Phase 04 黒いコネクション

 目が覚めると、なんとなく心臓の鼓動が早いような気がした。僕は、生き急いでいるのだろうか。それとも、潜入先に対する拒絶反応が出ているのだろうか。そんな事を考えても仕方がないので、とりあえずシャワーを浴びて新しいスーツに着替えた。

 確か、勤務先は元町のサラ金ビルだったな。場所は……なんとなく覚えている。僕は市バスでその場所へと向かった。定期の範囲内で通勤できるだけでも、僕は運に恵まれているのかもしれない。

 ビルの職員用入り口から階段を上がると、スクエアファイナンスの事務所のドアが見えた。僕はドアをノックして入る。

「あっ、新入社員の古谷さんですね。先日、あなたにお金を融資した櫻木恵美子さくらぎえみこと申します。改めて、よろしくお願いしますね」

 櫻木恵美子と名乗る女性は、相変わらず優しげな風貌をしていた。もしも彼女がヤクザの眷属だとしたら、僕はこの手で彼女を逮捕してしまうことになる。そんな事を思いながら、僕は櫻木恵美子に返事をする。

「櫻木恵美子か。僕は古谷善太郎という。こちらこそよろしく頼む」

「さっそくですけど、社長がお呼びですよ?」

「分かっている。直ぐに行く」

 僕は、社長室へと向かった。当然、社長とは四隅行雄のことだ。相変わらず、金融業の社長とは思えない銀色のオールバックの髪が目を引く。

「古谷さん、さっそくだけど君にはここに向かって欲しい」

「あの、ここって山崎重工業やまざきじゅうこうぎょうの本社ですよね?」

「そうだ。確かに、山崎重工業だ。古谷さんにはそこで1000万円を回収して欲しい」

「分かりました。直ぐに向かいます」

 山崎重工業は、神戸でも屈指の大企業だ。バイクの製造から鉄道の製造、造船事業から果ては宇宙事業まで手掛けている。まあ、「世界のヤマザキ」と言えば聞こえはいいか。まさか、山崎重工業と山谷組の間に黒いコネクションがあるのか。それとも、山崎重工業から山谷組に黒いカネが流れているのか。そんな事を思いつつ、僕はスクエアファイナンスの社用車に乗った。普通の銀行の社用車と同じような、白い車である。元町からメリケンパークの方に下って、地元のサッカークラブであるビクトリア神戸の本拠地、御崎公園球技場方面へと向かう。御崎公園球技場の周辺は工業団地になっていて、山崎重工業の他にも車載機器の製造会社の本社や造船会社の本社があったりする。

 やがて、工業団地の一角に建つ真っ白ビルが見えてくる。そこが、山崎重工業の本社だ。

「すみません、スクエアファイナンスの古谷善太郎と申します。今日は現金の回収に来ました」

「ああ、四隅さんのところの社員さんですか」

「はい。僕は新入社員なんですけど、早速社長から業務を任せられています」

「まあ、お茶でも飲んでください。現金は直ぐに用意しますから」

 応接室に通されて、僕はソファーに座った。そして、出された緑茶を一気に飲み干した。それだけ、喉が渇いていたのだ。

 それから、僕は山崎重工業の社員とちょっとした世間話をしていた。

「それで、四隅さんとはどういう関係で入社したんですか?」

「まあ、色々と訳ありで……。とにかく、コネでの入社になったのは間違いないです」

「訳ありですか。大変なんですねぇ」

「まあ、インフレが著しい世の中ですからね。正直言って僕も生きづらいんですよ」

「そうですねぇ。まあ、ウチは自衛隊への特需で潤っているんですけどね。あっ、これが約束の現金です」

 銀色のアタッシュケースは、とても重く感じた。1万円札が1000枚入っているから当然だろう。

「とりあえず、四隅さんにこの現金を渡してください。もちろん、他言無用でお願いしますよ」

「分かっています」

 そう言って、僕は銀色のアタッシュケースを抱えて踵を返した。流石に1万円札1000枚分は重い。そう思いつつ、車にアタッシュケースを載せた。そして、僕はスクエアファイナンスへと戻っていった。

 社長室へと向かうと、四隅行雄が拍手で出迎えてくれた。

「古谷さん、初めての仕事にしては上出来じゃないですか」

「ああ、これぐらい朝飯前だからな。それで、この1000万円は何に使うんだ」

 その言葉に、僕の心臓の鼓動が高鳴る。山崎重工業は、本当にマネーロンダリングをやろうとしているのだろうか。マネーロンダリングとは、要するに企業が海外の銀行や租税回避地タックスヘイブンに預ける事によって税金を逃れたり、架空の資金を生み出したりしている。そして、たいていの場合、マネーロンダリングには暴力団が関わっている。昔、有名なIT企業が税金逃れで海外にペーパーカンパニーを作り、そのペーパーカンパニーに現金を預けていたことが後に大きな事件へと繋がったのだが、これは当然ながら違法行為である。スイスの銀行が預金先として使われる理由は、ヤクザだろうがマフィアだろうが独裁者だろうがスナイパーだろうが守秘義務が保証されていることもある。

「スイスの銀行といえば、クレディ・スイスですか?」

「正解だ。厳密に言えば、クレディ・スイスの香港支社なのだが」

「まあ、香港なら預けやすいですね。でも、どうやって預けるんですか」

「俺が現地に行く。偽造パスポートはいくらでも作ってあるから、俺が伊丹から香港に飛べば済む話だ」

「そうですか」

「まあ、古谷さんには関係ない話だ。俺はしばらく香港に行く。2週間ここを空けるが、その間にやってほしい業務は山のようにある。ここにファイルを置いておくから、無理の無い範囲で業務をこなすように」

「分かりました……」

 無造作に置かれた白色のクリアファイル。そこには山崎重工業だけではなく、神戸のありとあらゆる企業の帳簿がファイリングされていた。その中には、見たこともない企業も多数あった。恐らくマネーロンダリング用のペーパーカンパニーだろう。

「それと、俺の愛梨に手を出すなよ。万が一手を出したら、タダじゃ済まないからな」

「愛梨?」

「円愛梨だ。アイツは俺のオンナだからな」

 円愛梨。その名前は聞き覚えがあるし、一晩を過ごしたこともあった。そもそもの話、今回の依頼は大泉警部経由で円愛梨から聞いている。僕は、本当の事を言い出せなかった。仮に、四隅行雄に本当の事を言い出したら、恐らく僕はこの場で抹消される。それだけは防ぎたかった。

「分かりました。円さんには、そう言っておきます」

「どういうことだ?」

「……何でもありません」

 僕は、沈黙をつらぬくことで精一杯だった。多分、この時点で四隅行雄には本当のことがバレているかもしれない。けれども、僕は生きるのに必死だった。だからこそ、僕は口をつぐんだ。


 それから、僕は長友雅人に四隅行雄の経緯いきさつを話した。

「香港ですか」

「ああ、四隅行雄の行き先は香港の銀行だ。雅人は、この状況に対してどう判断するんだ」

「僕なら伊丹空港に兵庫県警を配置して、すんでの所でマネーロンダリングを阻止させますね」

「仮にプライベートジェットだとしたら、どうするんだ」

「そうだと、防ぎようは無いですね……」

「そうだな。恐らく四隅行雄はプライベートジェット所持している。そして、既に国内にいない可能性が高い」

「だとしたら、帰国したところを狙いますかね?」

「残念だが、僕にそんな権限は無い。詳しいことは大泉警部に話すんだ」

「分かりました……」

 なんとなく、僕は焦っていた。仮に山崎重工業のマネーロンダリングが成立してしまったら、神戸の経済に与えるダメージは計り知れない。大泉警部に仔細しさいを話したところで、取り持ってくれるのだろうか。そんな事を考えているときだった。スマホに着信が入ってきた。電話の主は、仁美だった。

「もしもし。仁美か。一体どうしたんだ」

「古谷さん、大変です! 円愛梨さんが……」

「仁美、早く続きを言え」

「円愛梨さんが、

 ――円愛梨が、殺された? そんな事、考えられないし、考えたくも無かった。僕の心臓の鼓動が、早鐘を打っている。そして、思わず大声で仁美に話した。

「殺害場所はどこだ」

「なんというか……ラブホテルです」

「せめてホトケの顔を見ることは出来ないのか」

「大丈夫ですけど……いいんですか?」

「いいんだ。僕が責任を取る」

 そう言って、僕は愛梨が殺害されたラブホテルへと向かうことにした。

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