未来予知(1)

 これでいいのか?

 と、しこりが残ったままでも俺はやもなくこのタワーマンションを後にした。

 朝に余裕のある社会人などそう多くはない。

 工藤君は全力で手を振って見送ってくれた。

 この一見、冴えなさそうな男はもう朝の通勤ラッシュとは無縁の生活を送っているのかと思うと学校で教えられた生き方には不信感も募る。

「頑張ってください! きっと安原さんの望みも叶うと思います」

 どういうつもりなのかはっきりしないあの一言はなんだったのか。特別な意味はないと流すこともできるが。

 一応、熊谷さんと連絡先を交換したが次にまた会えるのはいつかと問われれば、そうそう頻繁に会うこともないだろう。あっちは自由気ままに暮らしているがこっちはそうはいかない。

 超能力についてもっと知りたがっていたけど、それを共有したところで何になる? そんな虚無感も芽生えていた。それだけ工藤君の昨日の振る舞いには、もうどうてもよくなってきたと投げ出したくなる何かがあった。

 今を全力で生きている——プラス思考の見方ならこんなところだろうか。数時間、数分後のことさえ気にもとめず今、目の前にある事に対して全力アクションを起こしている。

 小さい頃はこんなもんだったかもしれないと懐かしささえする。ある意味、羨ましい。

 この二人と会ったことは他の人にも報告するべきか。

 気が向いたら、後回しでもいいかな。捨て台詞にも似た言葉を胸に俺は今日も労働に勤しむ。

 いま全力で取り組むべきことはこっちだと急かされたように。

 はっきりしたのは俺の一番の望みは超能力の全容解明ではない。物珍しさに惹かれたものはあったが、それで金になるわけではないし。

 これまでの小さな積み重ねはなんだったのだろうとぐらつきもする。趣味のつもりで気楽に関わっていけばいいのかな。

 今日はある店舗に順次、導入することになったタブレットを渡すべく支社から出向くことになった。そのままの流れで帰宅していいことになり早めに帰れるので俺の気持ちは幾分か晴れる。

 インストールされているアプリの使い方を一通り教えて、マニュアルも渡す。現場勤務のマネージャーからいくらか小言をぶつけられるも今日の勤務はこれで終了。うちが管轄の店舗もどんどん紙からデジタル機器に作業が集約されていく。あとは現場の人達が使いこなせるかだ。パスワードを忘れたから使えなくなったなんて報告が当初からチラホラある……。

 帰りの電車内は空席が目立つ。窓から太陽が沈むのを前に弱くなっている陽も差し込んでいる。こんなゆったりと座りながらいつも帰れたらどれだけ楽だか。

「おっ安原?」

 声をかけられる場所ではないと決めつけていたので空から隕石が降って来るような衝撃を受けた。

「そんな驚かなくても」

 斉藤だった。昨日はもしかしたらもう会えることはないんじゃないかと悲観的になっていたがえらく早い再会だ。車両間の移動を止めてドスっと隣に座ってくる。

「帰りこんな早いの?」

 今日はたまたまだと話した。「そっちこそ。あれ、そういえば今日、休みじゃなかったの」

 へへへっと下品な笑いをする。何か面白いことでもあったのか。

「いやね、悲しいことなんだけど、けど笑っちゃうのは人間ってやっぱ残酷な生き物だね〜」もったいぶらず早く本題に入れと内なるツッコミ。

「うちのね、最悪な上司が昨日、家で倒れて救急車に担ぎ込まれたって情報が流れたの。まだ息はあるみたいだけどかなり危険な状態だとか。これでさっき言ったことの意味がわかったろ。一人の人間が生死の境をさまよっているのに部下の人達はみんなこれで職場に平和が訪れるかもってにんまりしていて。ひっひっ」

 うっ。ズズッと頭にノイズ混じりの鋭い音が横切った。

 最悪な上司……このワードに反応したかのように脳内にある映像がザーっと再生された。

「そんな大きい会社じゃないから、一人の社員がもしかしたら今日にも亡くなるかもしれないっていうのは一大事なの。緊急、招集された後にお見舞いにも行った」

 ……真っ赤に染まっている空の下に歩道がある。スーツを着た男の背中。肩を落としてフラフラと歩いている。やがてつまずき受け身を取ることもなく横に倒壊するように倒れて歩道からはみ出る……そして——

「うわ!」

「どうしたの」人目も憚らず叫んでしまった。今のはなんだ。

 すかさず車内を見回す。探している人がいるわけでもないのにじっくり観察した。

「ねぇ昨日、帰りに乗った電車、覚えている?」

「いきなりなに。昨日、乗った電車? 確か十一時……」

「そういうことじゃなくて。いま乗っている電車って、昨日と同じかな」ようやく質問の意図を理解したらしい斉藤は声を荒げる。

「いや、そんなの覚えているわけねーだろう。ってかどうやって見分けるんだよ。あっ、この電車、昨日と同じ型番だ、偶然だな〜ってか。鉄道オタクじゃあるまいし」

 答えられるわけがないことを聞いたのは重々、承知している。その上で俺は抑えることができなかった。

 斜め向かい側の席……あそこの真ん中あたりにあのおっさんは座っていた、はず。その残骸が漂っている。

 駄目だったか。

 いや、これから起きるのか。いつなんだろう。今日、明日? 

 橘と連絡が取れるのはあの二人しかない。確証を得るためには。

「あっ」

 ぽとんと水滴が落ちるような声。斉藤はちょっと前からスマホをポケットから取り出して批判の矢はパタンと止まっていた。

「……ダメでした。職場のグループLINEにメッセージが来てつい先ほどお亡くなりになったとのことです」

 スマホの画面を俯き気味に見つめたまま固まる斉藤。卑しい目つきがどこか丸くなっているのは気のせいではないだろう。

「残念だったね」俺はありきたりな言葉しかかけられない。

「気まずくさせちゃってわりぃ。さっき職場からいなくなって平和になるかもって言ったけど、いざこうして職場どころかこの世からもいなくなったってなると、さすがに喜べないよな」

 周囲から嫌われていた人間でも死までは求めていなかった、そりゃあそうだ。

「けどさぁ、いなくなってくれた方が絶対にみんな余計な緊張せず働けるのにっていつも心にあったわけ。そういう人ってどうすれないいんだろうな? 転職したってまたそこで似たような扱いを受けるなら結局、苦しむ人が変わっただけで根本的な解決にはなっていないし。改心させる? そんなの俺たちの仕事じゃねーよって投げやりになって我慢するしかない」

 今日、出向いた店舗でもマネージャーは同じような悩みを抱えていた。アルバイトからあの人をなんとかしてくれと懇願されてもそんな時間は俺にはない、おたくの方で相談窓口でも作って対応してくれませんかね? と愚痴も混じって頼まれた。

 集団の和を乱す人でも働かなきゃ生きていけないけど、そんな人はなるべく採用したくない、辞めてほしいと願うだろう。

 ではその人は社会から弾き出されてのたれ死ぬしかないのか?

 だったら……どうせ死ぬなら……。

 集会のように多くの人々がどこかの広場に集まっている。車の屋根に立ち拡声器を持った男が右腕をしきりに動かしながら何かを訴えている。背後では何かが燃えているのか炎と空高く昇る黒煙。

 これもなのか?

 その群衆の中に熱狂の拳を突き上げている斉藤が居た。


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