扇動者(5)

 二時間半に及ぶライブは終了した。

 みな上から下まで汗で服がびっしょりになりながらも幸せそうに外へ出てくる。

 待ち合わせ、出演者の出待ち行為はご遠慮くださいとスタッフが出てきた人に速やかに帰るように呼びかけている。

 熊谷さんとは、はぐれてしまったがスタッフに押されるように古谷さんと会場から離れた。

「古谷さん来てくれたんですね。この前、連絡してくれたんでついでに誘ってみたんですけど正直、急だったし当日まで返事もなかったから来ないもんかと。受付に遅刻して来る人がいるって念の為、伝えておいて正解でした」

「すみません。どっちにしようか直前まですごく迷ったんです。同じ能力を持つ者同士、見ておきたいと思う反面、なんかすごく不安な気持ちが常にあって明確に返事ができませんでした」

「不安……予感は当たっていましたね」

「なんなんですか、あの人。私、抑えるのに必死でした」

「古谷さん、すごいですね。あの橘の能力に抗ってじっと立っていたのですか」

「耳栓がこんな形で役に立つとは思いませんでした。私もライブにはよく行くのでこういう時は常備してたんです」

 なるほど耳を塞いでいたのか。

 それがなければ古谷さんも逆らえず、上着を脱いだかも……っていけない。よりによって古谷さんの前で!

「橘は扇動者です。他人に望む行動、普段はしない派手なアクションを起こさせるだけでなく、能力者の力も強制的に眠りから覚まさせる、或いはレベルアップさせる。これで超能力者が急激に増えることになるでしょう」

「扇動者……それってどうなんですか! 小野さんを殺した人みたいな能力者もおのずと増えることになりません?」

「……でしょうね。世の中に不満を抱いている人なんてごまんといます。そんなことはないって言い切る方が楽観的すぎます」

「だったら、早くその橘さんに説明してやめさせないと!」

「無理ですよ」

「えっ」古谷さんはここできっぱり、しかも俺に否定されることを想定していなかったのか目が泳いでいる。

 俺も不本意だ。

「これこれこういうことなんで、ライブをするのはもうやめていただけませんか? なんて要求できる権利を持っている人は世界中どこを探してもいません。警察に通報しても笑われるだけでしょう」

「このまま指を咥えたまま傍観者になれってことですか」

 傍観者……ははっ。

 あの夜の決意はどこへ行った。傍観者にはならないってカッコつけて決心したのはどこのどいつだ。

「……この日本全体を守るのは俺のキャパシティを超えています。だからせめて身近な人は守りますよ。古谷さん、あなたがその一人です」

 このままなにもかも諦めたら失望されるかもしれない。そうさせないためにはこれしかなかった。

「ありがとうございます。安原さんが誠実な人なのはもう十分、分かっています。私も協力しますのでもう少し頑張ってみません? 橘さんだってステージでは悪魔みたいなオーラですけど、そこから降りたら絶対に根は良い人だって分かるんです。あんな風に能力関係なくお客さんの心を動かすライブをする人ですし。何より超能力は善人にしか宿らない。独裁者じゃないんですから説得できる道はあるはずです」

 これはどう捉えたらいいんだろうか。まぁ、古谷さんと共に一つの目的に向かって行動するのは悪くないな。

「そう、ですね……やりましょうか。最悪ライブをやってもこれ以上、人気者にならなければ影響は最小限に抑えられるかも。幸い規模的には一番小さいです……あっ」

 このライブにはカメラが設置されていたんだった。

「どうしたんです?」

「……今日のライブ、数台のカメラで撮影されています。ほぼ百パーセント今日のライブはYouTubeで公開されて、ネット上に出回ります。そうなったら……」

 インターネットによって届けられる範囲、影響力、拡散力はもうご存知の通りだ。

 事は既に一刻を争う事態になっていた。

「なにこれ、空が青いよ!」

 ある通行人が仰天している。

 俺達二人もつられて空を見上げる。

「き、綺麗……」

 古谷さんがうっとりしたみたいに囁いた。

 渋谷の空が、青く染まっていた。点々とある青い光の粒はあの蝶ではないだろうか。

「なんかオーロラみたいじゃない」

 また誰かが興奮して言う。

 この東京のど真ん中でオーロラが観測されただと。そんなわけあるか。

 これは、世界が変わるかもしれない。

 俺が想像している以上に。


 熊谷さんに連絡をしてライブハウスからほど近いカフェで合流することにした。

 店内に入ってきた熊谷さんはふらふらしていた。席から立ち、居場所を教えるため手を振る。

「はぁ〜ライブお疲れ様でした。工藤君があんなドラム上達しているなんて、どれだけ練習してたんですかね」なだれるように席に座る熊谷さん。

「熊谷さんも前へ行って盛り上がっていたんですか?」

「はい。もうロープで捕まえられて引っ張られると言えばいいのか、磁石みたいにくっ付いてしまったと言えばいいのか……」縦長の席に横になってこのまま眠りに落ちてしまいそうだな。

「それが橘さんの力なんです。熊谷さんの推測通り橘さんは自分が望む行動を促して他人を奮い立たせることができるんです。あとは能力者の力を醒まさせる、さらに引き出す力まで付いています。こっちが本領でしょう」

「やはりそうでしたか。これは橘さん、このままスター街道へ真っしぐらですね」

 これによってどうなってしまうのか想像できていないようでもどかしい。

「それだけなら構わないんですが、このまま橘さんを大勢の前で歌わせたりすると、かつてないスピードで超能力者が出没することに繋がります。数が多くなればなるほど逸脱したことをする人が出てくるのは必然です。それでまた憎い人に制裁を下したら……」

「それでもいいんじゃないですか」

「えっ」

 賛同してくれるだろうと見込んで話したのに反対された。古谷さんは思ったより傷ついてたのかもな。

「傷害、殺人事件なんて超能力がなくたって年に何回も起きているんです。ただその手段が増えただけなんですからそう重たい話にしなくても」

 なぜ超能力を使用した暴力だけを食い止めないといけないのか?

 その問いかけに言葉が詰まる。

「そんな。少しでも被害がなくなるならそれにこしたことはないじゃないですか」

 古谷さんがたまらず口を挟む。

「この方は古谷さんで、僕達と同じ仲間です」

「申し遅れました。古谷里英ふるやりえと申します」頭を下げる古谷さん。

 初対面の相手を前にいつまでも横たわってはいられないと思ったのかむくっと起き上がる。

「なにも殺人とかを肯定しているわけではありませんよ。私だって安原さんが万が一にも手を下しそうになったら一旦は思い留まるよう働きかけます。ただいち個人ができることってそのくらいで、これから危惧している事はそれを大きく上回ります」

「その範囲を狭くするために橘にはもうライブはしてほしくないってことなんです。これなら俺達でもできる」

 いよいよ橘、と呼び捨てにしてしまった。本人の前では無理なのにな。

「う〜ん、あそこまで手応えあるライブをやってもう止めろは酷ですよ。それが直接の原因で犯罪に手を染めさせるわけではないですし。警察だってそうでしょ? 現時点で緊急性がなければ動いてくれません」

 さっきの俺とほぼ言っていることは一致している。

 そうなんだけど、「それは一理あります。ならせめて今日のライブ映像をネット上に公開することだけはやめていただくことはできないでしょうか? 映像でも橘が存分に能力を発揮しながら歌っている所を観たら多分同じようになります。ネット上だと誰でも、ファンでない人もお手軽に観れてしまいます。これでは範囲が日本どころか全世界に及びます」

 譲歩するならこれしかない。これが駄目なら敗北を意味する。

「なんか新手のウィルスみたいですね。この映像を観た人は洗脳されるみたいな。面白いことになりそうだと思いません?」

「面白いことって……」

 あのおとなしい熊谷さんが別人みたいだ。不穏な未来が訪れるかもしれないのになぜ楽しそうなんだ。

「保証します。無惨な犯罪は起きません。弱者を標的にしたり、ストーカー殺人など被害者があまりにも気の毒な犯罪は。狙われるのは器は小さいけど態度だけはでかい、女性にセクハラをする人間や既得権益に胡座をかいている権力者等です。それならいい気味でしょ? 橘さんがそう実行したじゃないですか」

 シーンと静まりかえる。熊谷さんは反応を待っているだけなのかもしれないが。

「なんでそう言い切れるのですか?」今度は古谷さんが挑む。

「だって、橘さんはちょっと接しづらいですけど、ここまで会えた超能力者みーんな優しい人です。古谷さんも一目でこの人なら安心できるって不安はありませんでした。きっと特別な力を持っている人は皆、良い人なんですよ。なのに、そんな良い人過ぎるとこの世の中では悪人、詐欺師、権力者にこき使われる、騙されて大損してしまう。ならそれを変えていきましょう。微動だにしなかった大きな山が動くかもしれないんですよ。ワクワクするじゃないですか!」

 なんて素敵なんでしょう、と上品な奥様が満面の笑顔で言うノリに近いものがある。どうしてしまったんだ熊谷さん。

 だが、その通り超能力は善人にしか宿らないはずだ。

 ——内なる声が言う。お前は誰だ。

 その旗を掲げるために橘はいるのか?

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