侵食されゆく未来(3)
それからの数日はあの日のように体調を崩すことはなく安心した。
例の風は鳴り止まないが。
これとは一生、付き合う覚悟でいた。
あの放火事件は祈った甲斐もなくうちの店舗が被害に遭ったと報じられた。
犯人はトラブルで辞めていったあのアルバイト。
なぜ嫌な予感はバンバン的中してしまうのか。
性別は男。年齢は三十九歳。
ここを辞めたらたらもう俺に働く所はないと絶望して犯行に至った、そんな動機かも定かではなく男も店と心中した。
幸いなのはなんと犯人を除いて被害者はゼロだったこと。煙を吸ったなどの軽症者はいても重傷者もゼロ。これは派手な事件のわりには幸運な事だろう。
バックヤードにある従業員専用出入り口からであれば容易に逃げられたからこの結果になった。
あの店の内部は熟知しているはずなのにこの杜撰さ。あの男では凶悪犯罪を遂行させるだけの知恵はなかったわけだ。
命を捨てた一世一代の大勝負でさえこんなお粗末だから正社員にはなれないんだよ。
自分の立場を
ダメ押しで、辞める原因を作ったあの優秀な女子大学生アルバイトはその日は休みだったことも判明。
これでは犯人は成仏できないだろう。もしかしたらそこまで殺す気はなかった節すらあるが、あの店の跡地に化けて出てくるのもそう遠くはない。
たとえ弱者に優しい社会になったとして、こいつみたいな人間は果たして居場所を提供する価値はあるのだろうかという課題も残る気がする。
どんな理想の社会になってもはみ出る奴がいるならこれほど残酷な事はない。
学校は何を教えているんだ。大人になったらこんな過酷な戦場に放り投げられるのに、その生き延びる術を教えずに権力者の都合の良いロボットになることを推奨しているなんて。
犠牲者はゼロでも店舗が燃えた以上そこはしばらく使えない。改修して再利用するのかも不透明だが。損傷の大きさ、従業員の精神的ダメージを考慮すればしばらく復旧は無理なのでないだろうか。アルバイトだって事件の記憶が新しい場所を選ぶとは思えない。
緊急時になると俺のようなオフィスワーカーの社員はせっせと動かなければならない。従来の仕事にプラスして余計な業務が増えて忙殺する中、立て続けにこの放火事件など早くも隅に追いやられる事件が多発した。
同じ週に三人の要職に就いている政治家が死亡する事件。国政に携わる者を狙ったテロかと国民が注目していたが、三人に殺害された形跡はないと発表されて世間を震撼させる。
某有名飲食店で日本では珍しい参加者が千人前後という大規模なアルバイトによるストライキも敢行された。二十四時間いつも開いているはずのあの店が閉まっている異常事態に陥り、日本も欧米のようになってきたと話題に。
が、いつもだったら野次馬になる出来事も休憩時間、帰りの電車内の隙間時間にさらっと概要を速読するだけに俺は留まる。
情報過多の時代に敢えて情報を最小限に遮断する刺激のない日常も、メンタル的に不安定になることがなくなるのでこれはこれで悪くない。
自宅は飯と寝るために帰る、そんな日々が続いたある深夜。熊谷さんからLINEでメッセージがきた。
『この前のライブ映像の一部をYouTubeに投稿しました。安原さんも熱狂したライブ是非一度、観てください!』
あれだけ止めようと交渉したのに、もうお好きにどうぞと白旗を振っている。送られたURLをクリックする。
飛んだページには一曲目に演奏された曲の映像が。
このバンドのこれまでの音楽性からしてこの新曲はミステリアス、幻想的な世界観を全面に出した静かな、しかしサウンドは重厚な曲になっており、この方向転換は意表をついているとファンの間では評されている。橘がマイクスタンドを立てて歌うのも新鮮だとも。
再生されると工藤君のダイナミックなドラムの音と共に渋谷の街を往来している人々の映像も流れる。こんな構成まで考えていたのか。
このドラムの音によりこの曲の底には青い炎が灯っている。
ギターとベースの演奏が始まると、それぞれのメンバーを斜め横から撮ったアングルに切り替わり交互に映し出された。ドラムの横にもカメラはあり工藤君のアップも。細い体に反して腕の筋肉はそれなりに付いていた。
しっかり市場に売られているライブ映像作品としても遜色ないように編集されている。
イントロでは三人のメンバーがクローズアップされていたが、橘が歌い始めると胸より上が画面いっぱいのドアップで映し出された。
鳥肌が。カリスマとは彼のことだろう。あのライブがプロ顔負けのクオリティだったのは紛れもない事実。
そんな思い出のライブをまたこうして映像として、何度でも繰り返し観られるのはファンにとって最高のプレゼントだ。
再生数はもう百万再生に迫る勢い。コメントも五百件弱。
俺はこの映像だけで十回くらいリピートしまった。
もういい加減に寝なきゃ、ではなくこのままだとまた橘に心酔してしまうから、けど名残り惜しくも画面を閉じだ。
どっちの方が楽なんだろう。
外はまだ季節としては冬、二月に入ったばかりだというのに気温は昼間は二十度前後と暖かく、夜になれば春の嵐さながら風が吹き荒れ、横殴りの雨で窓をガタガタと揺らしていた。
俺はもう事の行く末を見守ることしかできないのかな。
そういえばあの蝶は映っていなかったな……と思ったら天井に何匹か羽を光らせながら飛んでいた。
やっぱり綺麗だ。
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