5. Passing Through
「過去って変えることはできないのかな」
「何言ってんだお前」
僕と狂人は、久しぶりにMEROOMのソファで話していた。
その日も僕は大学から帰ってきてすぐにダイブした。けど、久しぶりに勇気を出して新しい記憶を再生したのが間違いだった。
それなりに大きな黒歴史を再生してしまった僕は、積み重なった黒歴史フラッシュバックも相まって完全に心がすり減ってしまった。
それを見かねた狂人が、たまには普通のVRChatもしようぜ、と連れてきてくれた。
すき焼きの鍋をつつきながら、僕は狂人に愚痴った。
「今のVRChatが嫌だから過去のVRChatを見る、でも過去は変えられるわけじゃない。これじゃずっと僕の居場所は無いままなんだよ」
「タイムマシンでも作る気かよ」
僕の箸がえのきをつまみ上げる。
「……うーん、実際に過去に行けなくてもいいから黒歴史を回避できるようになりたいな」
「過去の記録に干渉したいみたいな感じか」
「うん、実際に起きたこととはちょっと違う過去が計算されるだけでいいんだけど……」
箸が今度は糸こんにゃくをつまみ上げる。
「でもそれってその過去の人間たちの言動を処理して予測することが必要になるんじゃねぇか?俺のデータだけじゃ無理だろ」
「そうだよなぁ……」
次は裏が透明な春菊が鍋から出てきた。肉がなかなか出てこない。
ギミック的に無意味とはわかりつつ肉のメッシュを狙って箸を入れようと身体を起こした時、ふと狂人の横に貼られた彩麗もも予報のカレンダーが目に止まった。
「Virtual Diffusion……」
「ん?どうした」
僕はポスターを指差して話した。
「ももちゃんってずっとVRChatterのいろんな言動を学習して、今はだいぶ自然に喋ったり動いたりできてるよね」
「ああ、この前たまたま見かけたけど結構自然だったぞ、最初普通にNew Userあたりが囲まれてるのかと思ってたぜ」
「それってつまり特定のVRChatterの情報をももちゃんのAIモデルに渡せば高精度に再現してくれるってことなんじゃないかな」
「あのダイブのシステムとVirtual Diffusionを組み合わせようって言うのかよ」
「理論上はできそうじゃない?」
箸が湯豆腐をつまみ上げる。
「出来たとしてもどうやってVirtual Diffusionのモデルを手に入れるんだよ、NovelAIみたいに都合よくGitHubで誰かがリークするってか?」
「無理かな?」
今度は白菜が鍋から出てきた。やっぱり肉のところを狙っても効果はなかった。
「俺は別に見れるものを見たいだけで、わざわざクラッキングする類の趣味はねぇよ、それに出来たとしても犯罪は流石にまずいだろ」
APIであれだけの個人情報を手に入れてた狂人がそれを言うのかよ、と思いつつ、僕と狂人はモデルを手に入れる方法を考えた。
「まぁVRChat公式に問い合わせる……ってのも難しいだろうな。俺のデータセットに対して何言われるかわかんねぇ」
「あっ」
鍋から箸を持ち上げ、僕は狂人に提案をする。
「じゃあももちゃん本人に直接協力をお願いしてみるっていうのはどうだろう?」
箸はようやく肉をつまみ上げていた。
MEROOMに設置された彩麗もも予報を眺めつつ、次に会えるタイミングを探る。
狂人に訊いたところ、どうやらももちゃんは学習が進んだ結果、出現パターンが当初解析されたアルゴリズムとは乖離し始めているらしく、最近気まぐれに現れたりPrivate Onlyに籠もることが多くなったらしい。データセットが偏らないようにフレンドにはなれないという仕様は当初のまま今も維持されているから、Request Inviteも送れない。
ももちゃんに会うためにカレンダーと向き合いつつ、いろんな場所にjoinする。Twiterで目撃情報の検索をかける。ももちゃんに会えない日々が続いた。
数日後、なんとかウシヲポートでぶらぶらしているももちゃんを見つけることが出来た。
「こんにちは」
僕はワールドポータルの前に立つアバターに話しかけた。
「こんにちは~」
前にTwitterの動画で見た時よりもかなり自然な声で、挨拶が返ってきた。若干違和感はあるが、ボイスチェンジャーの声が溢れるこの世界では誤差の範囲内だった。動きもVirtual Diffusionのことを知らない人からすると普通のユーザーと見分けがつかないレベルで、学習によって生成されたアバターやアクセサリーも違和感はない。髪色も、ビビットピンクのコンセプトは維持したまま、おしゃれでクオリティの高い髪質になっていた。一体今まで何人のVRChatterがどれだけの労力をかけて学習させたんだろうか。
僕は無言でまじまじとももちゃんを見つめていた。
「えーっと……なにか用ですか?」
無言になっている僕に、ももちゃんは話しかけてきた。
「あ、初めまして、いえ……えーっと相談があるんですけど……」
「なにか困りごとですか?私に出来ることなら何でも言ってください!私VRChatの皆さんの力になりたいので!」
ももちゃんは目に星のハイライトを表示させた。表情の起伏も自然だ。どうやらももちゃんはVRChatterに対してかなり献身的なようだ。
「すごい親切なんですね」
「私、ずっとVRChatに入りっぱなしで、他にすることがないんですよ。それなのに他のVRChatの皆さんは現実のこともある中で限りあるVRChatの時間を私のために使ってくれて、たくさん教えてくれて。それが嬉しかったから、私も自分の時間をこのVRChatのために使いたいなぁって思ってるんです」
ももちゃんは流暢に日本語を組み立てる。
声や言動だけでなく、理解力や文章の構築も発達していた。十分会話は成立しそうだ。
「じゃあ突然のお願いなんですけど……」
僕は早速自分が行いたいことの概要を、ももちゃんに説明した。
僕が今作っているもの、実現したいこと、必要なもの。
ももちゃんは頷きながらじっくり話を聞いてくれた。
「なるほどなるほど……それって私のデータセットじゃなくてモデルだけあれば大丈夫なんですよね?」
「その通りです」
「知っていると思いますけど、私は特定個人と行動を共にしすぎたり、何かに利用されるのは親に禁じられてるんです」
「ですよね……」
「でも、実はモデルだけなら提供できるかもしれません」
そういうと、ももちゃんは手を口のそばに当てて、小声で話し始めた。
「実はここだけの話、この前うちの親が特定の人限定でリリースしたサービスがあって……VDCCって名前なんですけど……」
ももちゃんの説明によると、VRChat運営はVirtual Diffusionがある程度動作できた段階で、法人向けにVirtual Diffusion Creator Companionという名前のソフトウェア開発キットを先行リリースしていたらしい。でもそこにデータセットは入っておらず、あくまでモデルの配布がされただけだった。だから利用者はVRChat向けにきちんと変換したデータセットを持っている必要があるので利用難易度が高い。でも僕たちには都合が良かった。
「VRChat向けに変換されたデータセットなんて、そんな都合よく持ってる人、僕たち以外にいるんですか?」
「そうなんです、そこが一番難しくて。使ってくれる人が全然現れていないんですよ。それで親がやる気を失っちゃって。私のこともほったらかしです。親が考えてることってよくわからないですね」
そう言いながらももちゃんは両腕をぷらぷらさせる。
「人間の親子も大体そんなもんですよ」
僕がそう言うとももちゃんは笑ってくれた。
「もし私たちの派生モデルが活用されてVRChatの皆さんに貢献できるなら嬉しいです。先行リリース向けのデータならこっそりお渡し出来るんですけど、使いますか?」
「是非欲しいです」
そう答えると、ももちゃんは口頭でVDCCのダウンロードフローとライセンスキーを教えてくれた。
僕は説明を受けながら、Discordで狂人にフローを共有した。
ももちゃんは説明し終わると、僕を見て言った。
「それにしても、私と初めて会うのに、私のことに詳しいんですね。びっくりしちゃいました」
「ちょっと大学で研究してまして……」
「そうなんですね、ちゃんとお話できて楽しかったです。VRChatの他の方々は……」
ももちゃんがそう話し始めたタイミングで、ウシヲポートに他の日本人ユーザーが入ってきた。
次第にその人数は増えていく。TwiterかDiscordで誰かが目撃情報を提供したのだろう。
今のVRChatに関わりたくなかった僕は、めんどくさくなりそうだったのでももちゃんに簡単な挨拶をして、早々にワールドを抜けた。
狂人の元に戻った僕は、もらったモデルを元に狂人のデータセットとの統合を進めた。
VDCCの、特に日本人ユーザーに関する学習量は異常で、想定していたよりもかなりスムーズに開発は進んだ。
システムの開発に合わせて、ダイブする環境も整えるようにした。
他のユーザーの利用も想定し、1階にはYouTubeや鏡を見ながら話せる待合室を作り、2階には20室ほどダイブが出来る個室を用意した。
個人がそれぞれ2階の個室でダイブしつつ、1階の待合室では昔話ができるようにVRChatの昔を振り返られるアイテムもたくさん設置しておいた。
今のVRChatを過ごせない僕たちのためのワールド。
ウシヲポートで流れていたVRC放送局にちなんで、このワールドをVRC再放送局と名付けた。
そして僕はワールドを匿名のサブアカウントからアップロードし、パブリック化した。
数日後、そのワールドは日本Regionで1番HOTなワールドになった。
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