Phase 02 交渉

 とりあえず、僕は長友雅人から指定された場所へと向かった。相変わらず元町のガード下というのは治安が悪い。浮浪者がストロングゼロを飲みながら、譫言うわごととぶつぶつと言っている。恐らく、この浮浪者はヤミ金融で全てを失ったのだろう。

 目的地は普通の雑居ビルといった感じで、善く見る消費者金融の看板が目に入った。所謂「サラ金ビル」と呼ばれる場所の一角に、四隅行雄が営むヤミ金融があるのだろう。エレベーターすらないビルの階段を上がるだけでも、息が上がりそうだ。そして、四隅行雄が営むヤミ金融へと辿り着いた。

【スクエアファイナンス】

 だからこういう名前なのか。あまりにも安直すぎないか。そう思いつつ、僕は受付に向かった。受付には、愛想の良さそうな女性が立っていた。

「すみません。融資をお願いしたいんですけど。名前は匿名でお願いします」

「匿名の融資ですね。利用目的はなんでしょうか」

「今月、ギャンブルで大損をこいて……。それで、当面の生活費として100万円の融資をお願いしたいんです」

「分かりました。100万円ですね。直ぐに用意しますのでお待ち下さい」

 適当な嘘をいて、融資を受けることに成功した。それにしても、普通融資というのは身分証明や他行との融資履歴が必要なはずなのに、こんな僕でも融資を受けることができるなんて、このヤミ金融は余程優しいのだろうか。まあ、裏の顔が恐ろしいのは言うまでもないのだけれど。

 そして、僕は100万円を受け取った。この金の出処でどころがどこにあるのかは分からないのだけれど、かなりどす黒いモノなのは間違いないだろう。

「ありがとうございます。それで、金利はどうなっているんでしょうか?」

「当行の金利は101となっております」

 10日で1割。これは業界用語でトイチと言う。基本的にトイチは違法金利であり、100万円を借りたとしたら10日で1割の10万円を返済しないといけない。当然、返済できなければ執拗な取り立てが襲いかかってくることになる。

「では、10日後に金利の返済に来ます」

「分かりました」

 当然、僕は嘘を吐いている。返済するつもりなんて無いし、むしろこのヤミ金融を壊滅させるのが今回の僕の仕事だ。金利なんて、どうでも良い。そして、きびすを返して帰ろうとした時だった。見覚えのある男性が、目の前に現れた。

「あっ、社長。お疲れ様です。取り立ての方はどうなっていますか?」

「ああ。順調だ。今日は1億円の取り立てに成功した」

「1億円あれば、当面は安泰あんたいですね」

「それはどうだろうか」

「まあ、そんなこと言わずに、お茶用意しますから待っていてください」

「ありがとう」

 金融業を営んでいるとは思えない銀髪のオールバックに、ブラックスーツを身に着けた男性。彼は、間違いなく四隅行雄だ。

「お、お前は……」

「僕の顔に何か付いているのか」

「何でもない」

「まあ、またどこかで会うかもしれないからな。俺の名前は四隅行雄だ。覚えておけ。お前の名前も教えてもらえないか」

「知りたければ、僕を追い詰めてみろ」

「そうか。なら、良いんだが」

 そうして、四隅行雄はその場から去っていった。人を多数殺していそうな眼差しが、僕の心臓の鼓動を早くする。

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫です。とにかく、この金は有効に使わせてもらいますよ」

「ありがとうございます」


 改めて、僕は踵を返した。ビルの階段を降りて入口に戻ると、黒い車が止まっていた。中からは、長友雅人が出てきた。

「古谷さん、お疲れ様です。無事にお金を借りることが出来たようですね」

「ああ。とりあえず100万円を借りた」

「特に変わったことはありませんでしたか?」

「無かった。強いて言えば、圧の強い男性と会ったことだな」

「四隅行雄ですね」

「そうだ。僕が円愛梨から受け取ったデータの男性と似ていた」

「早くもターゲットを捕捉するなんて、運が良いですね」

「物事は順調に進みすぎると却って危ないからな。油断大敵だ」

「それはともかく、僕の事務所に戻りましょう。旬さんが待っていますよ?」

「大泉警部が待っているのか。とりあえず、僕から言えることは全て言わないとな」

 車に乗せられて、僕は生田新道をひたすら走っていた。神戸の街中は震災できれいになったと言うが、矢張り福原から元町、そして生田新道にかけては昔からの建物が多く、そして治安も悪い。「夜の生田新道に近づいてはいけない」と子供の頃に言われたような気がするが、今としてはその気持ちもなんとなく分かるような気がする。そして、車は長友雅人の事務所がある雑居ビルへと到着した。

「古谷君、ご苦労だった」

「大泉警部、これぐらい出来て当たり前だ。それと、四隅行雄と思しき男性に会った」

「それは本当か」

「本当だ。僕がこの目で見た。彼の話によると、どうやら1億円の取り立てに成功したようだ。もしかしたら、強引なやり方による取り立ての可能性が高い」

「そうだな。もしかしたら円愛梨に背負わせた3000万円の借金も、何か関係があるかもしれない。古谷君には引き続き調査をお願いしたい」

「分かった。必ず四隅行雄の闇を暴いてみせる」

「そうだ、その心構えだ。では、私は県警本部に戻る。今回の件とは別件の事件の捜査で忙しいからな」

「別件の事件?」

「口が滑った。とにかく、古谷君には関係のない話だ」

「そうだな。僕は兵庫県警から追放されているからな」

「私はこれで失礼するよ」


 別件の事件とは、なんだろうか。まあ、兵庫県警から追放されている僕が詮索せんさくする話じゃないのは分かっているのだけれど、心の中に引っかかっていた。仮に僕が組織犯罪対策課に復帰しても、どうせ関係の無い話だ。これ以上深入りするのは止めておこう。

「そのお金は金庫に預けておきますから、古谷さんには引き続き四隅行雄の調査をお願いします。恐らく、彼は三宮のクラブで豪遊している可能性が高いですからね」

「なるほど。今は何時だ」

「午後5時ですね」

「じゃあ、7時ぐらいにクラブに向かってもらいましょう。僕が目星を付けているのは、ここです」

「そうか」

 そこは、三宮でも有数の高級クラブだった。僕でも滅多に入れるような場所ではない。

「本当にここに四隅行雄は来るのか」

「僕の見立てだと、恐らく来ます。ただ、そこは山谷組の息がかかっているとの黒い噂が絶えないので、余計な真似だけは止めてください」

「分かっている」

 こうして、僕は7時までその場で待機することにした。

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