バタフライエフェクト(7)

 チャイムが鳴る。「あっ、来たかな」

 来た、誰が?

 まさか。

「工藤君ですか?」それしかないが一応、確認してみた。「はい」と力のない一言が返ってきた。

 別に工藤君がここへ来ることは不思議なことではないけど、いきなりやって来ると聞いて心の準備というものが出来ていなかった。

 ある種の破天荒な人生を聞かされた手前、俺に対してはどう思うのか、部外者だと追い払われないのかそこが気がかりだった。「俺が居て大丈夫ですかね?」明かに動揺していた。

「大丈夫ですよ。言ったじゃないですか。蝶が見える人には悪い人はいない、歓迎してくれると思います」

 安心したわけではないが、邪険には扱われなければいいか。

 まてよ、そういえば……。

 キッチンに設置されてある受話器で何かを告げた熊谷さんが戻って来て俺は、「もしかして、俺達の乗っていた電車の中に工藤君もいました?」

「気がついていましたか。はい、とあるミッションを遂行するために私達二人は乗っていました」

 とあるミッション? 不穏な煙がゆらゆら出てきたような感情がわき、顔が硬直する。

「この部屋は名義もそうだし実質、工藤君のものなんだから勝手に入ってくればいいのに、未だに暗証番号忘れるのが怖いとか言って私が居る時じゃないと入れないんですよ」

「頭が良いのに覚えらないんですね。ところでミッションというのは?」

 もはやそっちの方が気になって小さな不満話など聞く耳を持てなかった。

「それは……工藤君が来てから話すか決めます」

 もう一方の同意がないと話せないような秘密事項らしい。車内で何をしたのか。

 あの後ろ姿が工藤君だとするならもう一人、あとから来て声をかけた人物もいたよな。

「もう一人、いましたよね? 追っかけて来て工藤君に親しそうに絡んでいた人も目撃したのですが」

 熊谷さんは押し黙る。マグカップに手を伸ばして残っている飲み物を口にしようとする前に口を開いた。

「これは教えてもいいですかね。その人が今回のミッションの依頼者みたいなものです。彼は高校時代の同級生なので私はよく知りません。最近、偶然バッタリ出会ってまた交流するようになったみたいなんですけど、蝶が見えるみたいなんです。それが基準で工藤君は心を開くか決めているのは先ほども申した通りですが、こう言っては失礼ですが、私にはどうもあの人は本当に無害なのか疑わしいと思っているんです。現に工藤君に、あんな依頼をした」

 俺はその依頼とはどんなものなのか確認は取れていないが、ほぼ決めつけていた。

 使——これは越えてはならない一線だ。もちろんそんな法律もルールも存在するわけないのだが、かつては自然と守られてきたと小野さんは語った。

 それもひとえに超能力は宿と信じているからだ。

 が、それがここにきて変わり始めているかもしれないと最後にほのめかしていた。……。

「蝶が見えるってことはその人も……」

「その人のお名前は橘一馬たちばなかずまさんです。背が高くてサッカーが上手い。絶対に学生時代から女の子にモテていたんだろうなっていうくらいイケメンです。そんなタイプの人とは私には縁がないので正直、どう接していいのか戸惑っています。それは工藤君も似たようなもので。工藤君はもう親友みたいに思って気持ち悪いくらいベッタリしていますけど、橘さんはなんであんな変わり者と仲良くなろうって決めたんでしょう。あんな異人種同士が肩を並べて歩いているのをずっと不思議に思っています」

「そのきっかけは何か聞いていますか?」

「少し話してくれましたけど橘さんは高校生の時に唯一、自分を面白い奴だなってポジティブに捉えて、敬遠することなく会話が弾んだ人だそうです。それが嬉しくてたまらなかったのに、橘さんは高校を無言で中退してしまってその関係は長く続かなかったんです。それにはひどくショックを受けて卒業後もずっと心配していた中での再会。舞い上がって喜んだそうです。しかも今度は蝶が見えていると知る、これで協力しようって気になったんでしょうね」

 近寄り難い空気のある工藤君を肯定したか。これだとどんな人でも頭ごなしに避けるのはやめようと良識ある人に思われるが。「高校時代は橘さん、蝶が見えていなかったんですね」と気になるところを指摘した。

「そういうことになりますね。ってことは蝶が見えていないにも関わらず工藤君と親しくなれた第一号は橘さんなのかもしれません」そこらへんをあまり意識していなかったとも取れる反応をした。

 ほんとに高校生になるまで友人と呼べる人がいなかったのなら彼なりの苦しみがあったんだなとしみじみ。

「工藤君に友好的な態度を取った人なのに、熊谷さんが不安を抱えるのは橘さんが気に入らないと思う人に危害を加えるよう頼んだからですね?」

 ハッとして首を上げる熊谷さん。「見たんですね?」

「はい」と頷く。

「たまたま同じ車両にいました。あの黒い蝶が中年男性の頭上に飛び回っておりその直後、嘔吐した。なかなかに直視できない光景でしたよ」

「そんなことしたんですね」実際に見たわけではない熊谷さんの方が参っている様子だ。ショッキングな話にはめっぽう弱いのだろう。

「どういうことなんですか。あの蝶にはそんなことも可能にする力があるんですか? これだと狙いを定めた人にあの蝶を飛ばせば攻撃できるに等しい能力になっていますよ」

「その点は私にも詳しく分かりません。あの二人が何を話し合ってそんなことが可能だと判断に至ったのか」

 そうだ。その橘という男と出会ってこんな使い方をしたんだ。依頼したのも橘。なにを閃いてバタフライエフェクトの新しい側面を見抜いた?

「何か工藤君が橘さんのことで気になることは言っていませんでしたか? バタフライエフェクトの別の秘められている力を発見したとか」

 超能力とは——

「バタフライエフェクトの別の秘められた力?」

 全貌はまだ見えていない。その線を問いただして混乱してしまっている。無理に答えさせるのは悪いか。それでも熊谷さんはなんとしても意見を述べる必要がある義務感に駆られたらしい。

「気になることと言えば……橘さんって二回ほどお会いしたことがありますけど、他人のやる気を引き出すのが上手いんですよね。特別に言葉選びが上手いわけでもないと思うんですけど。はたから話を聞いている私でも声を聴くだけで胸がドキドキして気分が上がることがあります。それをもろに浴びている工藤君はなおのことで、興奮剤でも摂取したのかのようにハイになって……」

「工藤君が何をやる気になったんですか?」

「楽器のドラムを橘さんが組んでいるバンドでやることになったみたいです。どうしてもドラマーが見つからないってことで。楽器なんて興味持ったこと一度もないはずなのに、ものの数分で説き伏せるなんて大したものだって感心しましたね」

 会ったことはない俺でもここまでのエピソードの数々でバンドを組んでステージに立つ人とはとてもイメージできないのは同意見だ。

「で、何が言いたいかというとモチベーションがアップしたことによる効果で超能力のレベルが上がったなんてことはないですかね? 先ほど申しましたよね。年齢を重ねると能力に目に見える変化があるって。それをレベルアップと仮定するなら、その条件は他にあってもおかしくないと思ってみたり。ゲームでいう能力補助系の魔法、アイテムみたいな。その力を橘さんが持っていると」

 他人の能力を引き上げる手助けをする……有り得る。

 まだこちらの勝手な想像の能力だがバタフライエフェクトみたいな破格な能力もあるなら、もうどんな能力が潜んでいても否定することなんてできない。

 チャイムが鳴る。「あっ、来たかな」

 夢中になってしまい工藤君がこの部屋にやって来ることを忘れていた。

「随分、遅かったですね」

「多分また階段使ってここまで来たんだと思います」

 さすがは工藤君だ。

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