扇動者(4)
次の土曜日。
俺はまた渋谷駅にやって来た。
今日は橘が組んでいるバンドのライブがある。それに誘われたのだ。
別の仕事をする傍ら趣味でやっているようなバンドならそこまでお客さんは来ないだろうと思っていたが、チケットはソールドアウトしているみたいだから侮れない。アマチュアで活動しているバンドが三百人ほどが入るライブハウスを埋めることができるのは上出来すぎると地下アイドル好きの俺は理解している。
しかも今日は工藤君がドラマーとしてステージに立つ。どんなライブになるのか色んな意味で楽しみでしょうがない。
開場十分前にライブハウス前に着くと長い行列ができていた。
その顔ぶれを見ると女性でほぼ占められている。高校生、大学生と若い人もいれば、二十代後半から四十代くらいの人もいる。
橘おそるべし。
地下へと続く階段の前には熊谷さんがぽつんと立っていた。挨拶をする。
「すごいですね。こんな人気があるなんて」
「工藤君というスポンサーを手に入れたんで、けっこうお金かけてミュージックビデオを数本作って、それをYouTubeに上げたら好評だったんでその効果でしょうね」
なによりお金だよね、やっぱり。
「しかも今日のライブはカメラが入るんで、プッシュしていきたい何曲かは撮影されるんです。ここまでくると規模は小さくてもプロと大した差はない体制ですね」
気合いの入った準備を聞かされると開場となった。列が動く。俺と熊谷さんは関係者枠だから一般の人が入場した後に入れることになる。
中へ入ることができたのは開演十分前だった。
始まる前から大音量でロック調の音楽が流れている。薄暗いフロア。沸騰前のお湯のような熱気がある。
「ドラムすごい豪華ですね。台まであるし」後方からの見物になるがドラムが台に乗っかっているため全体像を拝めることができた。
ツーバスに、シンバルの枚数もやたら多い。
「あんなの宝の持ち腐れですよね」使いこなせるわけがないと、熊谷さんは苦笑い。
客電が落とされた。腕時計をみる。
灯されている針の位置から開演時間ぴったし。時間は守るバンドだ。
(まさか、あれ工藤君?)
最初に出てきたメンバーがドラム椅子に座ったのでそうなんだろうが、なんと上半身裸で黒っぽい鉢巻? ヘアバンドか、そんな物も装着していた。
座るやいなや工藤君がドラムを叩き始めた。
独特な叩き方だ。
両手はクロスさせてビートを刻む、それが一般的な叩き方だと素人の俺はイメージしていたが工藤君は両手を広げて、スネアドラムのみならず前に設置されてある三つ、真横にある一つのドラムを交互に一定の回数を叩き回しながらリズムを刻んだ。その音は高めにチューニングされた音と低音の音がバランスを計算されているように鳴る。
タタッタン、タンタン……。
そんなリズムがしばらく繰り返し響き渡る。
時おり小さなシンバルを繊細に叩きアクセントを付けているのが憎い。よくよく見たら左に立っているシンバル類が上下にずっと動いている。あれって二つに分かれるんだと初めて知る。
どうやって動かしているんだ? あっ踏んでいるのか。左足の動きと連動しているため気がついた。器用に叩いているんだなー。
他のメンバーも左の袖から登場。
スタンドに掛けられているギター、ベースを肩にかけた。
最後にボーカルの橘。髪型が左のサイドに編み込みがされていてロックバンドの名に恥じない風貌だ。
ドラムだけが鳴っている。メンバーが登場したのに拍手も起きない。
いや、これは起こせないんだ。
永遠に聴いていられる、それも大袈裟ではないくらいこのドラムには吸い寄せられる魅力がある。
サングラスをかけているギターの人が頭を揺らしながらドラムを窺っている。唐突にシャラシャーラと鋭い切れ味のギター音が加わった。
……真っ暗闇の洞窟に一筋の光が二つ。そこには鎖に繋がれた太い両手が垂らされていた。
そこにまた一つの光が胴体をさらす。なんてバカでかい巨人なんだ。
ブォーン。
すぐさま低い唸り声で共鳴した。ベースの音だ。
今度は巨人の両足を照らす。
巨大な足が一歩、前に出た。ベースが本格的に地中から這うようにうねる。
三つの楽器が重なったことにより曲の輪郭がはっきりした。
封印されていた赤い巨人のおでましだ。
あとは雄叫びを上げるのを待つだけ。
三人の演奏が始まり橘はにんまりと嬉しそうだ。ギターの人に向かって親指を立ててグッドサインを送る。
改めて左右にアイコンタクトを送る。そしてドラムにも……。
タン!
その渾身の一打を合図に橘がマイクに歌声を乗せた。
怪物の咆哮。鎖は千切られて襲いかかる。
彼の世界観、物語が長い絵巻になってステージ上に巻きついている。
が所々、苦しそうに歌っているのはどうしてなんだろう。
ドラムを気にする仕草。
固定された視線を移動させると工藤君の背後には……大量の青く輝く蝶がわき出ていた。
黒くない、青白く光っている。
橘はあの絵図を背に歌っている。
ボーカルがドラムの演奏に圧倒されている。
それに負けまいと橘も己の全てを出し切らねばならないと焦らされているのか。
バンドとはなにも
間奏。ギターソロに入った。
照明で汗が光り一曲目から橘は汗だくだが、命を削って歌っているとはこのことではないだろうか。
演奏が一旦、休符になる。
橘は天を仰ぎ声を張り上げた。
マイクを通していないので歌声は聴こえづらいがこれはこれで演出としてありなんではないかと、画になっていた。
再び演奏が始まるとラストスパート。
泣き叫ぶように橘は歌っていた。
なんとかやり切ったというようにボーカルのパートを終えると背を向ける。橘は腰に手を当てて工藤君を見つめている。その背中はなんだか物悲しそうだ。
あとは徐々にフェードアウトしていく。
ギター、ベースの順に光は消えていくが、ドラムだけは灯っていた。
この曲を支えていたのは俺だと誇示しているかのようにタン、タンと腕を天に振り上げて叩いていた。そして……。
タタッタンタンタッタン!
と締めるとバックに設置されていた照明が全て青色に光り出す。
眩しい。時空が歪んでいるようだ。
そこから渦が発生して、ここにいる全員が吸い込まれる……。
数秒の間。俺は……。
「工藤ーかっこいいぞー!」
渾身のコール。それに続けと誰もが、
「橘さーん!」「一馬くーん」「たくみー!」
と他のメンバーの名前も次々と叫ばれた。
フロアはおしくらまんじゅう状態。
ライブではモッシュとも称されるのだろうが、てんやわんやとなる。
フタにストローが挿されたペットボトルを手に橘はこの様子に満足そうだ。浸るようにこの歓声に耳を傾ける。
「皆様、本日はようこそいらっしゃいました。今日は新しいメンバーも加わっています。楽しんでいってください。じゃあ早速、次の曲いこっか」
キャーと黄色い声援というやつ。
が、俺も「熊谷さんこの鞄お願い」と荷物を託して奇声を発しながらあの大車輪の渦中へ。
曲は予習していなかったがそんなのは問題ではなく思うがままに飛び跳ねた。こんな騒ぐのは人生初じゃないか。
曲によっては頭上を何度も人が転がったりとカオスだった。
でも、なりふり構わずはっちゃけられる場を心の片隅で所望していたと、その殻が破れた。
この狂騒を味わうことなく生きるなんて絶対損している!
「お前らぁ、まだいけんだろう! ここで騒がなかったらどこで騒ぐんだよ。今日はぶっ倒れるまで全部出していけぇ!」
煽る橘。それに従う群衆。
ここまでくると女も男も関係ない。ただの暴徒と化した。
スタッフが腰を低くして袖から出てくる。
橘に拡声器が手渡された。
「こっからラストまで突っ走るぜっ!」
橘の声がノイズ混じりになった。
急に吹き荒れた突風の音で俺は催眠術から覚めたみたいだ。そして青ざめる。
やっぱり、お前だったか。
拳を突き上げる観客をよそに一歩、また一歩と後退りした。
俺の観測能力が危険を告げる。こいつは要注意人物だと。
ずっと後方からこのライブを眺めていた横の人は不思議そうに俺を見つめていた。なんでここで冷めてしまったのかと思ったか。
熊谷さんがいない。
まさか、あの熊谷さんもあの渦に。
ちょうど足元に預けたはずの鞄が置き去りにされていた。
肩に手がかかる。
振り向くとそこには古谷さんがいた。
さっきから俺を横から見ていたのは古谷さんだったか。とても深刻そうだ。涙目になっている。首を振り前方を見るように促す。
幾分か冷静になり場内を見渡してみるとそこら中にあの蝶が息づいていた。
ここはいつから蝶の楽園になったんだ。それだけじゃない。
橘は覚醒していた。とてつもない強大な力を発揮している。
扇動者——
橘にはその力が備わっていた。
工藤君の蝶の色が鮮やかに色づいたのもそのせいか。
じゃあ俺も……。
なぜ俺は橘を扇動者と瞬時に命名したのか?
そんなの決まっているじゃないか……。
この中から何人の超能力者が生まれるだろうか。
蝶はここにいる全員に宿っただろう。
橘との相乗効果はどのくらいだ?
風の音が一層、強さを増した。吹雪かってくらい冷たい。
冷たいだと。この熱気の中で。
音だけではなく温度を感じ取れるようになった。
これが橘の力か。
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