Phase 01 情報屋

 西田仁美という人物はよく分からない。前に「神戸羅生門」という半グレ集団を壊滅させた時に、彼女はその功績を認められて生田署の巡査から兵庫県警の捜査一課の刑事に昇進した。所轄から県警本部に異動したことによって、彼女と話をする機会は増えると思っていた。しかし、僕は兵庫県警から事実上追放されているので話す機会はない。彼女も彼女で僕のことを嗅ぎ回っているようだが、すれ違ってばかりである。とはいえ、プライベートのスマホの番号ぐらいは覚えていたので、僕は仁美に電話をかけることにした。

「仁美、覚えているか。僕だ。古谷善太郎だ」

「あっ、善太郎さん。久しぶりです。また新しい仕事ですか?」

「まあ……そうだな。今回は半グレ集団を追うわけじゃなくて、神戸の裏社会の聖域に踏み込む。つまり、山谷組のヤクザと対決することになる」

「山谷組って、あの山谷組ですよね? 大丈夫なんですか?」

「それはどうだろうか。正直言って、僕には分からない。でも、万が一の時には君の力を借りる可能性もある。それだけは覚えてほしい」

「でも、善太郎さんは組織犯罪対策課で、私は捜査一課ですよ? そんな都合のいい話なんてあるわけないじゃないですか」

「いや、あるかもしれない。例えば、今回のターゲットが殺人を犯すとする。そうなると、捜査一課の出番だ。基本的に捜査一課は殺人事件が専門だから、仁美にも仕事が回ってくるだろう」

「なるほど。まあ、殺人が起きないことが一番良いんですけどね」

「そうだな。余計な事件だけは起きて欲しくない」

「他に何か話すことはないんですか?」

「今は特に無い。僕は今から大泉警部と話をするから、これで電話を切る。仁美もがんばれよな」

「分かってますよ。それじゃあ」

 こうして、僕は仁美と話を終えた。それにしても、仁美は相変わらず僕に対して好意を抱いているのだろうか。正直言って、僕はそういうのはあまり好きじゃない。独りでいるほうが落ち着く。そんな事を思いつつ、僕は大泉警部から指定された裏路地の雑居ビルへと向かった。

「大泉警部、どうしてこんなところに来るように頼んだんだ」

「古谷君、今日は君に紹介したい人物がいてね。ここに来てもらった。人相は悪いが、情に厚い人物だ」

 恰幅かっぷくの善い男性が、僕の目の前に立っている。なんというか、ほほの傷が全てを物語っていた。

「ああ、君が噂の組織犯罪対策課を追放された刑事さんですか。僕は長友雅人ながともまさとと言います。こう見えて、元愚連隊のメンバーなんですよ」

「そうですか。道理で人相が悪いと思った。君が元愚連隊だったことは、頬の傷で分かる。それで、今はどんな仕事をしているんだ?」

「まあ、具体的に言えば『情報屋』と言ったところでしょうか。僕は神戸の裏社会と太いコネクションを持っていてね。コネクションは半グレからヤクザまで多岐に渡ります」

「それで、大泉警部とはどういう関係なんだ」

「旬さんとは昔の友達といったところですかね。まあ、遊び仲間だったんですけど」

「コホン。雅人、時効とはいえ余計な事は言わないでくれ。警部としての信頼にきずが付く」

「すみません。ついつい口が滑ってしまいました。それはともかく、古谷善太郎さんでしたっけ? 多分、あなたの力になれると思いますので、よろしくお願いします」

「長友さん、こちらこそよろしく頼む」

「ああ、僕の事は気軽に雅人と呼んで欲しい。それはともかく、今回のターゲットである四隅行雄さんですね。確か、神戸で金融業を営んでいると」

「そうだ。僕がまだ組織犯罪対策課に在籍していた時から要注意人物として目を付けていたが、その喋り方を聞いているとどうやらヤミ金融を営んでいるのは事実のようだな」

「はい。彼は紛れもなくヤミ金融を営んでいます。それで、3000万円の借金を背負わされた円愛梨さんでしたっけ? 彼女も結構訳ありのようですね」

「訳あり?」

「どうやら、彼女はただのキャバ嬢じゃないみたいです。あまり深入りはしない方がいいですよ?」

「なるほど。参考にさせてもらう」

「まあ、僕の情報はいくらでも参考にしてもらっていいですよ? とにかく、古谷さんには四隅行雄のヤミ金へと向かってもらいましょう」

「いきなり良いのか」

「良いんです。とにかく『お金がない』振りをして、融資をしてもらう。敢えて古谷さんに借金を背負わせるんですよ」

「僕が債権者になるのか」

「まあ、そんなところですね。相手も恐らく古谷さんが刑事さんだと気付かないでしょう。もちろん、返済金はこちらで用意します」

「用意できるのか」

「まあ、ヤクザからかすめ取った金を使えば直ぐに用意できますよ。そもそもヤミ金融の法外な金利は払う必要なんて無いんですけどね」

「そうだな。僕は飽くまでも四隅行雄が営んでいるヤミ金融を壊滅させる、そして円愛梨が背負った借金をチャラにするのが仕事だ。それは分かっている」

「じゃあ、頑張ってください。これ、四隅さんのヤミ金融の場所です」

 僕は、長友雅人から地図を渡された。今どき手書きの地図もどうかと思うが、なんとなく場所は掴めた。どうやら、四隅行雄が営んでいるヤミ金融は元町駅の北側にあるらしい。

「元町か。直ぐそこじゃないか」

「まあ、元町は昔からヤミ金融が多い場所として知られていますし、今回の四隅行雄さんの件なんて氷山の一角にすぎないでしょう」

「という訳で古谷君、今回も危険な仕事を任せることになって申し訳ないと思っている。しかし、四隅行雄を追い詰めることが出来たら、古谷君が組織犯罪対策課へ復帰することも視野に入れている」

「それは本当か」

「本当だ。私が保証する。ただし、相手が危険人物であることに変わりはない。くれぐれも気をつけるように」

「分かっている」

 こうして、僕は四隅行雄を追うことになった。しかし、僕にこの任務が務まるのだろうか。正直、自信がない。

雑居ビルを後にした僕は、改めて大泉警部と話をすることにした。

「大泉警部、本当に僕で良かったのか。組織犯罪対策課には僕よりも優秀な人材がいるはずだが」

「この仕事は古谷君じゃないと務まらない。もちろん、報酬は『組織犯罪対策課』への復帰だ。まあ、馬に人参を与えるような事をして申し訳ないと思っているが、古谷君には期待している」

「じゃあ、僕が大泉警部の期待にこたえられるようにすれば良いのか」

「そうだな。とりあえず、雅人に言われた通り、四隅行雄が営むヤミ金融まで行ってくれ」

「分かりました。では、僕はこれで」

 それから、僕は煙草に火を付けた。紫煙が、渦を巻いて曇天どんてんの空に消えていく。鉛色の空が、僕の未来を暗示しているようで不穏ふおんだった。果たして、僕は四隅行雄を追い詰めることが出来るのだろうか。そして、追い詰めたところで本当に組織犯罪対策課に復帰できるのだろうか。そんな非現実的な未来を考えつつ、僕は吸い殻を路地裏に捨てた。

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