに、分かれ道の車一つ分、軽自動車が入れるくらいの砂利道があって、その道もポプラやアカシヤの木々が生い茂っていて、よく見えなかったのだが、その道から少女が出てきたのだ。

 まさか女の子が出てくるとは思はなかった柚子希は、驚いてブレーキをかけてしまった。

 あの建物の住人の娘だろうか?丸襟の夏のブラウスに薄手のスカート履いた上品な、でも少し地味な格好をした少女。髪は三つ編みで、ピンか何かで留めて、使い古した革の鞄を背負った姿は、家柄の良い少女を連想させた。 

「その子、立ち止まってね、私が止めた車をじっと見つめたの。その顔を見て心臓が止まるかと思った。智子にそっくりだったのよ。」

 

 柚子希は、思はず窓ガラス越しに智子っ!、と呼んだ。だが、他人の空似かもしれない。当然その少女には、柚子希の声は聞こえていないので、少女はそのまま歩き出した。

 やはり偶然似ていただけで、思い過ごしだろう。顔の感じが似ていただけだ。

そう思って、柚子希は車を発車させて、少女を追い越していった。

 その後山の上の見晴らしの良いカフェで車を停め、窓側の山や街並みを見晴らせる席に、腰を落ち着かせた。白いペンキで塗られたイスとテーブルが並ぶ、明るいヨーロッパ風のアンティーク家具が中心のカフェで、コーヒーが売りだった。

 柚子希は和葉や智子を連れてくるつもりで、カフェラテを飲みながら、甘い飲み物やケーキが書かれたメニューを見ていた。

 すると、そこに件の少女がカランと音を鳴らして、店内へと入ってきた。柚子希はその娘の容姿に度肝を抜かれた。見間違えなのではない。

あまりにも智子に似ているのだ。まるで、智子が変装しているかのよう。

 少女は人目を気にして、カウンターから持ち帰りを頼むと、奥の方にある隅の席に腰を下ろし、窓から街をぼんやりと眺めていた。しばらくして、カウンターから紙袋を受け取ると、逃げるように立ち去った。

 後ろ姿、窓を眺める横顔、手の形や肌の色もまるで智子なのだ。


「でも、あれは智子では無かったわ。その頃の智子は短パンにTシャツ姿とかジャージを着てキャップを被るのが好きだった。スカートなんて履いた事ないんじゃ無かったかな? あの日、私がドライブから帰ってきた後、智子が和葉とジャージ姿で帰ってきたところを見て、やっぱりあの子は智子じゃないって言えた。でもね…。」

 柚子希は黙って智子を見据えた。智子は目を逸らそうとする自分を必死で抑えた。

 柚子希の上で紅葉がはらり、はらりと落ちてゆく。

まるで何もかも剥がれて、自分が丸裸になっていくような気がしてならなかった。

「今の智子って…。なんていうか、あの時に見た智子にそっくりなのよ。服の好みも…。雰囲気も…。最初は、大人になって趣味が変わったんだろうと思ってた。でも、今じゃすっかり、智子は別人みたいで、昔の智子と違う気がするの…。これは成長とかじゃない気がしいて…。

 あの建物から出てきた少女にしか見えない..。ごめん、変なこと言っちゃたね。」


 智子はしばらく放心したようにその場を動けなかった。

少しの間、私たちは黙っていた。柚子希は、言ってから後悔していような顔になったので、智子は慌てて弁明した。

 「あっ、違うの。責めてないから..。ただ、私もね…昔とは何だか違う気がしてね…。昔の記憶はちゃんとあるの。和葉との思い出とか両親とのこともね。でもね、何だか他人事のように思えてきて、誰かの人生が頭の中で流されているような感じがする。現実味がなくて、みんなが言う私が、私だと思えない。」


 だから智子は、親しかった和葉との交流を避けた。和葉の知っている自分にはなれなかったからだ。

 「だからね、今の自分は智子じゃない。実は、お父さんの事も他人のように思えてならないんだよね。私、本当にこの人から生まれてきたのかなって…。」

 

言葉に出してみると、自分が何に怯えているのかが見えてきた。そして、自分の言葉に寒気がたった。

自分が智子じゃなくて別の人間?それなら、私は一体誰なの?

まさか、今の私がドッペルゲンガーなのか?

仮に私がその土手の少女で、智子と入れ替わったとしよう。では、なぜ昔の智子の記憶が自分にあるのか?本物の智子はどこへ消えてしまったのだろうか。

 智子は混乱を抑えるように、深呼吸した。

「ねぇ、どうしてドッペルゲンガーの事を話してくれたの?和葉の自殺と関係あるの?」

智子はふと気になって、尋ねてみた。と言っても、何となくわかっているような気がする。

「智子の思った通りよ。和葉も見たのよ、もう一人の自分を。」












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