塩味の理由は?
天野 湊
塩味の理由は?
ここ数年猛威を振るってきた感染症もようやく沈静化しつつあるらしい。そのせいなのか、ここしばらく『感染拡大防止』を謳って自粛ムードだった、ある職場イベントが微かに復活の兆しを見せている。
「チョコレートをあげたいの」
嬉々とした声でそう宣言するセンパイ。その明るい口調とマスクをしているから目元からしか表情は読めないが、かなりテンションが上がっているのは嫌というほど分かる。そして、プランパーでぷっくりさせた、ご自慢の唇は得意げに吊り上がっているに違いない。
私や殆どの後輩たちは「また、誰か狙ってんだね」と目だけで会話する。センパイはよく言えば素直、悪く言えば露骨な人だ。これまでの私の経験上、彼女が嬉々として業務外のことに取り組むときは、大体男がらみだった。
確か、センパイは四年前は営業のハヤミとかいう独身の社員にお熱で、自分の『お局』という職権を十二分に濫用、私をはじめとした社内の独り身女性社員は資金提供という形で巻き込まれた。
幸い、ウチの支店がそこまで大きな事業所じゃないから、私たちの懐のダメージはそこそこだったが、まぁ殆どの男性社員から最初は顰蹙を買った。
他の社員には駄菓子のチョコ棒か板チョコ一枚、ハヤミさんには某高級ブランドのチョコレートなんて露骨な格差をつけたんだから、当たり前だ。センパイの思惑に気づきつつも、忙しさに追われて諸々を任せてしまったのが、いけなかった。
幸い、私たち巻き込まれ組はすぐに他の同僚に事情を説明したこともあり、すぐにセンパイの暴走に巻き込まれただけだと判断され、無罪と判断された。
センパイもすぐにしっぺ返しを食らった。実はハヤミさんには結婚前提で同棲してる彼女さんがいて、翌日にはセンパイ個人に「結構なものを頂きまして、ありがとうございました。美味しく頂きました」なんて手書きのメッセージ付きでワンランク上のお返しをされてた。それからは大分そっち方面では大人しかったのに、なぜ今になってまた動き出したのやら。
センパイ以外の誰もが四年前の悪夢を脳裏に過らせる中、後輩のひとりがぼそりと呟いた。この子は、お酒も飲めないのによくセンパイに飲みに連れて行かれている犠牲者だった。
「センパイ……誤解を招きますよ、その言い方だと」
「え? 」
「四年前にセンパイ、やらかしてますよね? また、同じことをするんじゃないかって、思われてますよ」
あのセンパイ相手に窘めるようなことを言うなんて、過去の古傷を抉るなんて、大した後輩だ。だけど、また絶対に後で彼女から腹いせであれこれチクチク言われるから、ここで止めなきゃと私は後輩を制止しようした。しかし、センパイは困ったような微笑を浮かべ、まるで少女のようにもじもじしだした。
「だって……なんて言えばいいの? 」
えーっと、この人、誰ですか? センパイじゃありませんよね。私らの知ってるセンパイは我々を圧倒的『お局様』権力で支配してきた訳で、何かこんなにもじもじしながら喋るなんて知らなかったですよ。
「素直に『今度、私と結婚するから、報告がてらこれまでのお礼でみんなにちょっと美味しいチョコを買ってきたから配りたい』って言えばいいんですよ」
「うん」
後輩の言葉に素直に頷くセンパイ。え? 知らぬ間に二人はそういう関係になってたんだと、驚きながらも私も周囲もみな祝福の言葉を口にした。
それを聞いたセンパイと後輩はとても幸せそうな表情だった。
まぁ、何はともあれ、周りの誰かが幸せになってくれるのは嬉しいことだ。ただ、なぜなのか、貰ったチョコレートがちょっと塩辛いのは。きっと、塩味のチョコレートなんだと表示を見て、私はどん底に突き落とされた。
スイートミルクチョコレート
多分、悲しくなんかない……多分。
塩味の理由は? 天野 湊 @minato_amano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます