Phase 09 鬼と虎

 3月10日。それは四隅行雄が帰国する日である。

 僕は、伊丹空港で手錠を持って到着口の先で待ち構えていた。もちろん、大泉警部からの許可は得ている。しかし、四隅行雄が黒老虎から狙われているのは紛れもない事実だ。特にナンバー1である張流星は危険人物だ。彼についての素性すじょうを調査していたが、心斎橋での宝石強盗事件だけではなく、とある企業に対するカルテルや、違法薬物の取引にも関わっていたようだ。これだけでも、張流星を許せるとは思わない。

 やがて、恰幅の善い銀髪の男性が到着口に現れた。四隅行雄だ。僕は、手錠を四隅行雄の腕にかけようとした。しかし、後ろから「何か」を突きつけられたような気がした。


 ――まずいい! 拳銃だ!


你要逮捕他嗎彼を逮捕しようというのか?」

 スキンヘッドの男性は、中国語で何かを話していた。僕にその意味は理解できなかったが、少なくとも四隅行雄への逮捕状について疑問を呈していたようだ。僕は、男性に日本語で話すように伝えた。

「中国語はさっぱりだ」

 男性は、流暢りゅうちょうな日本語を喋りだした。

「悪かったな。ここは日本だ。ならば、日本こちらの言葉で話すべきだな。俺の名前は張流星だ。お前はもう知っていると思うが、俺は黒老虎のナンバー1だ」

「そのくらい、知っている。それで、どうして僕の仕事を妨害するんだ」

「当然だ。こちらにはこちらの義務がある。四隅行雄を逮捕するわけにはいかない」

「そうか。なぜ逮捕出来ないんだ」

「悪い、僕は警部から『四隅行雄を生きた状態で豚箱に送るように』命令されているからな。君の意見には反対だ。それで、聞きたいことがある。香港で1000万円を四隅行雄から強奪したのは本当か」

「本当だ」

「どうして、そんなマネをしたんだ」

「香港において、日本のカネは信頼性が高い。それで、我々のマネーロンダリングの資金に活用できないかと考えた結果、四隅行雄から強奪することにした」

「でも、結局彼は取り戻したみたいですよ?」

「そのようだな。そして、そのカネはクレディ・スイスに預金されている」

「それでも、僕を殺すのか。そして、そのまま四隅行雄も殺すのか」

「それはどうだろうか。もしかしたら、お前は死なないかもしれないし、四隅行雄だけを殺すという可能性もある」

「上等だ」

 拳銃の引鉄ひきがねが引かれる。僕の心臓の鼓動が、早鐘を打つ。拳銃は頭に突きつけられているので、このままだと僕は即死だ。僕を殺したところで、何かが解決するわけじゃない。むしろ、状況は悪化するだけだ。

「お前を殺す前に、名前だけは聞いておこうか」

「僕の名前は古谷善太郎だ。とある事情で兵庫県警を追放された、鬼だ」

「鬼か。面白いじゃねぇか。もう少しだけ、お前を生かしておくか」

「どういうことだ」

「お前、俺の眷属にならないか? 香港なら、お前にも居場所はあるだろう」


 しかし、張流星の誘惑に対して僕はきっぱりと答えを出した。


「断る」


「なぜだ」

「僕には、僕の義務があるからだ」

「義務? そんなモノ、お前にもあったのか」

「僕の義務は四隅行雄を逮捕すること。ただそれだけだ」

 その答えに、沈黙を貫いていた四隅行雄が口を開いた。

「古谷善太郎、俺をめたのか。お前は臭うと思っていたが、まさかサツの犬だとはな。残念だが、ここまでだな」

 その時だった。何か、赤い点が四隅行雄の額に照らされた。これは……ライフルか! 僕は咄嗟とっさの判断で四隅行雄をかばった。

「四隅さん、危ないッ!」

 ライフルは、窓硝子まどがらすに命中した。窓硝子は、粉々に砕け散った。僕は、四隅行雄を庇うことで精一杯だった。

「どうして、俺を庇った」

「警部の命令で『お前を生きたまま豚箱に送る』って誓ったからな」

「そうか」

 僕は、改めて四隅行雄の腕に手錠をかける。しかし、山谷組と黒老虎による銃撃戦は止まらない。なんとしてもこの修羅場をくぐり抜けなければならない。銃弾の雨の中を、兵士のようにくぐり抜けていく。大泉警部との距離、僅か50メートル。正直、死んでしまっても良いと思っていた。

 やがて、大泉警部の姿が見えてきた。

「大泉警部、四隅行雄を逮捕しました! ここは危険です! 直ぐに離れてください!」

「分かった。パトカーは用意してあるから、乗り込めッ!」

 その言葉に、僕はすかさず四隅行雄をパトカーに押し込んだ。そして、そのままパトカーは伊丹空港を後にした。


 これは長友雅人から後日聞いた話だが、どうやら大泉警部と四隅行雄の間には因縁があったようだ。それが何を指すのかは本人に聞いてみないと分からないが、少なくとも兵庫県警と山谷組の間にある「闇」を暴く結果になる。だから、そのパンドラの匣は下手に触れると暴発する可能性が高い。暴発したところでどうなるかというと、兵庫県警にとっても山谷組にとっても不都合な結果しか残らない。

 それから暫くして、山谷組と黒老虎は神戸で抗争を始めた。四隅行雄は逮捕できたものの、抗争を止めることは出来なかった。矢張り、僕は組織犯罪対策課に復帰できないのだろうか。せっかく努力したのに、これじゃあさい河原かわらじゃないか。

 落胆する僕の肩に、温かみのある手が乗ったような気がした。そして、聞き覚えのある声がした。声の主は、大泉警部だった。

「古谷君、ご苦労だった」

「それで、僕はどうなるんだ。矢張り、兵庫県警から永久追放か」

「そうじゃない。古谷君にやってほしい仕事がある」

「一体なんだ?」

「簡単な仕事だ。スクエアファイナンスの資金ルートを調べた結果、山崎重工業と山谷組の間にコネクションが見つかった。君の言葉が正しければ、香港で強奪された1000万円もそのうちの一つだろう。現在、山崎重工業に融資先の問い合わせをしているところだが、気になる金融会社が見つかったそうだ」

「それは、どこなんだ」

「クレディ・スイスだ。マネーロンダリングの常套じょうとう手段として使われることが多いスイスの銀行だよ」

「それは知っている。今更どんな話だ」

「今、クレディ・スイスの香港支社に頼んで山谷組の資金の凍結を依頼しているところだ。古谷君には、山谷組がクレディ・スイスに持っている資金ルートの仔細しさいを調べてほしい」

「なるほど」

「これが押収した資料だ。洗いざらい調べるように」

「分かった」

 その資料は膨大だった。恐らく京極夏彦のノベルス3冊分はあっただろうか。大泉警部から言われたら、やるしかない。


 ――絶対に、黒い泥を暴いてやる

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