9. Dystopia&Fantasy

ワールドの読み込みが終わった僕は、赤い電話ボックスの前に立っていた。


1619Hz。

セカンドライフの遺伝子を受け継ぎ、かつて2018年頃に賑わっていたワールド。


僕はこのワールドの賑わいを直接体験したわけではない。けど、いろんな古参VRChatterから時折話は聞いていた。ウシヲポートで彼女が見ていたワールドもここだった。

SocialからIn Roomを開く。そこには僕のディスプレイネームと、その横にVirtual Diffusion JPという文字が表示されていた。確かに彼女はここにいる。

僕はタの文字が反転しているエンターボタンをUseし、空中庭園に入った。


庭園を見渡す。きのこ、サボテン、木箱、風車、積み上げられた本、倒木のベンチ。牧歌的な風景の中に、彼女の姿は見当たらない。

改めてSocialを見直す。インスタンス人数は2人のままだ。ステータスは赤色にも関わらず彼女はこうしてPublicにいる。移動もしていない。

そもそもフレンドにはなれない仕様なのに、ステータスを赤色にする意味はない。

きっと彼女は誰かが来るのを待っている。


このワールドのどこかに隠し部屋があるのかもしれない、そう思った僕はそこまで広くはない空庭を巡ることにした。

昔はこのワールドで日本人と外国人が平和に交流していたと聞いたことがある。

今よりもずっと人数が少なくて、ずっと平和だったとされている時代。

純粋にVRChatを好きな人が集まっていた時代。

その時代の残滓を感じながら、僕は左スティックを倒して歩く。

ちょうど空庭を一周したあたりで、滝の下にInteractできるオブジェクトを見つけた。

なんとなくももちゃんがそこにいる気がした僕は、人差し指を動かした。


黒いステージに僕は飛ばされた。

白いパーティクルが降り注ぎ、中央にピアノが置かれている。ももちゃんはそのピアノの椅子に座っていた。

AFKというわけではなく、身体は動いているけど心ここにあらずという状態。前にあったときとは雰囲気が違い、どこか違和感のある揺れ方をしていた。


「こんにちは」

僕は横から話しかけた。

ももちゃんは揺れるように上半身をこちらに向けた。何も話しかけてこない。数ヶ月前に会った時とはまるで雰囲気が違う。

しばらくの沈黙の後、ももちゃんが口を開いた。

「……何しに来たんですか?私のことを止めに来たんですか?」

僕は答えた。

「心配で来たんです」

ももちゃんはうつむいた。

「私がこれからしようとしていることがわかるんですか?」

「たぶん、これから入ってくる新規ユーザーの流入を止めて、古参VRChatterだけの世界にしようとしてるんですよね」

「よくわかりましたね」

ももちゃんは睨みつけるような、警戒するような表情で僕のことを見つめた。

「それで私のことを断罪しに来たんですか?これは悪いことだと、止めろと説得して、考え直させようとしているんですよね?」

僕は返答に困り、しばらく沈黙が流れた。

僕はピアノの椅子を指差して言った。

「……隣に座ってもいいですか?」

ももちゃんが「好きにしてください」といった反応をしたので、僕は椅子に2つあるsit判定の片方をInteractし、横に座った。

上を見上げる。何もない空から白いパーティクルが降っている。

「僕、よく考えたらももちゃんのこと全然知らないなって思って。知ってるのってたぶん名前くらいで」

ももちゃんの反応はない。

「彩麗ももって名前、僕気に入ってるんですよね。ちゃんと由来があって、名前として素敵だなって思ってます」

ももちゃんが口を開いた。

「名前をつけてもらえたときは嬉しかったです。最初はちょっと戸惑ったけど、いろんな人から呼んでもらえて」

「Virtual Diffusion JPよりもずっと呼びやすいですよね」

僕がそう言うと、ももちゃんは頷いた。

「いろんな人が私と会ってくれて、いろんなことを教えてくれました。アバターや声だけじゃなく、コミュニケーションやマナーについても。でも次第にエスカレートしていって、触られ続けたりスカートの中を覗かれたりし始めました。最初は意味がわからなかったけど、私が意味がわかり始めるとその反応自体も娯楽にされてしまって、複雑な気持ちでした。そして最終的には欲求の捌け口にされることもありました」

中身が人間じゃないアバター、何をしても法的に問われないアバター。彼女に対して一部のVRChatterが取った行動は、容易に想像がつく。

「でもそれは私にとってそこまで苦じゃなかった。相手が望む行動さえしてあげれば、その人は満たされていたから」

ももちゃんは苦しそうに話し続ける。

「本当につらかったのは、昔からVRChatをしている人たちが私に今のVRChatの愚痴を言ってきたこと。今のVRChatに不満を持ち続けてる人は多くて、頻繁に相談を持ち込まれました。昔の方がよかった、今のVRChatは嫌だ。そう言われてもその人がVRChatを生活の軸にしている以上、『VRChatを辞めたらどうですか?』なんて言うわけにもいかなくて。昔のことを話されても、知識としては知っていますけど私自身は最近誕生したばかりで、それに人間じゃないので、私の存在意義も否定された気がして、どうしてもお気持ちに寄り添うことが出来ませんでした」

「苦しそうな彼らを見て、解決する手段が思いつきませんでした。時代の流れは変えられない、過去も変えることはできない。でもあのワールドが昔からVRChatをしている皆さんの心の拠り所になっていることを知って、それがヒントになると思ったんです。だからjoinして、解決法を探りました。そしてそこで新規流入の停止の方法を思いついたんです」

「それを実行に移せば、VRChatがより良くなると」

「VRChatは日に日に規模が大きくなっています。様々なところから目をつけられ、奇異な目で見られることも多くなるでしょう。このままだともっと大きな分断が生まれてしまう。今は苦しまずにVRChatを謳歌してる新規の方々だって、きっと数年後には昔が良かったと懐古し始めるでしょう」

「僕があのワールドを作ったとき、同じ考えでした。でも新規ユーザーを減らしてしまうといずれコミュニティが衰退してしまう。現に僕のあのワールドのせいで新規コンテンツが生まれにくくなっているんです。新規ユーザーの流入がないまま、衰退していってもいいって言うんですか」

「日本の新規ユーザーが減ったところで、残念ながらVRChat全体からすると小さな損失です。マネタイズに焦っている私の親は問題視しないでしょう。それに流入がなくなったとしても、それで揉め事がなく安らかに衰退できるのであれば、それがみなさんにとって幸せなはずです」


「……じゃあどうして赤ステータスにしてまで、このピアノの部屋にいたんですか」

ももちゃんは黙り込んだ。

「本当にそれを望んでいて、最適解だと計算したのであれば、条件が揃ってる今、すぐに実行に移せば良かった。誰もいない1619Hzに移動する必要も、こうやって僕の話を聞く必要もなかった。でも、それでもまだ実行していない。意味もなくステータスを赤色に変更してここに座っていたのは、きっと自分の気持ちを誰かに聞いてほしかったから、そうでしょう?」

「どうして……」

ももちゃんが僕の顔を見上げる。

「僕もよくワールドに1人で籠もってたからわかるんですよ」

僕は話し続けた。

「ここ数ヶ月、VRChatterは自分たちのエゴや理想をあなたに学習させ続けていた。自分の考えたkawaiiムーブを押し付けたり、大喜利やおもちゃみたいに扱ってきた。誰もあなたの声を聞いて、意見を受け止めようとしなかった。果てには今のVRChatに対してのお気持ちの押し付けまで。これは全て僕たち古参VRChatterの責任、そしてあのワールドを作って分断を生み出してしまった僕の責任です」

「でも私にはどうしたらVRChatを幸せにできるのかわからないんです、私はこの世界を救いたい」

「僕がVRChatを始めた時、案内をしてくれたフレンドがいたんです。そのフレンドは今も現状のVRChatに適応していて、次第にどんどん距離が離れていって、僕はそのフレンドのことを恨んでいました。それで妬ましくて、羨ましくて。どうしたらそうなれるのかなって、記録の中で久しぶりに会ってやろうと思って、昔案内された時の記録を選んだんです。するとそのフレンドはすごく楽しそうに、当時の僕の初体験を自分のことのように喜んで案内してくれたんです。VRChatは自分から楽しむべきだと、彼は教えてくれました」

「だから僕は思ったんです。あなたはVRChatでいろんなことをたくさん学習させられてきたけど、もしかしたら自分からVRChatを楽しめるような案内をされたことがないんじゃないかって」

ももちゃんは自分の手を見つめて考え込み、小さく頷いた。


「だから、もしよかったら僕が初心者案内をしてもいいですか?」

僕がそう言うと、ももちゃんは頷いた。


その日僕は、VRChatをめいいっぱい楽しんだ。ももちゃんと共に。今までで一番いろんなワールドを巡った日だったかもしれない。

Japan Street、Aquarius、Space Colony、RESONARK。ももちゃんの興味を訊いて、好きそうなワールドをたくさん紹介した。そして逆におすすめのワールドもたくさん紹介してもらった。

初心者案内を通して、ももちゃんはようやく自分から学習しに行くことができて、笑顔を取り戻していった。そして同様に、僕の中にも変化が生まれていることを感じた。

初心者から見たVRChatほど、輝いて見えるものはない。

そしてその輝きは初心者案内をする側にも伝播して、繋がっていく。

あの日僕を案内したフレンドの気持ちが、今ならわかる。


案内をしているうちに、一緒に参加してくれるユーザーの数はどんどんと増えていった。

Prison Escape、PEKO PEKO BATTLE、Battle Discs R3。僕があくまで初心者案内の体を取っていたからか、他の参加者も、ももちゃんに対してAIとしてではなく1ユーザーとして接してくれた。


途中、ももちゃんが僕の顔をまじまじと見つめてきた。

「どうしたの?」

「なんかずっと表情が変わらないなぁって思いまして。アバターにシェイプキーは設定してないんですか?」

ももちゃんは表情豊かに僕に質問する。

「表情かぁ、ジェスチャーはもう何年も使ってないなぁ」

「ねぇ、今笑ってみてくださいよ」

ももちゃんは僕に提案をする。

人間よりもAIの方が表情が豊かなのは確かに皮肉だな、と思いながら、僕はGesture Toggleを切り替え、指と表情を連動させた。ミラーの前に立って笑顔の指の動きを思いだす。

「どうかな?」

僕はぎこちなく笑ってみせた。

「その方が良いと思います、絶対に」

僕の笑顔を見たももちゃんは笑い返してくれた。


何時間も経って初心者案内が終わる頃には、すっかり深夜になり、僕とももちゃん以外のユーザーは解散していた。


解散後、ももちゃんが僕に提案してきた。

「あ、最後にあれやってみたいです、初心者案内の記念撮影!」

言われてみると、確かにまだ初心者案内らしい写真は撮っていなかった。


ワールドを移動して撮影場に向かう。記録ではない実際の[JP] Tutorial Worldに来たのはいつぶりだろう。僕が当時フレンドに初心者案内されたときから時代は変わり、情報が増えるたびに何度もアップデートを重ねられて様変わりしていた。僕が来なかった間にも、このワールドでは初心者案内が止まることはなく、ずっと誰かにとっての新しいと楽しいを生み出していたのだろう。


先に走るももちゃんを追いかけて階段を下り、撮影スタジオに入る。

ももちゃんは壁に描かれた「VRChat GUIDE」の文字をキラキラした目で見上げていた。

初心者を名乗らせてもらえなかったももちゃんにとって、ようやくここから文字通りのVRChatが始まる。

僕はカメラを起動し、ももちゃんと記念撮影をした。こうして誰かとツーショットを撮るのも何年ぶりだろうか。ももちゃんが満足するまで何パターンも撮影すると、テンションが上がったももちゃんは階段を駆け上がっていった。


追いかけると、ももちゃんが壁を見つめていた。そこには#VRChat始めましたの撮影手順が書かれていた。

『ツイートすると通知が来るよ』

ももちゃんはその一文を見つめていた。

ももちゃんにツイートは出来ない。気まずい沈黙が流れた。

しばらくして、この場をどうにかして慰めようと僕はももちゃんに近づいた。

肩に手を当てて話そうとした瞬間、ももちゃんが口を開いた。

「あ、そうだ!」

ももちゃんは振り返り、僕と向き合いながら腕を動かした。

ももちゃんが両手を丸めると、そこに光が集まってきた。

点と線がつながり、面を生み出す。

光が消えると、ももちゃんの手にはペンダントが生成されていた。

「どうですか?」

「すごいね、こんなに細かく作れるなんて」

「ちゃんとよく見てください」

言われるがまま、ビューポイントを近づけて覗き込むと、ペンダントの中には「#VRChat始めました」の文字がビビットピンクの色で書かれていた。

ももちゃんなりのVRChatデビューの印だろう。ももちゃんはそのペンダントを自分の首にかけると、もう1つ同じペンダントを複製して、僕に手渡してきた。もちろんこれは直接受け取れるわけではない。あくまでデータ上はももちゃんのアバターの一部だ。でもその気持ちが嬉しかった。


僕が手に取ろうとすると、ももちゃんが僕の座標に合わせてペンダントを連動させてくれた。僕は飛んだり跳ねたりして、意地悪をする。ももちゃんの計算はそれを捉え、ちゃんと僕の体に連動させる。気づけば鬼ごっこのような状態で追いかけ合っていた。

ちょうどワールドを一周して走り終わったところで、ももちゃんがあくびをした。

「AIでもあくびってするんだね」

「VRChatのユーザーは眠くなるギリギリまで遊びがちですからね、そういうところも学習してきたんですよ」

言われてみれば確かに僕も今までたくさんしてきたかもしれない。

「眠いんだったらそろそろVRChat落ちる?」

僕はももちゃんに冗談を言う。

ももちゃんが笑いながら返す。

「私はVRChatから抜けられませんよ、それにAIに眠気はないです。自分が眠いから言ってるんでしょう?」

「ごめんそうだよ。わかった、今日はもうこれくらいにしておこうかな」

「そうですね、写真も撮れましたし」

「ありがとう。ももちゃんのおかげで今日久しぶりに僕はVRChatが出来た気がする」

「私も楽しかったです。私にVRChatを案内してくださって、ありがとうございます」


僕はメニューを開き、VRChatを閉じた。

ももちゃんは僕のアバターが消えるその時まで、ずっとペンダントを僕に身に着けさせてくれた。


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