Phase 10 汚染
膨大な資料を抱えて自宅に戻った僕は、早速スクエアファイナンス、もとい山谷組が行っているマネーロンダリングを洗い浚い調べることにした。事実、山谷組が関わっていたマネーロンダリングは山崎重工業のみならず、神戸に本社機能を持つ会社の約3割が山谷組と何らかの接点を持っていることが判明した。特に金額が大きいのは山崎重工業だったのだが、件の1000万円は氷山の一角に過ぎなかった。山崎重工業が行っていたマネーロンダリングは、山谷組を経由してパナマやヴァージン諸島といった諸外国に資金を転移させるという卑劣なものだったのだ。
一連の資料に目を通したら、既に夜が明けようとしていた。朝日が眩しいと思いつつも、僕は仮眠を取ることにした。
夢の中で、僕は四隅行雄から拳銃を突きつけられていた。
「古谷善太郎、お前には死んでもらう」
「どうしてだ」
「山谷組の『掟』を破ったからだ」
「そうか。まあ、ヤクザの掟を破ったら、僕は死ぬしかないな」
四隅行雄は拳銃の引鉄を引く。乾いた銃声が、辺りに鳴り響く。視界が血で染まっていって、死んだかどうか分からない。ただ、僕のスマホの着信が鳴っているのは分かっていた。
――なんだ、夢か。
スマホの時計を見ると、正午を過ぎていた。仮眠を取り始めたのが午前6時なので、約6時間寝ていたことになるのか。なんだか、刑事として仕事をしているときよりも、夢の中で疲れてしまうのも変な話ではあるのだけれど。
それから、僕は改めて山谷組と山崎重工業が行っていたマネーロンダリングについて整理することにした。
山崎重工業が行っていたマネーロンダリングは、世界を股にかけた卑劣なものである。四隅行雄が行おうとしたクレディ・スイス香港支社へのマネーロンダリングは氷山の一角に過ぎず、クレディ・スイスの本社にはおよそ10億円の資金が預けてあったようだ。これは、神戸どころか日本を揺るがす経済事件だ。僕は、大泉警部に山崎重工業を告発するように依頼した。
「大泉警部、少し話がある」
「古谷君、どうしたんだ」
「山崎重工業のマネーロンダリングの仔細が分かった」
「それは本当か」
「本当だ。じゃなければ電話しない」
「詳しく教えて欲しい」
「分かっている。山崎重工業はクレディ・スイスの香港支社に5億、そして本社に10億の資金を預けていた。これは日本の法の抜け穴を突いた卑劣なものだ」
「なるほど。それで、山谷組はどのフェーズで関わっていたんだ」
「山谷組が関わっていたのは、どうもスクエアファイナンスが関係しているらしい。スクエアファイナンス自体はよくあるヤクザのヤミ金融業者だが、それにしては不自然な点が多い。潜入捜査の中で懇意にしてくれた銀行事務員に櫻木恵美子という女性がいたが、彼女はどうも訳ありらしい。スクエアファイナンスに入社した理由は『好条件』と言っていたが、彼女の家に電話したら『この電話番号は現在使われておりません』というアナウンスが流れていた。つまり、彼女は山谷組のサクラだ」
「山谷組のサクラ? 一体どういうことだ」
「もしかしたらマイナンバーカードに家族情報とかが記録されているかもしれないと思って彼女のスマホの住所に書いてあった兵庫区役所の戸籍情報を見たが、櫻木恵美子という人物の戸籍情報は存在してなかった」
「つまり、古谷君は櫻木恵美子に騙されたということになるのか」
「その通りだ。僕は彼女にまんまと騙された。そして、僕は確信した」
「一体何を確信したんだ」
「櫻木恵美子と円愛梨は同一人物だ」
「櫻木恵美子が円愛梨!? 彼女は毒殺されたんじゃ」
「これは仁美から聞いた話だが、円愛梨だったモノのDNAデータに不自然な点が見つかった」
「その件に関して、西田君は何と言っていたんだ」
「僕と仁美が見た円愛梨だったモノは、山谷組が用意した全くの別人だ。つまり、あの時毒殺されたのは山谷組で始末するつもりだった女性だ」
「その女性って、まさか……」
「山崎重工業のマネーロンダリングを告発しようとした社員だ。SNS上で彼女のユースタグラムを見たが、ある日を境に更新が止まっている」
「名前だけでも教えてくれないか」
「一回しか言わないからよく聞け。山崎重工業を告発しようとした社員の名前は、
「佐伯静枝か。山崎重工業に同名の社員がいないか、急いで問い合わせる」
「頼んだ」
佐伯静枝という女性は、なんというか、僕の昔のガールフレンドだ。神港中学校の2年生の時に、たまたまクラスで隣の席になったことによって親交を深めるようになった。静枝の父親は、バイク好きが転じて山崎重工業でバイクのエンジニアを担当していた。父親の仕事を継ぐのが彼女の夢だったらしく、就職活動で再会した時は山崎重工業の面接試験を受けると言っていた。結果的に、縁故もあって彼女は山崎重工業に就職。そして、僕はスクエアファイナンスへの潜入捜査を行う上で彼女と出会う機会を得た。
「すみません、スクエアファイナンスの古谷善太郎と申します。今日は現金の回収に来ました」
「ああ、四隅さんのところの社員さんですか……って、善くん!?」
「君は確か……静枝か?」
「そうそう。佐伯静枝。よく覚えていたね」
「まあ、凡人よりも記憶力は良い方だ」
「それで、なんでこんな所にいんの?」
「まあ……色々と訳ありで」
「そうだったのね。それで、四隅さんからのおつかいを頼まれちゃった感じ?」
「そうだ。1000万円を用意してくれ」
「分かった。ちょっと待っててね」
まさか、あの時の事務員が佐伯静枝だとは思わなかった。そして、僕の仕事を見て、彼女は山崎重工業のマネーロンダリングの告発に踏み切ろうとしたのだろう。そして毒殺された。天国の彼女には申し訳ないと思いつつも、僕と大泉警部は山崎重工業の告発準備に踏み切った。
――その後に何があろうとも、僕には関係のない話だった。
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