侵食されゆく未来(5)
ナマケモノの俺はどこへ行ったのか。猛スピードで自転車を漕ぎガラ空きの道路を縦断する。
ここは山か。
さっきまで月が煌々と輝く空だったのに俺が新しい未来へ走り出した途端に分厚い雲で覆われ一滴の水が頬に落ちた。
数分のちに本降りの雨になる。雷も負けじとここへ移動してきた。
俺の進行に待ったをかけている。
天から、いいや大気圏を突破して宇宙、その外側から、殺意の視線で俺を見おろしている。
熊谷さん、奴らこそ真の敵だ。
地球が滅びのカウントダウンを開始したのにその破壊に気がついているのは俺だけ。なんで君は呑気に雨宿りをしている。
地面を擦っていた音が不協和音になる。ぐにゃりへこんだ音。タイヤがパンクした。
意地でも俺を行かせないらしい。
折り畳み傘の入ったリュックを置いて何年も乗っていない、メンテナンスをしていない自転車で天気が不安定の中、外出した。
全ての選択が裏目に出ている。
だがこの先に、雲を掻き分ければ待っているのは輝かしい新天地だ。
目標達成の前に苦難が幾つも立ちはだかるのは昔からの定め。このくらいなんだっていうんだ。自転車を横倒しにしてしばし孤独の行軍を開始した。
神経が麻痺しているのか。雨の冷たさも、疲労も鈍感の壁で守られている。以前の俺だったら挫けているかもな。
信号が青だっていうのに発進しない車。後続車はいないのでクラクションを鳴らされることもない。この車がいなければ無視するのに、信号を守っている俺は甘いのか。歩行者信号が青に変わり小走りに進むとしばらくしてからまたあの車が俺のスピードに合わせて付いてきた。
歩行者を煽るとはな、なかなか性格が悪い。ムキになって立ち止まるとそのまま去っていった。
事故に遭って死んでしまえ!
時間をかけるのも無駄な輩。無視しろ、こういう奴らが囮なんだ。
どうにかして着いた。屋根のある所まで来ると疲れがどっと押し寄せた。麻酔の効果は切れたか。
部屋番号を押す。
「はい」「安原です。夜分遅くすみません。入れてください」
エレベーターの中ではぐったりと座り込む。
このエレベーターが故障して俺を閉じ込める、或いは出ようとした瞬間に上昇して挟まれジエンド。
あり得なくはないが、階段が安全だという根拠もない。全ての行動が賭けだった。楽な方より手間のかかる方が正しい、その裏をかいて楽を選ぶ。
廊下で滑って転んだ。頭は打っていないがてのひらの皮が剥ける。これで済むならありがたい。
足音が。
「どうしたんですか、そんなに濡れて! 傘も持たないでそんなに急ぎの用事なんですか?」
熊谷がさんが部屋から出て待ってくれたみたいだ。
「ええ。ただ用件の前にお風呂お願いしていいですか」
風呂は予め沸かされてあった。
両足を曲げて両手で抱え込み冷えた体を温めた。おでこを膝につける。このまま眠りに落ちそうだ。
そうなったら、溺れて死ぬのか。自ら罠にはまり込みにいってしまったか。
笑う俺。
肩の力を抜け。もう大丈夫だ。
工藤君の衣服を借りて、蘇生したように風呂場から出てきた。
「あそこまでくたくたになりながらここへ来た安原さんをみて確信しました。安原さんは欠かせないと。工藤君、橘さんだけでは補えないピースがあるんじゃないかってなんか後ろ髪引かれたんです」
俺が欠かせないか。
その通り。このままいくけば順調にいくとみえてそうじゃない。
その欠陥があると指摘できるのは俺しかない。それを軌道修正できるのも。
「明日でいいですか、ね。もう数秒でも無言の間があると意識が落ちて、しま……」
翌朝、どんよりとした雲は残っているようだが雨は止んでいる。
部屋には俺一人だった。疲労困憊でいつ眠ったのか定かではないが、床ではなくソファの上では眠れたようだ。掛け布団も敷かれていた。
一日でも遅らせたのがいけなかったのか、また自分でもうんざりするほどの被害妄想を発揮する。
玄関の方から音がした。熊谷さんが袋を手にリビングへ。
「早いお目覚めですね。ちょっと買い物をしてきました。安原さんの分の朝ごはんがなかったので」「ありがとうございます」
遭難者が餓死寸前で救助されてから初めて食べるご飯に似ている。口にしたものなにもかもが最高に美味かった。
「そろそろお願いします。このままではいけない訳を教えてください」
急かしはしていないが待ちくたびれているのか。疲れが濃く出てやつれた顔をしている熊谷さん。あまり睡眠はできなかったみたいだな。
俺はペットボトルを空にして深呼吸する。そのペットボトルをテーブルにカンっと爽快に音を鳴らせて置く。
「この未来は歓迎されていません! イレギュラー中のイレギュラーです。こんな未来はあってはいけない。だからあれこれ策を考案して奴らがやがて襲来してきます。奴らって誰が? 未来人ですよ、奥さん!」
「……えっ、み、未来人!?」
国家権力でもない、それよりもリアリティがなく厄介な相手。
「これが日本の正史、もっと言えば地球の正しい歴史だと思いますか? 超能力者が猛威を振るい始め、徐々にこの日本、世界の中枢を侵食して支配する、そんな歴史が?」
「これが正しい歴史なのか……? そんな風に考えたことなかったです。安原さん、なにを知っているっていうんですか!」
「仮にこのまま俺達の野望が実行されていくにつれて、テクノロジーの発達に代わってこの超能力が台頭します。国の在り方も解体、改造されていくでしょう。それがある境界線を越えた時にある未来は死にします。なかったことにされる。その未来で暮らす人々は退場を余儀なくされる。それを黙って見過ごすわけないってことです。真の敵はそいつらです」
「このままではある一つの未来が死ぬ、そうならないために阻止する……なるほど。創作ではよく聞くプロットですね。それが間違っていないならこの過去を監視しているということですか、その未来人が」
「そうなるでしょうね。過去を訪れることができる。つまりは……タイムマシン実現しているみたいですよ。子供も大人も憧れているあの乗り物が」
こんな切羽詰まっているというのに、タイムマシンなんて単語が出てきた日には熊谷さんはいよいよ白けてしまっていることを隠さなくなった。
それでも、これは事実なんだ。
「どっちにします? タイムマシンが完成する未来か、超能力者が支配する新しい未来か……」
「楽しそうな話してんじゃん」
活力のある声。いつの間にか橘と工藤君が居た。
「あっ、実は密かにお二人も呼んだのです」
君主と相棒の登場か。
「未来人とタイムマシンってハッピーセットじゃん。おっもしろそう〜」工藤君なら信じてくれると思ったよ。
「未来人が俺達の活動を止めるために乱入して来るか。金とか権力とかのみみっちい争いでもなければ、領土争いでもない、どっちかの未来かを賭けた闘いってところか。科学対超科学でもいいか。こんな極上のシチュエーションあるか。臨むところだ。やってやろうじゃないか」
また橘の瞳の奥が赤く光っている。これぞ奸雄の眼だ。
「お二人は燃えていますけど……し、信じていいんですね」
「熊谷さん言いましたよね。俺が欠かせないと思っていたと。その俺が言っていることなんです。その自分の勘を信じてください」
ハッとした表情になった熊谷さん。どうやら意思は固まったみたいだ。
乗り掛かっている船。もう危なさそうなので大人しくしてましょうなんて凡人が言う台詞はNGだ。
この情熱と冷徹さ、野心と智謀を兼ね備えた魔王様と道化に仕えて正しい方向へ導いてあげるしかない。
そのためにはどうすれば……。
「分かりました。信じます。未来人と戦いましょう。これはもしや、すごい規模の戦争になったりするんですか?」
「残念ながらそんなエンターテイメントな戦争は起きません。いえ起こしたら共倒れになります。そうならないために予め僕の能力が必要だったんです。このスリーピースがこうして揃い、手を組む確率ってどのくらいでしょうね。これもまた誰かが仕組んだのか、それとも偶然が重なりに重なった奇跡なのか。せっかくなのでここではこの奇跡を完遂させましょう」
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